異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
第七章 王国の守護獣
第五十五話 東へ
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日が中天に差し掛かった空を視界の端に捉えながら、フォードは部屋の中に広がっている光景に唖然としていた。
シエナとローレンが座っている。それはいい。だが、二人の側にいる見知らぬ長髪が何やら面白そうに彼らと話しているのだ。
どこから持ち込んだのか粗茶が並び、幾つかの書籍が机の上に折り重なっている。
何故、だとか。誰だ、とか。そういった言葉が浮かんでくるものの、フォードにしては珍しく声の方が追いついてこなかった。
はた、とシエナがフォードの視線に気付いた。
よほど間抜けな顔をしていたらしく、少年は笑いを抑えるように口元を変に歪ませていた。
白い肌に熱が上ることを感じたフォードは、慌てて居住まいを正した。
「お客さんがいらっしゃるなんて聞いていませんよ、シエナさん。こちらの方は?」
咳払いをしながら、一応自分の身なりを確認して尋ねる。
「考古学者のジルさん。今朝、色々あってね。東に送ってくれるって」
今朝という言葉に怪訝な顔をした青年は、赤い瞳を隣にいるローレンへと差し向けた。
ローレンならば気遣い無用で何事もぴしゃりと言う。幾分か性格は軟化しているはずだが、言葉の刺々しさは相変わらずのままなのだと、かつて彼に苦手意識を持っていたフォードは良く知っている。
そしてそれが自分にとって、現実を突き付けてくれる良薬になっているのだということも自覚していた。
だからこそ、フォードはローレンを見たのだ。シエナが隠したがることでも、ローレンはその場の流れを読んで教えた方が円滑だと判断したのなら、必ず真実を話してくれるだろうと思った。
無言で問い掛けてくる彼に、期待通りの淡々とした物言いが返ってきた。
「ごろつき紛いの商人に絡まれたんだ。あんたを昼まで寝かせておけっていったのはぼくだよ。砂漠で倒れられたら困るだろう」
予想とは違う思わぬ言葉に、フォードがローレンを凝視した。
そっぽを向いているローレンを眺めながら、シエナは申し訳なく思っていた。
彼の言葉は確かに本当のことだが、大部分は端折ってしまっている。
昨日もローレンが助けられたということや商人の男が人買いだったとか、朝二人で出掛けようと誘ったのはシエナなのだということだとか、フォードが一番知り得たい部分がごっそりと抜け落ちていた。
言えば銀髪の青年は自分を責めるのだろうと分かっているから、シエナも黙ったままだった。黙って、二人を見る。
彼はフォードと同じく、ローレンは話すべき事は話す性質なのだということを理解している。
けれど逆を言えば、話さないでいい事は全く喋ろうとしないのでは、という危惧も感じていた。
夜半の奇妙な光景を思い返すだけで、シエナの背筋は微かに震えた。
そんな彼らを葛藤の世界から現実へ引き戻すが如く、ジルが愛想の良い笑顔を浮かべて口を開いた。
「植物学者のフォード、だよな。君がディラ氏の研究を受け継いでくれた子か」
よろしく、と差し出された手を呆けたようにフォードは見下ろした。
久しく他人から聞くことのなかった恩師の名に瞠目する。
「ディラをご存知なのですか!」
「勿論。シュタイト家は王国にこそ殉じたが、和を重んじ草木を愛していたからな。特にディラ氏のことは他から聞き及んでいる。書物も読んだことが何度かあるぞ」
どうやら起きる前にシエナが話したらしく、ジルは嬉しそうに大仰に頷いた。
探る様に赤い眼が彼の顔を覗き込んでいたが――背丈はフォードの方が高かったものの、何だかジルの存在そのものがとても大きく感じていたのだ――高慢な虚像も、濁った嘲りの色も、そこには映されていない。
シエナと同系色の眼は抱える気質までもが似通っているのか、酷く清廉されている。
一つだけ違う点は、愚直さがないことだとフォードは感じた。
我を貫くことの難しさや理想を追うことの厳しさを知っている。けれど知ったからといって世を捨てるほど、何もかもを見限っているわけではないのだ。
一見すれば十代の若者に見えるジルだが、実際にはずっと深く長い経験を持っていることだろう。
疑りの眼差しが僅かばかり和らいだことに気付いたのか、ジルは先程までの笑顔を潜めて、見守る母親のような優しげな視線を投げ掛けた。
フォードはばつが悪そうに顔を伏せ、今度はシエナの方へ向き直った。
「東へ連れて行ってくださるというのは?」
「ジルさんも砂漠を渡るらしくてさ。商人に顔を覚えられているから、今から交渉に行くのもなんだし……」
後半の件に眉を顰めたフォードだったが、今更シエナを叱り付けることも無いだろうとあえて横槍は入れなかった。
彼は確認を取るように、再びジルを見る。
ジルは焦げ茶の髪を揺らし、シエナ達に見せていたらしい書付を床から持ち上げた。
「俺はいつも研究の旅をしているんだ。明日には街を出ようと思って駱駝も買ったところだし、骨董品と一緒の荷車の中でいいんならタダで構わないぜ」
フォードは溜息を吐いた。シエナは乾いた笑いを漏らした。それに対して、ジルとローレンが不思議そうに首を傾げた。
お人好しにも思えるジルの発言に呆れたわけではない。彼のその言葉を聞いたであろうシエナが、こうして同行させてもらおうと積極的な理由の一つがとても良く分かったのだ。
「分かりました。どうせキャラバンに混ぜてもらわなければならなかったわけですし、二人を助けて下さった人を無下にはできませんからね」
苦笑を浮かべながらフォードはジルに礼を述べた。
こうして、東へと向かう道が開けたのだった。
+ + + + +
ジルは暗闇に沈んだ街を見下ろした。
交渉が結ばれた後も主にシエナにせがまれて様々な話をしていたのだが、随分と時が経つのは早かったようだ。
お開きですね、と窓を見たフォードがいまだ興奮の治まらぬシエナに告げた。
実を言うフォードも、同じ学者肌の者との話し合いで久しぶりに高揚感を覚えていた。ついには医学を学んでいたほどの聡明なローレンも強制的に交えて、専門的な会話にまで発展させてしまったほどだ。
始めのうちはシエナも熱心に聞いていたのだが、徐々に頭を抱え、最後には適当な頷きと相槌を返す役割に徹していた。
どうやらジルと話す前に、恩師の話が出たためかフォードの警戒心が薄れるのは早かった。
(それとも、前の街での一件が効いているのかな)
内心でシエナはくすりと微笑んでいた。
「じゃあ、俺は一旦帰るわ」
他に宿を取っているジルは、荷物をまとめて軽やかに部屋の出入り口に立った。
明日の予定を簡単に告げた彼は、退室するためにドアノブを握った。
「そう言えばローレン君」
ふと気付いたようにジルが振り返った。
名指しされたローレンは僅かに目を瞠り、合点がいったように顎を揺らした。
「いた。まだだって」
「……そっか。もうしばらくは、だな」
短い受け答えは両者の間で完結しており、傍のシエナとフォードには理解ができなかった。
ジルは颯爽と扉の向こうへと出て行き、ローレンは普段と変らぬ様子で無表情のままそれを見送った。
「ローレン、今のは」
心配そうな視線を投げた二人に、ローレンは微かに首を振った。子供は口の端を持ち上げ、曖昧に微笑んだだけだった。
宿を出たジルは、宵の街を大股で歩いていた。
先程まで始終浮かべていた笑みは無い。何を考えているのか分からない、感情の失せた横顔で歩き続ける。
そうして、いくつもの路地裏を横断したしなやかな足が突然ぴたりと止まった。
ジルは前を見つめたまま、固い声音を搾り出した。
「金一枚、なんて高く出たもんだな」
朗々としたジルの声が、真っ暗なわき道に響き渡った。
「あれほどの生気を纏う不死者なぞ、滅多に見ぬ」
反響した言葉に呼応するかのように、押し殺したような男の声が返答を返した。
同じ姿勢を保ったまま、ジルは横目で声の主を睨み付ける。
闇夜から現れたのは、異国の服を纏った背の高い男。
「貴様を追って来て見れば、良い土産が見つかったというもの」
「いつもながら悪趣味をお持ちだな、お前の主は。商人どももお得意様のお遣いには何の疑問も持たないようだし、全く呆れちゃうね」
程よい緊張感の中、二人の口は閉ざされることがなかった。片方が何かを言えば、もう片方が対抗するかのように言葉を紡いだ。
不毛な争いにジルは息をつき、ようやく男に振り向いた。
「狙うのは俺だけでいいだろ。他に手出しをするな」
「命令を下すのは主のみ。貴様の意思なぞ関係無い」
一蹴されることは分かっていたため、ジルは失笑した。先程まで男に向けていた敵意はもう見えない。しかし、突き刺すような眼光を秘めた鋭い視線はそのままだった。
「ならば俺は全力で抵抗する。たとえお前と刺し違えようともな」
男は冷たい眼差しでジルを眺め、袖口に手を入れる。
「その方が良い。――砂漠を抜けるまでは、手出しはせぬ」
そうして音もなく闇の中へと姿を消した。
一人残されたジルは、道の片隅で佇んだままだった。
見つめる先は、男が数十前までいたであろう場所。じっと何かに耐えるように、痩身の影は動かなかった。
「……相変わらずの馬鹿、だな」
ぽつりと呟かれたそれは、まるで魂が抜けたかのように弱々しかった。
第五十五話:東へ…END
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