異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
 第七章 王国の守護獣

第五十一話 鷲色の鬣
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 薬局を出たローレンは、すぐ近くの路地で起こっている喧嘩の怒声を耳にした。
 店の横に置いてある空の樽をなぎ倒し、二人の男が口論を繰り広げながら拳を振るっている。道行く人々はそれを見守るように見てはいるものの、止めようとはしない。そそくさと通り過ぎる者もいた。

 治安の悪さをまざまざと見せ付けられても、特にローレンは顔を顰めたりはしなかった。
 生きていた頃は孤児として路上に浮浪していたし、死んでからも復讐相手を探すために色々な所を彷徨った。治安の良い町なんて、このご時世では一握りでもあれば良い方だろう。
 身を持って知っているローレンは、そんな光景を日常の風景として捉えていた。
 これが同行者であるシエナやフォードであれば、何か思うに違いない。二人の根底にある似たような潔癖さを思い、ローレンは小さく笑んだ。
 ローレンは袋の中身を見下ろし、宿で顔を寄せ合い考え込んでいる少年と青年を思い浮かべた。
 早く帰らねば、彼らはきっと心配するだろう。
 少年は喧騒を避けるように、来た道を足早で戻り始めた。


 この街は、西の大地の終わりであり中央大陸の始まりに位置している。
 二つの地方を結ぶ中継都市として発展しているが、様々な種族が行き交い合い混沌としている。そのため小さないざこざは日常茶飯事である。
 だが、ここから中央大陸側に出ると荒野が幾日も続く。西から東に出る者は、必ずこの街で準備を整えなくてはいけない。だから人々は混雑したこの都市に留まり、そして流れていくのだ。
 勿論、旅を続けているシエナ達とて例外ではなかった。
 必要最低限のものしか持たない彼らは砂漠越えの準備を十分整えなくてはならず、三日ほど前から滞在していた。
 その間も、荒っぽい抗争は様々な場所で起こっていた。やたらと首を突っ込みたがるシエナの悪癖を良く理解しているフォードは、外へ行く際は注意しろと口を酸っぱくしている光景をローレンは何度も目撃している。
 自分もその悪癖に助けられた一人であるため、あまり厳しくは言えないようだったが。

 街中に漂う砂っぽい風を受けながら、ローレンは人々の間を縫うように歩いていた。
 もう秋だと言うのに、太陽に焦がされた熱い空気がじっとりと纏わり付く。
 人並みの感覚機能を失っているローレンにはその温度は感じられなかったが、黄土の空気が陽炎で揺らめいているため何となく察している。すれ違う人々も、土埃に塗れながら汗を掻いているのが目についていた。
 その度にローレンは、手袋をはめた自分の片手を眺めて、微かに息をついていた。

 少年を見る者は、いつも怪訝な顔をしていた。
 季節を問わず全身を覆うコートと手袋、それから乾いた肌に巻かれている包帯。それらは確かに普通の人間から見れば奇異なのだろう。
 火傷のように肌を侵している腐蝕の痕など他人に晒すわけにもいかないのだが、ローレンは自分を見る人の目がとにかく嫌だった。
 けれど、それは今ではさほど気にはならない。
 一人でいた時は疑心暗鬼にかかったように、皆が自分を見て顔を歪めていると思い込んでいた。
 シエナやフォードといるようになり、そんな考えはなりを潜めた。頭に無いわけではないが、気にしても始まらないのだと思い知ったからだ。

 それでも時折自分の身体が恨めしく思うのは、こうして暑さや寒さを感じられないということだ。
 もちろん、全く無いわけではない。痛覚だって触覚だって確かに存在する。
 死人がそんなものを望んではいけないのだろうが、何しろローレンは医師の子として育てられた。誰でも持っている機能が突然無くなってしまう苦痛は良く知っている。
 もしかしたら今残っている感覚も麻痺していくかもしれない。
 不死者として望まなかった第二の生を受けた自分はその時、完全に自我を失ってしまうのだろうかとローレンは不安だった。


 ぼんやりと掌を見つめていたローレンは、ずり落ちそうになった袋を抱え直すため立ち止まった。
 それがいけなかった。
「うわっ!」
 建物と建物の間から急に人の腕が現れ、ローレンは軽々と路地に引っ張り込まれた。
 袋が道端に落ちたのが視界の端に見えたが、それどころではない。
 腕を掴まれて汚れた壁に押し付けられたローレンは、腕の主を見た。見知らぬ男は商人のようだった。奥にも浅黒い肌の男が二人ほど立っており、辺りを警戒している。
 突然のことだったが、ローレンには彼らの正体が何となく分かっていた。
 彼は自分の格好と容姿をよく理解していたし、過去にも幾度も遭遇していた出来事だ。今更騒ぐことでもなかった。
「見た目の割には強情そうな目だな、小僧」
 無言で睨み付けてくる子供に、商人の男はにやりと口の端をつり上げた。
「何処の商品なのか知らないが、奴隷の分際で逃げ出すなんて骨のある奴だ。高く売れるぞ」
 ああ、やっぱり、とローレンは気付かれないよう嘆息を吐き出す。

 みすぼらしい服に、怪我を隠すような包帯、明らかに栄養失調にかかっていそうな貧相な体。死体だからしょうがないのだが、この見た目のせいでローレンは何度か奴隷と間違われたことがある。
 彼が気絶していた最中に宿を探していたシエナ達も、人攫いに間違われていたぐらいなのだから、やはりそう見えるのだろう。
 どうやら男は奴隷商人らしく、こうしてふらついている子供を攫うことに慣れているようだ。
 どうやって切り抜けようか、とローレンは冷静に男達の行動を見ていた。
 泣くことも叫ぶこともしない子供が少々不気味だったのか、男達はローレンを凝視している。このままでは埒が明かない、とローレンは掴んでいる男の手を払い除けようとした。

 その時、薄暗い路地には不釣合いな明るい声が響いてきた。
「おーやおや。白昼堂々の誘拐未遂? 仕事熱心だこった」
 男達は肩を強張らせ、声のする方を見やった。ローレンもまた、つられてそちらに顔を向けた。
 綺麗な鷲の羽根のような色をした長い髪が、風に揺れていた。
 路地に差し込む光の逆行で見難かったが、すらりと引き締まった体型から男のようだ。
 彼は不敵に笑うと、第三者の出現に唖然としている商人達を勢いよく蹴り飛ばした。
 体勢を崩したため、掴んでいた手が弛む。ローレンはその隙を見逃さず、一気に力を込めて引き剥がした。
 軽くなった腕を、白いシャツの袖から覗く指が掬い取った。
「走るぞ!」
 路地からローレンを強引に引っ張り出した男は、そのまま砂埃をたてて大通りを駆け抜けた。


 二人がようやく足を止めたのは、人気の少ない広場だった。元は公園だったろう寂れた空間は、石で積まれた家々に囲まれているため心地良い日陰に覆われていた。
 片隅に置かれたベンチまで歩み寄った男は、ローレンを無理やりそこに座らせ、隣に豪快に腰掛けた。
「さっすがに炎天下の中を走り回るのは疲れたなぁ」
「あ、あの」
 風で揺れる長髪を抑えながら掴み所の無い笑みを浮かべる彼に、ローレンは困惑した様子で声をかけた。
 男はひらひらと軽く手を振り、ややすっきりした面持ちでローレンに何かを投げて寄越した。
「君の落し物だろ、包帯君?」
 手元に戻ってきた紙袋と男を見比べたローレンは、彼が自分を助けるためにあえて路地に足を踏み込んできたのだとようやく理解した。
 呆気に取られていたローレンは途端に眉を顰めた。
 この外見のせいで侮蔑や嘲笑を受けるのと同じくらい、哀れみや同情心といった中途半端な思いやりが彼は嫌いだった。差し向けられたその感情に反発をすれば、すぐに相手は手を引っ込める。期待だけさせておいて、手に負えなくなればすぐに手放す。
 覚悟が備わっていないのに差し出される手が、どれだけ生温いものなのかローレンは良く知っていた。
「余計なお世話だよ。それを拾ってくれたことには感謝するけど、ぼくを助けたってあんたに何の得も無いよ。ぼくは奴隷じゃないもの」
 棘を含んだ言い方に、男はきょとんと見返してきた。
 振り向いた顔を初めて正面から見て、ローレンはほんの少しだけ動揺した。

 真っ直ぐな青い双眸。

 思い出したのは、振るったナイフの前に立ち塞がった青髪の少年。
 晴れ渡る夏の空の色を封じ込めた青は、シエナの持つ深みのあるものとは違う類のものだった。
 けれどローレンが咄嗟にあの少年のことを思い出すほど、彼のそれは澄んだ色合いを映しこんでいた。

「安価でもない薬を一人で買いに来るぐらいだから、包帯君は奴隷ってわけじゃないだろ?」
 黙り込んだローレンをどう思ったのか、彼は困ったように首を傾げる。
 言われた言葉の意味に気付いていないのか、あえて触れないようにしているのか、男の態度に変化はない。
 それどころか彼は目を細め、人懐っこい笑みを浮かべた。
「だってお前、生きてるって顔してたしな」
「生きて、いる顔?」
 今まで言われたことのない言葉と彼の笑顔に、思わずローレンはつり上がっていた眉から力を抜いてしまった。
 本当なら死んでいる身体。いつ崩れ落ちるかもしれない魂。不死者としての宿命を背負っているはずの自分が、生きているなんて果たして言えるのだろうか。
 男は大きく頷き、ベンチの上に立ち上がった。
 動きにつられて見上げたローレンは、焦げ茶色の髪を持つその人の王者の如き風格を感じた。
 視線に気付き、男はやはり笑いながら振り向いた。
「自分が自分を知っている顔さ」




第五十一話:鷲色の鬣…END
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