絆の森
<第三話 樹海に眠る物語・1>
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どこまでもその海は続いていた。
永遠とも思えるフォレスト・グリーン。万物の象徴から光を受け、艶やかに照り返す。世界を駆け抜ける風が吹けば、大きなさざ波とざわめきがたった。
北へと続く大樹海。
地平線の遥か向こうまで、大地は緑に覆われている。
人間達が恐れ、最低限の接近を避ける魔の森。そんな鬱蒼とした森の中を、一人の人間の少年が歩いていた。
歳は十代後半。若干の幼さが際立つ大きな瞳の色は翡翠。髪も同色で彩られ、短く切られいる。膝の辺りまで灰色のコートが覆い、それから下は黒い革のブーツを履いていた。腰に巻かれたポーチはあちこちが土で汚れている。
服の裾から覗く肌は、健康的で血色が良い。手には鞘に収められた短刀を握っている。鞘は動物の皮でできているため、汗が染みてきていた。
「お? あった?」
何かを木陰に見つけたのか、彼は声を上げた。
心が落ち着くような良い声音だ。低すぎず高くもない。落ち着いて発声すれば朗々と響くだろう。
「右の……そっちですわよ、ランスさん」
彼をランスと呼んだのは、羽の生えた人形のような少女だった。透ける二対の翼は昆虫のようだが、不自然さは全くない。赤褐色の髪が良く映えた。
彼女は森の民である。人間から言わせるといわゆる妖精と言われている、小さな生き物だった。普段なら警戒心が人一倍強く、滅多に見れるものではない。
しかし、彼女は友達と話すかのようにランスと喋っていた。
指された方向に顔を向け、目的の物が視界に入る。
「ねえカイナ。十本くらい持っていけって言うんだけど……もう少し増やした方が適量?」
大木に尋ねながらランスは言った。
不思議なことだが、彼には森の声が聞こえた。木だけではなく、獣や鳥に草花まで。最初は彼自身驚いていたことだったが、流石に最近は慣れてしまった。
手招きされたカイナは、ランスの顔の高度と同じ場所に来て眺めた。
二人が見つめる先には、この木に寄生する種類の草があった。ずいぶん根がはり、木の皮の中まで侵食しているものもある。これが適度な数ならば、放っておいても問題はない。
だがここのものは度が過ぎていた。ちょうど木漏れ日が根に差し込む場所に、隙間無く寄生されていた。これでは栄養が草に摂られてしまう。
しばらく考え込んだカイナが口を開く。
「ですわね。根が奥まで寄生しているものは仕方ありませんけど、残りは全部摂ってもかまわないと思いますわ」
提案を上げると、さっそくランスが大木と交渉をし始める。
森の民である妖精にも意思疎通ぐらいはできるのだが、言葉のやり取りは一方的なものであり、ランスのように会話までには至らない。
カイナには木の言葉が聞こえないが、勿論ランスを羨ましいなんて思ったこともない。
「大丈夫だって。俺が根の除去をするから、カイナは切ったやつを運んでくれ」
話はまとまったようだ。
短刀の刃を取り出して、ランスは慎重に草の茎に当てる。
「ごめん。向こうにここより大きなのがあるから、我慢してくれ」
寄生草に一言断ってからランスは刃を横に振った。
一本一本に声をかけ、ランスは寄生草を少しずつ間引いていった。
切り取った草は自分の横に置き、カイナが持てるだけの量を運んでいく。少し離れた場所にある朽ちて横たわった木には、先程ランスが開けておいた穴がいくつかあった。そこにカイナは、刺し木の要領で草を立てた。
「そういえばランスさん。クゥナを知りません? 今朝から全然見ていないような気がするのですが」
最後の一本を切り終わり、一息ついたところでカイナが尋ねてきた。
ランスは顎に手を当てた。視線は忙しくなく泳いでいる。思い出しているのだろうか。
「えーっと……さっき殴られたんだっけな」
「はあ?」
思わずカイナは瞠目し、聞き返してしまう。
途端にランスの顔が火照った。慌てて弁解めいた言葉を連ねた。
「い、いや! 俺は別にあのっ悪気があったわけじゃなくて! そのぅ……」
慌てて取り繕うとした少年だったが、今度は逆に押し黙ってしまった。
鋭いカイナは、何となく察した。
「ランスさん。恋する乙女が嫌うもの。体重計としつこい男と失恋ですわ」
溜息を吐いて答える彼女にランスは逆に問いかけた。
「え? クゥナって好きな人いるんだ」
気付く所が違います、とカイナは、鈍いのだか鋭いのだか分からないランスに心の中でつっこんだ。
クゥナとは、カイナと同じく妖精の少女で、彼女と同じくランスと一緒に生活をしている。橙色の長い髪を一つに結っていて、明るく聞き取りやすい発音でよく喋る。カイナとは一応双子なのだが、性格はあまり似ていなかった。
クゥナが好意を抱いているのは、目の前で「何がいけなかったのか」と唸っている男である。
彼女に口止めされているカイナは、一応話を逸らしてみる。逸らさなくてもランスには気付かれることはないと思っているが。
「体重……か。最近クゥナって太ったね、って言ったけど。やっぱりさ、栄養不足で痩せているのよりも良い事だろ?」
「直球ですわ……」
これは流石に恋をしていなくても怒るだろう、とカイナは呆れる。
本人が自覚していることを指摘されたのだから、怒りはさらに浸透しているのだろう。
きっとあれは俗に言う、幸せ太りなのだろうとカイナは思っている。
始終、寝ても醒めてもランスといるのだから当たり前の事だ。
しかしその想い人から、言われてしまったのだ。悪気がないとしても。褒めたつもりだろうと。
「相当衝撃的だったのですわね……」
不運な相棒のことを思い、少女は何度目かの溜息を吐いた。
どんどん落ち込むランスを横目に、とりあえず作業を続行しようとカイナは持ちかけた。木の方も早くしてほしいようだ。しきりに枝を揺さぶっている。
元気のない返事を返して、少年は土の中に残っている根を取り除き始めた。
汚れた指のまま顔に触れたため、ランスは土埃だらけになっていた。近くの水場に洗いに行こうと、彼は席を立つ。
先程からカイナはクゥナの元に行ったらしい。クゥナもそんなに大人気ないわけでもないので、すぐに戻ってくるだろうとランスは能天気に構えていた。
家事全般が苦手なランスだったが、一応園芸は好きな方だ。
昔、平原の国ユニステで暮らしていたときの家には庭があった。不精な同居人は、荒れ放題の庭に興味がなかっので、少し綺麗にしてみようとしてから趣味の範疇に見事に納まっていた。
ランスは微笑が零したが、すぐに口の端を下げた。
苦々しいような、泣きたい気持ちを無理やり抑えるような複雑な表情だった。
「余計なこと思い出した……」
思い出に浸るとき、同時に「あの日」のことまで蘇ってしまう。
過去にしがみつきたいわけではない。それでも。忘れたくはないのは事実だ。
失くしてしまった者と何処かで繋がっていたいと願う気持ちは、矛盾になるのだろうか。
水鏡に映る自分を睨みながら、ランスは空を見上げた。
この大樹海には、俗に言う空なんてものはない。あるのは青々とした緑葉の天井。所々から差し込む光は眩しくて、眩しすぎて目を伏せたくなる。
「鳥になりたいな。世界の全てが見渡せるくらい、強い翼で飛んでみたい」
そうしたら、「あの日」の自分は「彼」の背中を見失わずに追いかけられただろうか。
ランスは馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに、自分の思考を嘲笑った。最初から叶わないことだと信じきっているのに、諦められない自分を嗤笑した。
泉の周りに生えている樹木に寄りかかり、その場で休んでいるランスの前に二つの影が飛び降りた。
「うっ、ご、ごめん!」
反射的にランスは謝った。
目の前に膨れっ面のクゥナが、腰に手を当てながら現れたのだ。
「どうせさー! あたしはさー! カイナよりも飛ぶのが遅いしさぁ! 分かっているわよ、そんなことは!」
ぶっきらぼうな態度のクゥナに、それでも懸命に謝り続けるランス。
その構図が何だかおかしいものに見えて。
彼女は突然笑い出し、少年の火照った頬をつねり上げた。
突然の出来事で、涙目になりながらランスは首を傾げた。笑い声がさらに大きくなった。
「えへへ、もういいの。原因はあたしの運動不足。それより、また遺跡を見つけたのよ!」
得意気に話し出したクゥナは、すっかり機嫌を直していた。
二人は苦笑を浮かべる他なかった。
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