絆の森
<第三話 樹海に眠る物語・2>

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「変な顔だ」
 少年の第一声はそれだった。
「一応、神様の像ですのよ。失礼ですわ」
「でもさ、この顔なら許してくれそうじゃない?」
 少女たちの会話が耳に入りきっていないのか、少年は一人で観察を続けている。
 ランスが見ているのは、自分よりも倍は大きい石像だった。
 鼻は縦に長く伸び、目元は窪んでいる。口元は一本線が溝状に彫られているだけだ。額に赤く着色した丸があったが磨り減っていた。全体に苔が生えている。相当古いものらしい。
「やっぱり……変だ」
 今度は顔のことではなさそうだ。真剣な顔つきになり、眉に皺が寄っていた。
 ランスは振り返り、二人の少女を見た。
「聞こえないか? さっきから何か言っている。この神様」
 石像の大きな顔面を撫でながら、少年は言葉を紡いだ。

 森の民が遺跡と呼ぶ建造物の残骸は、大樹海のあちこちに点在している。誰が何のために作ったのかはランスは知らなかったが、明らかにそれらは自然にできたものではないことは知れた。
 けれど今まで見てきた建造物は、その全てが倒壊していた。
 しかしランス達が訪れているこの遺跡は、他と少し違っていた。
 倒れた大理石の柱。正確に削られている台座。それらには石像と同じように全てに蔦や苔が飾られていたが、元の形を保っている。
 中心にそびえる神殿のような建物は、古びてはいるもののしっかりと原形を留めていた。

 結った髪を揺らし、クゥナは石像の周りを二度三度飛んでみた。だが自分の羽音が耳につくだけで、特に何も聞こえない。
 首を振るクゥナから、今度はカイナに視線が注がれる。
「カイナには聞こえる?」
「いいえ。何て仰っているのですか」
 静かに目を閉じ、ランスは意識を集中した。石像にゆっくりと右手の平を当てる。
 儀式めいた姿勢は数秒の間続いた。
 辺りの空気が止まっているような錯覚に陥る。次に翡翠の瞳が現われるまで、妙に長く感じられた。
 手を退かしたランスは首を振る。声はあるが、言葉として理解できないらしい。
「もっと奥に行けばはっきり聞き取れるかもしれない。……入って大丈夫だと思うかい?」
 おずおずと少年は切り出した。
 遺跡に入ることは聖域を侵すようなものだ。仮にも人間である自分が立ち入って良い場所なのか、少なからず躊躇したのだろう。
 森の民も滅多に訪れることのない、古き時代の遺産は暗い口を開けて佇んでいる。


「お化けがでるぞぉ」
「一体、俺のこと何歳だと思っているんだ」
 茶化すクゥナに呆れた反応を返すランス。しかし意外と顔つきは険しく固かったりする。
 結局、内部へ入った三人は驚きながら奥へと進んでいた。
 人間二人分の狭い門を通り、しばらく行くと突如として広い空洞に出た。
 古代では祭祀の場だったのだろう。中央には床から出っ張っている祭壇のようなものがあった。
 広場の壁を伝っていくと、金属でできた扉が見つかった。不思議と錆が生じていなかった。中は階段で、地下へと続いていた。
 地下通路にはもちろん灯りなんてない。仕方なくランスは先日手に入れた蛍茸を、クゥナとカイナに持たせた。
 蛍茸は蛍光塗料のようにぼんやりと淡い光を放つ。育った環境によって粒子の色が変わるという、変わった性質を持っている。
 肩の辺りを平行移動していく二人は、薄い緑と黄色の蛍茸を使っている。まるで鬼火のようだった。

 しばらく真っ直ぐな道が闇の向こうに続いていたが、突然壁が姿を現した。行き止まりのようだ。
 ランスは壁を触り、仕掛けがないか探そうとした。すると壁には溝がいくつもあった。設計者が残した文章のようだ。この壁一枚が石碑の役割を担っている。
 目を凝らしてみたが、彼には読めそうもなかった。
 一応、妖精文字か確かめてもらおうと二人に見てもらう。
 すると、カイナが答えを返してきた。
「これは小人文字ですわね」
 小人とは、翼のない妖精の事を指す。かつては大樹海に住んでいたと言われているが、彼らは独自の文化を創り上げて山へと移り住んだのだという。
 証拠に、大樹海に小人の軌跡が見つかる例はいくつかあった。
 では崩れた遺跡群は小人達が築いたのだろうか、とランスはふと思った。
「読めそう?」
 試しに文章を読んでいたクゥナは根を上げた。擦り切れている箇所が多く、言葉の使い方も特殊でなかなか難しい。
 今度はカイナが読み始めた。

「ここに眠る魂に栄光あれ。
 右は明け、左は水、中央は混沌とする。
 ――……。
 我らが去りし故郷に栄光あれ。
 ここより先は……に、聖堂へと導かん。
 汝が進む道に栄光あれ」

 途切れ途切れだったがカイナは石碑を読み終えた。
 最後の行は何故か妖精文字で、記した日と筆者の名前が刻まれていた。
「これが精一杯ですわ。でも、収穫はありましたわよ」
 そう言って彼女はにっこりと笑った。

 淡い黄色の光が照らしている文末は、繰り返し同じ言葉を使っている。栄光あれと。これは一種の言葉の鍵だとカイナは説明した。
 今度は薄緑の光が石碑に近づいた。問題の部分を一通り撫でていくと、何かの周期性に気が付く。文末だけ、寸分の狂いもなく字体が転写されていた。他の部分に書かれているものは、同じ字でも多少のずれが生じているのにもかかわらず。
「でもこれってどうやって解除できるの」
 怪しい箇所がないか触り続けていたクゥナは、疲れた顔をしていた。

 黙りこんだまま考え込んでいたランスが突然、壁に向かって指を指した。
「分かったぞっ!」
 目が爛々と輝き、幼い子供のように楽しんでいる。
 二人の妖精が見守るなか、少年はしゃがみ込んだ。そして、おもむろに壁と床の接合部分を探る。お目当てのものはすぐに見つかった。
 自分の予想が当たったランスは、得意気に親指を立てた。
 二人を呼び寄せて、蛍茸をかざす。
 そこには細かいレリーフが並んでいた。ほぼ床と同じくらいの高さにあるため、暗い通路では全く気付けないだろう。
「栄光は三つあって、それは全て同じ字。栄光が示すものは色々あるけれど、その中で一つだけ……レリーフの中に三つの物でできている栄光があるはずなんだ」
 ゆっくりとレリーフを眺めつつ、三人は後退りをし始めた。良く見てみると通ってきた通路にも、同じように浮き彫りが施されていたのだ。
 レリーフは妖精や小人達に伝承されている、古い物語を象っている。
「これは大樹海に伝わる創世記のお話になぞらえているようですね」
「創世記?」
 ランスはカイナの解説とクゥナの補足に耳を傾けながら、作業を続けた。


 物語は、一つの天秤の存在から始まる。
 昔の世界には種族別に分かれていなかった。森に住むものは森の民、山に住むものは山の民と呼ばれていただけだった。
 平等すぎる世界にはもちろん争いが生まれた。より優れたものだけが裕福に暮らし、どんなに清い心を持っていても弱いものは次々と死んでいった。

 創造主は創世以来、世界を何とか自力で成長させようとしていた。
 しかし久方ぶりに眺めた世界は荒廃しつつあり、嘆き悲しんだという。何度となく立ち直れるだろうと希望を抱いたが、それはいつまで経っても叶わぬ事だった。
 苦心のまま神は民たちを分断しようとした。
 その時、創造主を支持した民――現在の森の民である――は提案を持ち寄った。
 秤を使って分けようではないか。釣り合いの取れるもの達を同じ民とすればいい。
 もちろん、繁栄を極めていた他の民は反対した。今の安定した状態が壊れてしまうことに懸念をもったのだ。
 創造主は彼らに向かって言った。
『それではこうしよう。貴方達の種族と他の種族は一切の交わりを絶とう』


 時間は刻々と過ぎていった。美しい彫刻に見惚れながらも、とうとう目的の柄を探し当てた。
 ランスが探していたのは、勇猛果敢な獅子の彫刻だった。大きく開いた口には牙が並んでいる。たてがみがうねり今にも飛び出してきそうだ。
 勇ましい精悍な顔には三つの目があった。鋭いそれには金色の石がはめ込まれている。
 獅子も金も栄光を意味する。
「これが三つの栄光ってことなのね」
 感心したようにクゥナがため息を吐いた。
 出っ張った獅子の顔を軽く押してみると、奥の突き当たりで鈍い音がした。壁が開いたのだろう。再び通路を戻っていく。
 道中、ランスは物語の続きを少女たちにせがんだ。


 それぞれの民達は秤の製作に勤しんでいた。
 森の民は秤棒を千年樹の枝から削り出した。綺麗な細工を施し、木目が美しい真っ直ぐの棒が出来上がった。
 山の民は鉱山から採掘した金属を溶かして、中心軸を作り出した。同じ場所で取れた最高級の宝石をはめ込んで、丈夫で正確な軸が出来上がった。
 草原の民は長持ちする草を編みこんで皿を作った。棒と繋げるための縄もすぐに作り、採れた実で彩色して出来上がった。
 海の民は貝殻を拾い集め、砕いて固めて台座を作った。最初は壊れやすかったが、回数を重ねていくうちにしっかりしたものが出来上がった。
 最後に創造主の力を注ぐことになった。
 このとき、ありとあらゆる生物が団結して世界中が平和になっていたという。


「創造主は悩んだよ。このまま天秤を使わなくても良いかもしれない。でも、使わなければまた戦争が起こってしまうかも。ってね」
 石碑の奥に隠されていた通路は、壁の材質が全く違っていた。艶がある磨かれた石が敷き詰められ、音の反響が凄まじい。
 一人分の足音が何度も遠くまで響いて跳ね返ってきた。
「でも結果的に使うことになったんだろう?」
 不思議そうに尋ねるランスに、まぁね、とクゥナは苦笑を返した。


 創造主はしばらく瞑想の時間を要した。
 力を純化させる期間でもあり、世界が平和を継続していくか見定める時でもあった。
 確かに平和な世が続いていた。
 そんな世界は、始まりの太陽を六度拝み、沈みゆく月を六度見た。
 七度目の日が悠々と昇りだした頃、創造主は民達の前に現れた。
 そしてこう語った。
『私はこの短くも平和な時を愛す。しかし、もしも誰かが邪な思想を抱いているのならば、それは仮初に過ぎなかったということだ』
 創造主は秤に種族を分ける使命のほか、善悪を定める力を備えさせていた。
 審判の儀式は始まった。民達は次々と分けられていった。
 妖精や小人、獣や鳥、木に草に花――。滞りもなく種族が次々と生まれた。

 最後に、繁栄をしていた民が秤の前に並びだした。数人は分断される運命にあるかもしれないと、仲間たちと抱き合って別れを告げていた。
 その数人はやはり他の者とは分かれた。
 残りは全て同じ種族となったが、秤は違うことまで指した。
『どういうことだ? お前たちは少し悪に偏っている』
 創造主は、やはり今までの平和も仮初だったのかと悔しく思った。しかし罰することはない。善悪が共有するのは彼らの特徴であったのだから。
 民達は潔く、それぞれの移住場所に出向いていった。
 約束どおり創造主は悪に偏ってしまった種族を、他の種族とは交われないようにした。遠く荒野の真ん中に移動させた。
 世界中の植物は一箇所に固まった。これが現在の大樹海の誕生である。
 そして、世界に秩序が生まれたのだった。




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