絆の森
<第三話 樹海に眠る物語・3>

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 突如、三人は和やかな雰囲気を一変させた。
 素早くランスは足を止めた。反響も止むはずだった。ところが進んでいる方向からは、足音いまだ響いている。音から、複数の二足歩行生物であることが分かった。
 血の気が退き、今度は一気に冷や汗が流れ出た。
 地下道が南へ続いていたことには気付いていた。しかし一体どれほどの距離を歩いてきたのか見当もつかない。遺跡探索はすぐに終わると、簡単に思ってしまっていたのに。
「どうする? まだ声は奥の方でしょ?」
「わ、私はランスさんの意見を主張しますわ」
 怯える妖精はランスの肩にしがみついて呟くように言った。
 小さく震える少年の肩を、強く握り締めていた。
 二人の頭を掠めるように撫でて、ランスは乾いた声を絞り出した。
「ごめん。君達には悪いことだけど、俺は行くよ。もしかしたら追い出さないと駄目な人達かもしれない。森を汚されたくないのは、俺も同じだから」
 優しく宥める少年に少女達は頷いた。
 ランスはポーチの中身を空にした。中にクゥナが先に入り、続いてカイナが入り込んだ。蓋は軽く閉めた。
 目印として蛍茸をその場に残す。ポーチの中身は、コートの各所に移動させておいた。
 慎重にランスは小走りをした。なるべく音をたてないように、暗闇が広がる道を通る。
 彼を見送るのは、ぼんやりとした鬼火のような蛍茸の光だけだった。


 それから数分後のこと。
 灰色のコートを着た人間が、広間に立ち入る入り口の角から様子を見ていた。薄暗がりでは、服も翡翠の髪も闇に紛れて分かりにくい。
 意志の強い目は、視界に入る全てを睨みつけていた。
 地下にぽっかりと広がった部屋は不自然なほど明るかった。赤々と燃える松明が周囲に灯されている。
 炎の輝きを反射するのは、森で採れる筈がない金銀財宝の山だった。
 取り囲んでいたのは人間の男達であった。まるで砂糖に群がる蟻だ。下卑た笑い声を上げて、意気揚々としている。

 タイミングを探しながら、ランスは男達の会話を耳に入れていた。
 自慢話のように男達は互いに褒めあっていた。
 どうやら大樹海の入り口から程遠くない場所にも、ランス達が入った神殿と同じような遺跡があったらしい。その地下通路がここまで続いていたのだという。
 ランスは随分南下してしまったのだな、と奥歯を噛み締めた。
 彼らが遺跡荒らしなのは明白だった。きっと出口の辺りにも仲間がいるのだろう。迷わないように樹海の入り口までロープを張っているのだと、リーダー格の男が得意気に話している。
 石碑に書かれていた文面から、この辺りは古代の墓なのだろう。宝は供養のために残された物か。だとすれば余計に盗賊なぞに持って行かれたくはない。
 森の中でならばいざ知らず、この場所で彼らと同等に戦う術を少年はもっていない。
 万が一にも勝算があるのならば構わない。だが、いくら頭を回転させても突破口は見出せずにいた。
 このまま隅っこで歯痒く見守ることしかできないかと思うと、ひどく悔しく感じられる。

「坊主、また、会ったな」
 突然の声に心臓が止まりそうになった。
 叫びかけた声を飲み込む。慌てて振り返ると、醒めるような緋色が視界に広がった。
「な……何であんたがここに」
「まあまあ。気になさんな」
 緋色の髪の男は、ランスの肩を軽く叩いて呟いた。楽しむような口調だったが、表情は動いていなかった。
 黒い瞳は宇宙のような神秘性が漂っていた。相変わらず微妙におかしなイントネーションは、忘れようとも忘れられない。
 男はつばが広く茶色い帽子を被っていた。青く擦り切れているベストには、小さなポケットがいくつかついている。腰には太いベルトが締めてあった。
 白い生地のズボンの隣には、長い銃身を持つ銀製の銃が吊り下げられている。ランスのポーチから、それを間近で見てしまったカイナは卒倒しかけていた。
「別に、奴らにお前の存在、教える義理はない。安心してくれ」
 ほんの少しランスの緊張は解けた。
 名前も知らないこの男とは約一年ぶりの再会になる。
 出会いはあまりにも唐突で、そして別れは早かった。ランス自身、今でもあれは幻だったのかと心に違和感が残ったままだった。
「ランス」
「っどうして俺の名を知っているんだ? あんたは一体……」
 話しかけられた途中で、ランスは無理やり遮った。二度と会えないと思っていたから蓋をしていた疑問を、一気に解き放った。
「俺は――そうだな。リビアとでも呼んでくれ。お前、昔から知っている。ずっと昔から」
 半分答えになっていない返事を返し、男は歩き出した。明るい部屋の中へ進んでいく。
 盗賊が驚き、まじまじとリビアの方を見た。
 その顔といったら、自分達以外が部屋にいるはずがないと語っている。
 リビアは無言で男達に近づいていく。どうやら本当にばらすつもりはないらしい。
 黙ったまま呆れたように、宝を分別していく男達を眺めていた。
「早くしないとあいつら、ここから地上に出ちゃうよ?」
 クゥナの声に引き戻されたランスはもう一度、間隔を総動員して隙を見計らった。
 そんな様子を見たリビアは、密かに笑みを浮かべた。一瞬のことで、誰も気付かなかった。

 男達は一通り宝を検分し終わり、今度は袋に詰め始めようとしたところだった。リビアを見て、その体勢のまま固まっている。
 再び動き出す前に、リビアは盗賊に向かって声を張り上げた。
「ここ、どんな場所か、知ってのことか?」
 男達は眉を顰めた。
 対するリビアは淡々と復唱した。無造作に組まれた腕は、恐れを抱いていないと主張しているかのようだ。
「卑しい者ども。さっさと立ち去れ」
 侮辱されたと思った盗賊達は一斉に銃をリビアに向けた。
 銃を構えられた鈍い金属の光に、ランスは息を呑んだ。
「へへ……見られちまったからには生かしておけねぇな! ここに来てしまったお前の不運を呪いな!」
 リーダー格の男は下品な笑い方をして言った。リビアは何の反応もしなかった。
 彼が恐怖のあまりに口を閉ざしてしまったと思った男は、近づきながら銃の安全装置を引いた。銃口が完璧に心臓に向けられる。
 応戦しようとも、逃げ出そうとも考えていないようだ。リビアは瞬きすらしない。組んだ腕は下ろされているが、涼しい顔は普段どおりだ。
 一斉に撃鉄が鳴り響く。
 居ても立ってもいられず、ランスは銃弾の前に飛び出してしまった。


 目を丸く開けたままランスはその場にへたり込んだ。
「ま、あんまり無理するな、坊主」
 黄金の海の脇に、赤い池が出来上がっていた。池には泳いでいるのか浮かんでいるのか、数人の男が銃を握り締めたまま横たわっていた。
 上を見上げるとリビアの端整な顔が目に入った。
 落とした帽子を拾い上げ、被り直している。銃にはきっちり弾詰めを行っていた。
 発砲する前と後で、表情は変わっていなかった。あの時と同じように、変哲もないままの彼にランスは少し寒気がした。
 大道芸のように、リビアは撃たれた銃弾を逆に打ち抜き無効化させた。そして残りの弾丸で男達を撃っていた。
 数秒の出来事だった。

 リビアはもちろん、ランスも無傷だ。銃を最後まで抜かなかったのは、確たる自信の表れなのだろう。
 庇おうとした自分が滑稽に思えて、少し虚しく感じられた。
「そんなこと、ない。俺、結構、嬉しかった」
 不思議な色彩の双眸が細められた。初めてリビアの表情らしい表情に、知らずのうちにランスの顔が赤くなった。
 やっと力が入った腰を持ち上げて、ランスが顔を上げた。その時リビアは南側の通路に向かって既に歩みだしていた。慌ててランスは大声で彼に別れを告げた。
「えっとあの、こんなときに何て言えばいいのか分からないけれど。ありがとう」
 最後に放たれた感謝の言葉。それにリビアは振り返った。
 遠くで見る彼の姿は、まるで蜃気楼のように揺れたような気がした。
「大丈夫だ。また会うさ、ランス。森がお前を導いたのだから」
 リビアは軽く手を上げて答えた。後ろ姿は闇に飲み込まれていった。

 またもや狐に化かされた気がした。そろりと視線を横に動かす。そこにあった光景に、少年の落胆したような情けない声が上がった。
 物言わぬ死体が全て忽然と消えてしまっていたのだ。赤い池も染み一つ見つからない。財宝の山も原形を留めたままそこにあった。
 さっきまで人がいた場所ではない。風が大きく吹き、松明の火も消えてしまった。
 静寂の中、ランスも慌てて南側の通路へ走り出した。


 発砲音で気絶していた二人がポーチから顔を出したときには、地上だった。
 入った遺跡と、ほぼ同じ造りの建築物を見上げる。
 遺跡荒らしの仲間の姿はなかった。
 リビアが殺したのか、逃げ帰ったのか。はたまた最初からいなかったのか。真相は何も分からない。
「ずいぶん、南まで来ましたわね」
「長かったよね。でもまだ日暮れじゃないよ。不思議だね」
 狭いポーチから飛び出したクゥナとカイナ。
 彼女達にリビアのことを聞こうとランスは思い立った。そしてすぐに考えを打ち消した。
 聞いてどうする。
 あれが事実でも幻でも、リビアは確かに自分の前にいたのだ。
「神様の声は聞こえなかったのよね。骨折り損だったわけ?」
 振り返ったクゥナは、遠くを見つめるランスの横顔に出会った。
 訝しげに見つめても全く気付かない。また何か考えているのだろうと踏んで、クゥナは再び呼んだ。
「ラーンースー。今日は遅くなるから帰ろうよ」
 目の焦点が次第に集まる。
 クゥナの姿をそこに認めると、重たく返事が返された。
「ああ……帰ろう」
 しばしの沈黙の後、ランスは地下へと戻っていった。
 脳裏に雑音のような声が通ったような気がしたが、彼は気のせいだと信じた。




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