異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
第七章 王国の守護獣
第五十二話 Presentiment
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いつものように宿屋で缶詰めになっているシエナは、先日訪れた街で読んだ資料を書き付けたメモを見つめながら考え事をしていた。
同じように机に向かっているフォードは、彼の思案の邪魔をしないよう静かにペンを走らせている。とはいっても彼は彼で熱中しているため、部屋の中には奇妙な沈黙が保たれていた。
紙上を擦るペン先の音だけが響き、しばらく経った頃。
気の抜けた長い溜息が漏れた。
「知恵熱でも出ましたか?」
ずるずると背もたれに寄り掛かっていくシエナの背中を笑いながら、フォードは手を止めた。
シエナは大きく伸びをし、訳の分からない声を上げながら机に突っ伏した。
「まあね。色々と分からないことだらけなんだ」
「フリードリヒさんが言っていた王国の守護獣のことですね?」
微笑んでいたフォードは神妙な顔付きになった。
前の街では沢山の出会いがあったが、良い思い出ばかりでもなかった。フォードの脳裏には、きっとあの黒の司祭の嘲笑う声が木霊していることだろう。
シエナはそれに気付かない振りをして、話の続きを促した。
かつて西の大地一帯を治めていた王国。
今では俄かには信じられないのだが、その亡国ではとある魔物が守護獣と呼ばれていた。異端審問会が思想を各地に浸透させる前のことなので、古く歴史を重んじている町や田舎では守護獣への信仰はいまだに熱い。
伝説の片鱗と化しているその魔物は、一説によると王家の隣人であったとも、王の車を引いていたとも言われている。
街の図書館で見つけた王国の国旗の絵柄にもその魔物の姿が描かれており、人間達とどれほど密な関係であったのかを物語っている
シエナはその魔物を辞典の中でも見たことがあった。
向かい合った一対の獣。鋭いくちばしに雄々しき翼は猛禽類を思わせ、引き裂かんばかりの鉤爪の生えた四つの足は獅子を思わせる。
魔物の名は、グリフォン。
「この本は多分、王国滅亡前に書かれた物だと思う。今の時代にこんなもの出版できないからね」
無造作にページを開き、シエナはグリフォンの欄を見つめる。
憶測だけで書かれていることが少なくはない説明文の中で、この魔物は特に殆どが伝説や伝承で書かれている。要するに、実際に見たことがあるものは皆無であるということなのだろう。
「どうして彼らが守護獣とまで言われるほど、人間達と接することができたのか。僕はずっとそれを考えているんだ」
メモと見比べてみても、似通った情報が幾つか重なっている。手掛かりにはならないだろう。
シエナは息をつきながら、頬杖をついた。
「思ったのですけれど、その本って一体どなたが書かれたのですか? 魔物のことを熱心に調べている人間のようですから、会えば何か分かるかも……」
「僕も旅する前にそう思ったんだけどね。見てみてよ」
渡された世界魔物辞典を手に取ったフォードは促されるままに裏表紙を開いた。
――東の地にて記す。
彼は赤い瞳を瞠目させた。
たった一言だけが、最後のページの下段に書かれている。色褪せている紙の質は相当悪いらしく、書かれていたのであろう著者名などは擦り切れて見えなくなっている。
「これ、だけですか?」
「見たまんま」
苦笑しながらシエナは窓から景色を眺める。
土で固められ、砂に晒される街。ここより東に行けば、西の大地を出ることとなる。
「だから東へ向かっていたのですね」
本を机に置いて肩の力を抜いたフォードは、シエナに倣って同じように街を見下ろした。
「たまたまだよ。北の山もローレンが育った街も、僕の故郷から東側にあったからね」
旅に出たのに、明確な目的地が無かった。シエナはあの頃の自分が随分浅はかだったとつくづく思っている。そのおかげで、フォードやローレンに会えたのだが。
西の大地の中で手掛かりになりそうな場所はもう調べ尽くしていた。元々、世間に疎いシエナには数える程度しか浮かばなかったし、何よりこの地方は異端審問会の直轄地である。広く深く知るには、あまり適切な時ではないのだ。異端者の弾圧が広まっている現状では、魔物達に実際会うことは難しいだろう。
東への旅は命懸けだが、それ故に審問会の勢力も及んでいない。
「今はこの本のこともあるし、グリフォンの発祥の地が東の山間部だって伝承に残っている。東に行けば何か分かるかも知れないよ」
シエナは一言一言噛み締めるように言った。
じっと外を見つめる彼を、フォードは黙って見ていた。
二人は短い休憩を終え、再び作業に戻ろうかと思い始めた頃。
不意にシエナが部屋の中を見回した。
「そういえばローレンが帰って来ないね」
いつもならばどんなに静かでも、振り返ればローレンが部屋の隅に座り込んでいる。その光景が当たり前のものとなりつつある彼らにとって、少し手狭な客室が何となく寂しいように感じた。
フォードは表情を曇らせ、子供の出て行った扉を見た。
「……何かあったんでしょうか」
独白にも近い呟きに対し、シエナは何も言えなくなる。
街に入ってから宿までの短い距離の中で、彼は治安の悪さを目の当たりにしていた。フォードやローレンに止められていなければ、無理にでも仲裁に入ろうかと思う場面にも遭遇している。
それらを思い返してしまうと、ローレンもまた何かに巻き込まれたのではないかと悪い方へと考えてしまうのも無理はなかった。
沈む気持ちを振り切るように、シエナは再び窓辺に歩み寄った。
縋るようにカーテンの裾を握り締めて、宿の正面の道を見る。シエナは驚いたように声を上げた。
「フォード、ローレンだよ!」
泊まっている宿の玄関口まで送ってもらったローレンは、袋を抱え直して顔を上げた。
楽しげに細められている空色の目が彼を見守っていた。
「今日は色々ありがとうございました、ジルさん」
「人並みなことしかしてねぇよ」
苦笑を浮かべる相手を見上げながらローレンは手を差し出した。
季節外れの手袋に隠された細い手を、長髪の青年――ジルは臆することなく握り返した。
「しばらく街にいるのか?」
ジルは宿を眺めながら問う。ローレンは頷きを返し、袋を持ち上げて見せた。
「東に行く準備が終わり次第、出て行きますけれどね」
「そっか。俺も旅の途中だけど、また何処かで会えたらいいな」
裏表の無い晴れやかな笑顔を浮かべられ、つられてローレンも笑う。
二人はもう一度握手を交わし、それぞれ背を向け合った。片方は宿の中へと、もう片方は日差しの強い街中へと舞い戻るため。
穏やかな空気は名残惜しかったのだが、それぞれに帰る場所があることは互いに理解している。
だからこそローレンは再会できることを望んだ。
出会ってまだ半日も経っていない他人に、ここまで心を開くことは今までなかった。シエナ達と共に旅するうちに、自分の懐が随分と広くなっていることを嫌でも自覚させてしまう。
「ああ、忠告を一つ言い忘れた」
感慨深いものを感じていたローレンは、去ったはずのジルから声をかけられ慌てて振り返った。
一オクターブ低くなった声音は、遠くの喧騒さえも聞こえないくらい良く聞こえた。
「次に会えるよう、部屋の四隅に注意しておきな」
一瞬何を言われたか理解ができなかったが、真剣な眼差しを送るジルに気圧され頷く。
するとジルは再び表情を崩し、踵を返した。
片手をひらひらと振りながら砂塵に消えていくジルの背中を、ローレンは呆然と見送った。
階段を下りてきたシエナとフォードは、じっと外を見ているローレンに慌てて声をかけた。
「ローレン、今の人は?」
驚いているような少年の声に気が付き、ローレンは微かに瞠目した。
心配をかけないようになるべく早く帰ってきたのだが、どうやら時間切れだったみたいだと子供は困ったように笑った。
「ちょっと助けてもらってね。わざわざ送ってもらったんだ」
口には出さないものの相当気を揉んでいたフォードは、肩の緊張が一気に弛んだのか嘆息にも似た安堵の息を吐き出していた。それを横目で見てしまったローレンは、申し訳無さそうに謝罪を口にした。
シエナは無事な姿を確認できたため特に何も言わなかったが、話をするローレンを嬉しそうに眺めていた。
「とにかく、お帰りローレン」
「ただいま」
優しく手を差し伸べてくれる二人に、ローレンは言い馴れない挨拶を照れ臭そうに呟いた。
部屋に帰る二人の後を付いていくローレンは、一度だけ振り返った。
眩しすぎる太陽が焼き付ける道には、もう誰の影も見えない。
第五十二話:Presentiment…END
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