異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
 第七章 王国の守護獣

第五十四話 鷲色の鬣、再び
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 次の朝、いつものように起き出したシエナは無意識に壁の方を見やった。そこには何もなく、少し褪せた白い壁紙が貼ってあるだけだ。
 視線を下げて見れば、毛布に包まっているローレンがいる。
 周りを起こさぬようにそっと近づいたシエナは、彼のあどけない寝顔を覗き込んだ。
 生きている人間の場合では不自然な、間の長い吐息も乱れていない。ゆったりと一定のリズムを刻んでいた。
 それを確認したシエナは、一気に全身から力が抜けた。だらりと手足を投げ出し、自分が横になっていた場所にへたり込む。

 昨夜の奇怪な声を思い出した途端、シエナは奇妙な不安感に襲われた。
 だから起き抜けでローレンの様子を窺ったのだが、どうやら杞憂に終わったようだ。
 きちんと睡眠をとったはずなのに、緊張が解けたせいで一気に疲れが押し寄せたような気がする。
 シエナは大きく息を吐き出し、顔を洗うため部屋から出た。


 外の井戸から帰ってきたシエナは、身支度を整えて窓辺に座っているローレンを見止めた。
 軽く挨拶を告げ、それから部屋の中へと大股で入り込む。
 足元には大きなみの虫が転がっている。
「フォードっ! そろそろ起きてよ」
 勢い良く毛布を引き剥がしたシエナは、フォードの顔を無理やり持ち上げる。
 荒っぽい起こされ方に、流石のフォードも少しだけ瞼を開けた。しかし、暫し瞬いて再び目を閉じてしまった。
「あーもう! 今日は東行きの行商人と交渉しなくちゃいけないのだろう? フォードがいなくちゃ話にならないじゃないか」
 シエナは憤慨したようにフォードの肩を揺らす。
 寝汚いのはいつものことだが、どうやら慣れない気候のため疲れがどっとでたらしい。フォードはうんともすんとも反応せず、穏やかな寝息ばかりをたてている。
 二人のやり取りを傍観していたローレンは、シエナを落ち着かせようと彼の腕の裾を軽く引っ張った。
「砂漠を渡る時に倒れられても困るから、そのまま放置しておきなよ」
 ローレンはフォードを一瞥し、それからシエナを仰ぎ見た。
 まるで不満を愚痴るような言い方だったが、それがローレンなりの精一杯の思いやりだということを知っているシエナは苦笑を浮かべた。

 吸血鬼である彼が昼行性の生活を強いるようになったのは、紛れもなくシエナの存在があるからだろう。
 だから、彼の朝寝坊は半分以上シエナにも責任があるのだ。
 そのことを痛感しているシエナは、ローレンの一言にも推され、今日は彼が起きたい時間に起こしてあげようと決めた。
「じゃあローレン、一緒に外へ行こうか? お金はフォードのだから勝手にはできないけれど、交渉くらいはしておけるだろうからね」
 シエナはそう言って、フォードの身体を元の位置へと戻してやった。



 朝焼けに染められた家々は、不思議な煌きを放っている。風が運ぶ砂漠の砂が乱反射しているせいだろうか。
 まだ気温がさほど上げっていないため、暑い昼間や一気に冷えた夜間とは違い、なかなか過ごしやすいようだ。

 シエナとローレンは、昨日買い物をした市場の通りを歩いていた。
 人影は疎らで、店も始まっている所もあれば開けていない所も多かった。主にこの時間帯は、町の商人と旅をする行商人が会い、運ばれてきた商品や作った物を売買しているのだとフォードはシエナに教えていた。
 そのため町外れには行商人達の荷馬車が幾つも並んでいて、交渉次第では運良く東へ向かう者の馬車に同乗させてもらえるかもしれない。
 砂漠を徒歩で歩くのは無謀だし、何より西の大地で生まれ育った三人にとってこの先は未開の地であるのだ。土地勘が無いため、最悪、砂漠の中で遭難ということにもなりかねない。


 二人はとりあえず記憶を頼りに、朝市が開かれていそうな場所へと向かった。
 入り組んだ路地には入り込まぬよう、涼しい日陰を点々としながら移動する。
「三人も乗せてくれるような馬車があるといいねぇ」
 人との触れ合いが好きなシエナは、今から胸を高鳴らせているようだ。
 彼は本来、水辺を離れられないはずの人魚であるから、砂漠に程近い街のキャラバンなぞ見たことも想像もしたことがない。
 東側に続く砂地の地平線を見たときも、シエナは初めて海を見たときのような感動を覚えていた。

 そのことをフォードに耳打ちされていたローレンは、少しばかりの呆れと、僅かばかりの羨望を抱いた。
 何に対しても斜めに見がちな自分とは違う、素直に曝け出されるシエナの心が羨ましく感じていた。

 俯きがちだったローレンは、足を止めたシエナに気付いて顔を上げる。
 少年の視線の先にはいくつもの荷馬車が並んでいる。らくだの姿も見えることから、砂漠を渡るキャラバンなのであろう。
 忙しそうに荷を出し入れして売買をする人々の間を縫いながら、シエナとローレンは商人達を物色し始めた。
 この街の者なのか、それともここより東の中央大陸に点在する部族の者なのか、商人達の年齢や背格好、容姿は不揃いだった。なかには女性も何人かおり、見るからに逞しく生きているのだろうと予想がついた。


 シエナはフォードに言われていた注意を思い出す。
 親切そうな人と如何にもな人には特に気を付けなさい、と銀髪の青年に口酸っぱく言い聞かされた光景が蘇り、苦笑いが浮かぶ。
「あんまり疑ってかかるのは好きじゃないのだけれどな」
「呑気なことだね」
 ひとり言のようなシエナの呟きに、ローレンは横目で彼を一瞥した。
 内心では過保護にも見えるフォードの態度に納得しながら、呆れ返っていたのだが。
 特に意味深いものはなかったのだが、シエナは困ったように頭を掻いて笑った。
「それで裏切られると正直痛いものがあるけれどね。僕の信条だから、今更どうこうなるものでもないさ」
 苦笑いをする少年にローレンが溜息を返そうとした時、シエナが足を止めた。
 どうやら話ができそうな商人を見つけたらしい。青い瞳の視線の先には、荷を下ろした後らしき荷台がある。随分な量を運んでいたらしく、人が何人も乗れそうな広さだ。
 傍にいる男達が持ち主らしいが、ローレンは何となく彼らに近づきたくないと思った。
 日に焼けた浅黒い肌と威圧感のある背丈が、昨日の奴隷商人達を思い出させるのだ。擡げる警戒心に、ローレンは無意識の内にシエナの腕を握り締めていた。
 シエナは不思議そうに子供を見たが、とにかく交渉してみようと思い商人達に話しかけようと近づいた。

 近づいてくる青毛の少年に彼らは気付いたようだった。振り向いたその表情は、好奇と愉悦に歪んでいる。
「っ! シエナ、逃げよう!」
 反射的にローレンは叫んだ。突然のことに驚き、困惑するシエナの腕を無理やり引っ張って彼は一目散に走り出す。
 気のせいなんかじゃない。
 あの男達は、まさしく例の奴隷商人だったのだ。
 慌てて踵を返した二人を彼らは追ってきた。昨日取り逃がした子供と、珍しい容姿の少年が一緒にいるのだ。取り逃がそうとは思わないだろう。
「ローレン、どうしたんだよ!」
「あいつ等人買いだよ」
 冷静な声を返しながらもローレンは内心でとても焦っていた。
 自分は構わない。死した身でもあるし、何より捕まったとしても相手の首の骨ぐらい片手で折ることができる。
 だがシエナは別だ。彼に誰かを傷つけさせるのも、人の裏切りで悲しませることもしたくはなかった。
 何よりも、人殺しをローレンにさせたくないと言ったシエナの前で、誰かの命を屠ることなどできやしない。
 幸い、相手とは距離がある。撒いてしばらく大人しくしてれば諦めるだろう。

 そう考えながらついてきているシエナを確認したローレンは、彼の腕を掴んだまま路地へと逃げ込もうとした。
「今度は逃がさないぜ」
 ぬっと現れた人影にぶつかり、二人の足がもつれる。
 どうやら先回りされていたようで、昨日自分を掴んでいたあの男が仁王立ちしている。
「邪魔、しないでくれる」
 未だに状況がよく掴めていないシエナを庇い、ローレンは威嚇するように睨み付けた。
 固い声音は恐れを感じているかのように思え、彼は微かに歯の奥を悔しげに噛み締める。
 それを見下ろした男が鼻を鳴らした。
「生意気な面だ。こんなひょろっこいのが金貨一枚分なんてな。そっちの青いのの方がよっぽど価値がありそうだが」
 じりじりと追い詰めるように近づく男と距離を測りながら、ローレンは怪訝に思う。
 売られてもいない自分に何故値段がすでに付けられているのだろうか。
 疑問に感じた時、後ろのシエナが憤慨したように声を荒げた。
「金貨一枚? 人に値段なんてつけられるわけがないだろう!」
 男は眉を顰め、場違いなシエナの言葉に失笑を浮かべる。
 清廉とした物言いも、生業にしている男には何の意味も無い。
 その間にも迫ってくる影に、ローレンは覚悟を決めた。そうして、空いている手に力を込めようとした。

 刹那、殴打の音が凄まじい勢いで聞こえてきた。
 前のめりに崩れていく男を唖然と見た二人は、路地から響いてきた声に顔を上げる。
「毎回毎回、蹴りがいのある体だねぇ」
 白い歯を見せながら笑んだ自称通りすがりの通行人は、二人に手を差し伸べて奥へと入るように促す。
 ぽかんとしているローレンに、その人は笑いを噛み締めたような顔を向けた。
「随分と早い再会をしたもんだなぁ」
 そう言って、ジルは肩を竦めてみせた。




第五十四話:鷲色の鬣、再び…END
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