絆の森
<第二話 森の中で・3>

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「ふう……最近、動いていないから腕が落ちたかな」
 手首をぶらぶらとさせながら近づく少年に、気絶できなかった男は恐怖に震えた。
「お前ら、密猟者だよな? 他の仲間は?」
 胸倉を掴みながら笑顔で尋ねると、男は歯根を鳴らしながら答えた。
「ああ、あんたが、全部、倒してしまったぁ」
 みっともない声を上げる男に、苦虫を潰したような顔になった。

 ランスは幼い頃に武術を叩き込まれている。喧嘩があるときは必ずといっていいほど手が出てしまった。その度に、目の前の男のように皆が怖がる。悪魔を見ているような目で見る。
 だから自分で封じた。どんなに嫌な事を言われても、逃げ帰ることしかできなくなった。
 泣きついた温かい胸の感覚を思い出すが、ランスは微かに首を振った。

「ここで見たものを一切忘れるのならば、そして森に手出ししないことを誓えば帰してやらぬことはないが。如何にする?」
 思い出しかけた思考を振り切るように、ランスはわざと尊大な態度で物申した。
 見た目は少年であるはずなのに、まるで森の支配者のような口振りと精霊じみた風貌、寒気のする表情が、彼は人外の者なのだと男の中に印象づいた。
 男の心中も知らずに、本人は恥ずかしさでいっぱいだった。
 表には出していないが、我ながら臭い台詞だと呆れていた。
「誓う! 誓うから見逃してくれぇ!」
 追い詰められた鼠のように、悲鳴に良く似た声を上げた。
 ぱっと手を放してやると、男は勢いで地面に尻餅をついた。慌てて男はランスから離れて、一目散に駆け出した。
 あっというまに男の姿は見えなくなった。

 途方に暮れたのはランスの方だった。
「……おじさん、帰り道を分かっているのかな」
 小さく呟かれた言葉は虚しく風の音に吸い込まれていった。



 西日の日差しが強くなる。
 眩しさに眼が眩み、ストレィは目を細めた。
 霞む景色が次第に輪郭を露にした。まっさらな地平線。荒れた大地ではないにしろ、極度に草花が少ない平原がそこに見える。一面が朱色に染まり、不思議な世界が形作られている。
 よくやったと言わんばかりに、ストレィは愛犬の頭を揉みくちゃにした。亜麻色の毛の手触りが心地よい。相棒も嬉しそうに尻尾を振っている。

 太陽の残り火は少ない。
 もしもあの時、あの少年に出会わなければ森の中で夜を迎えていたことだろう。
 緑に彩られた優しそうな顔は、鮮明には思い出せなかった。
 自分としては一生涯の思い出として覚えていたかったが、脳は忘れようとしている。本能がそう仕向けているなら、しょうがない。
 頭を振って思考を拡散させる。
 今はとにかく歩かなくてはいけない。
 ストレィは前進し出した。ユニステの国へと向かった。


 町の灯りが妙に懐かしくと、突然ストレィの足から力が抜けた。
 心配そうな子供の視線が刺さる。犬が後ろから寄ってくると、子供らの意識がそちらに向いた。楽しそうに触れ合う彼らを見て、和やかな気分が込み上げる。
 ストレィの気分はやっと落ち着きを取り戻した。

 予約していた宿に着き、相棒と共に食事にありついた。
 食堂の隅の席には柄の悪そうな男達がいた。彼らは誰かを待っていたようだが、いつまで経っても来ないことに腹を立てているらしい。
 話題の中に、今日立ち去ってきたばかりの大樹海の話題があった。
 待ち人は森に猟をしに行ったらしい。毛皮がどうの、という内容が聞こえてきた。密漁の類なのだろうとストレィは踏んだ。

 最後のスープを飲み干そうとすると、急に食堂の扉が慌しく開かれた。
 中年の男が必死の形相で、隅っこの男達に駆け寄っていった。どうやら待ち人が来たらしい。
 怒鳴る頭目らしき男に、中年の男は震える声で喋り出した。
「ち、違うんだ! 森には恐ろしい番人がいるんだ。奴は俺の仲間を一瞬で倒して、獣をけしかけた。皆、殺されちまった! 一見すると人間だが、あれは間違いない! 大樹海の精だ! 目も髪も奇妙なほど緑色で……あんな奴、人間じゃない!」
 興奮しながら中年の男は言い切った。叫びのようだった。
 食後の紅茶を飲み終えたストレィは黙って席を立ち、犬を連れて部屋へ戻った。
 後ろの方で男達の喧騒が聞こえたが、立ち止まることは無かった。


 自分が大樹海から戻ってきたとは、誰にも言う気がしなかった。言ったとしてもこの国の人々が信じるわけがないだろう。
 自嘲気味に彼女は犬に呟いた。
 同意しているのか犬は返事をした。それに笑って、ストレィは窓の外を見た。
「あの子はやっぱり精霊なのかな。だからあんたと話せたのかもね」
 おぼろげな記憶だったが、彼の最後の言葉は脳裏に染み付いていた。

 見事な夕焼け模様の空が痛い。
 視線を下ろしていくと、狭くて小さな路地に人の列ができていることに気付いた。
 自分の国でも、これと良く似た風景があった。
 参列者は黒い喪服を着込み祈っている。誰かが亡くなったのだろう。
 遠目からでは確実といえないが、少女のようであった。側には泣きじゃくる病弱な女の子がいた。
 暑い空気が冷めていく黄昏の中、棺桶は墓地へと埋葬されていく。

 ストレィも小さな黙祷を捧げた。




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