異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
 第六章 Ten years ago

第四十五話 話の最初に
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 ちらちらと揺れるオレンジ色の灯りが、黒い林の隙間で輝いていた。
 人工的な光の側には、人影が三つほどあった。中でも一番背の高い青年が、その焚き火の番をしていた。
 彼は時々長い枯れ枝で燃えている薪を混ぜ返し、酸素を取り込み易くしていた。照らし出された赤い瞳は柔らかく細められ、手元の紙面をつらつらと読み取っていた。

 フォードと向かい合って座っていたシエナが、意味深な笑みを浮かべて尋ねた。
「何が書いてあるんだい」
 顔を上げたフォードはそれに負けじと微笑みを深くした。
「それは秘密です。多分そちらに書かれている内容と似通ったものだと思いますけれど?」
 思わぬ逆襲にあい、シエナが思わず言葉に詰まった。


 それぞれが手にしている手紙は、想いを寄せられている少女から送られたものだった。
 シエナはサラから自分が送った手紙の返信を貰った。懐かしき運河の町を思わせる薄青の封筒には、彼女が今どうしているか、シエナが書いた旅の様子に対する感想が取りとめもなく書かれていた。
 逆にフォードが貰ったソフィアからの手紙は、彼女の切ない想いが綴られていた。フォードはその好意を快く受け止めたものの、告白に色の良い返事を返すことはできなかった。彼女はそれでいいのだと、笑っていたが。

 このような温かな言葉の数々を噛み締める度に、人と理解し合えることがどれだけ嬉しいことなのか改めて思い知る。
 種族が違えど手を取り合うことは不可能ではないのだと、シエナは確かに感じていた。



 焚き火から少し離れた位置にある木の根元に寄りかかり、ローレンはそんな二人を交互に眺めていた。
 知り合ってからの時間はまだ長くない。けれど浮かんでいるほんのりと熱の篭ったような笑顔の意味は分かる。
 人と歩み寄れたときに、彼らはこんな顔をしているのだ。少しだけ気恥ずかしげに、隠し切れない喜びを抱えて。
 ローレンが二人を受け入れた時にも、こんな風に笑っていたから。

 ふと視線を落としてたローレンは、自分の上にかけられている黒い外套の裾から覗いていた封に気付いた。
 季節は初秋に入り、日によって肌寒く感じる。体温調節ができないローレンを心配して、フォードは自分の上着をかけてやっていた。
 その黒衣から出てきた手紙は、紛れもなく青年のものだろう。
 ローレンは細腕を伸ばしてそれを拾い上げた。
「こっちの手紙は?」
「町を出る際、エルさんから頂きました」
 ソフィアの手紙を丁寧にしまいこんだフォードは、手渡された封筒を壊れ物を扱うような手付きで受け取った。
「君とエルさんはどんな関係があったんだい。同じ山にいただけじゃないのだろう」
 炎の向こう側から突き刺さる青い瞳は、真っ直ぐと真実だけを要求している。
 詳しくは聞こうとしなかったシエナが、今はこうしてじっと紡がれる言葉を待っている。フォードはもう逃げない決意をした。だからこその態度なのだと分かる。

 シエナにだけ打ち明けることのできた過去の話。それでも語った部分は随分と空白が多かった。意図して伏せられた部分を話す勇気は、以前のフォードにはなかったのだから。
 けれど今は違う。フォードは今なら自分でも驚くほど、静かに穏やかに語れるような気がしていた。
「シエナさんにはどこまでお話しましたっけ」
 纏う和やかな空気を崩さないフォードに、シエナは微かに眉を寄せた。
 本当は辛いだろう彼を思うと、痛々しい記憶を掠めるようなこの話題は重苦しいものに決まっている。
 それでもフォードは落ち着いた様子で、過去と向き合うことを決めたのだ。


 促されるまま、シエナは聞かされた話を思い返した。
 フォードの大切な家族。吸血鬼の侯爵であった父と母、歳離れた兄と弟と生まれたばかりの妹、彼が尊敬していた人間の青年ディラ――。
 その全てを、フォードは一夜にして奪われた。ディラの妻であった女性と、彼女が呼び寄せた異端審問会の手によって。
 そして、彼は復讐の道を選んだ。

 シエナの声が途切れたところでフォードは頷く。
「大まかには、確かにそうです」
 一旦言葉を切り、彼は隣で黙ったままのローレンの様子を窺った。
 ローレンはほんの少し戸惑ったような顔をしていた。
 シエナの最後の台詞には肩を微かに震わせたが、口を挟むことなく耳を傾けている。動揺は思ったより小さかった。
 僅かばかりに安堵の息を漏らしたフォードは、中着の胸ポケットから一つの包みを取り出した。
 ローレンの前でそれ広げてやる。小さな種がいくつか入っていた。
「これは初めてエルさんに会った際に貰った物です」
 種を覗き込んできたシエナは、訝しげに顔を歪める。
 この種とエル、そして十年前の事件の関連性が見えてこないのだ。
「何の植物か分かります?」
 フォードは微笑を崩さず、逆に問いかけた。
 言葉に詰まったシエナはじっと種を見つめるが、生憎記憶にはない。フォードと関係があるのならば彼の本に載っていたかもしれないが、こんな種は始めて見る。
 シエナはしばらく考えていたが答えは浮かばなかった。
 ローレンにも聞いてみるが、彼もまた不思議そうに首を傾げている。

 答えられない二人に笑いかけ、フォードは広げた包みを手元に寄せる。
「これは白詰草。高原では別段珍しくもない花ですが――」
 ふと黙り込み、彼は自分の膝の上に包みをそっと乗せた。フォードは懐かしげに目を細める。
「……これから話すことは、もしかしたら二人に軽蔑されるかもしれない。けれどこれが私の真実です。もう、隠すことも否定することもしません」
 それでも聞きますか、と試すように彼は言った。
 シエナは力強く頷いた。ローレンはやはり沈黙を保ったままだったが、フォードへ向けた視線を逸らさなかった。

 薄い月明かりの下で、銀髪の吸血鬼は静かに語り出した。
 頑なに封じていたあの日の記憶が、輪郭を伴って蘇り始める。




第四十五話:話の最初に…END
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