異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
 第五章 幸せの形

第四十四話 幸せの形
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 シエナは宿に帰ってきてからローレンに自分の素性、それからフォードの素性を掻い摘みながら話した。
 フォードが吸血鬼だということを受け入れた彼は、シエナが人魚だということにも何故か納得した様子だった。
 怪訝に思ったシエナが尋ねれば、「声にとても存在感があったから」という気恥ずかしい返答があった。

 紡ぐ音色が清らかならば、生み出す言葉は精彩を増す。人魚の歌が魔力を帯びるのも、その美しい声があるからこそじゃないだろうか。
 そう言ってローレンは、小さく笑ってくれた。
「ぼくはシエナの声、嫌いじゃないよ」
 小さな子供の言葉に、シエナの方こそ救われる思いがしていた。

 長い緊張感が途切れたせいか、その後の三人は互いに警戒することもなく泥のように眠りに付いた。
 とても安堵に満ちた、夜だった。



 + + + + +



 あれほどの騒動が嘘のように、穏やかな朝は変わらずにやって来る。

 昨朝と同じような動作を繰り返し、シエナは黙々と作業を進めていた。フォードは相変わらず突っ伏したまま、訳の分からない呻き声を上げている。
 変わらない光景の中、昨日と違うのは部屋の住人がもう一人起床していることだった。
 ローレンはシエナよりも早くに目覚めており、起き立てのシエナに呑気な挨拶を投げかけてきた。
 それは物凄い進歩だという実感を、シエナに持たせるには十分なもので。彼は朝から上機嫌な様子だった。

「ここ、しばらく消えないのかな」
 崩れた包帯を巻き直しながら、シエナは眉を少しだけ寄せた。
 ローレンの首筋には昨夜絞められた痕がくっきりと残っており、土気色の細首の痛々しさに拍車をかけていた。
「……不死者って、再生能力ないんでしょう? 薄くはなるだろうけれど、多分、消えないだろうね」
 自分の身体を見下ろしながら、ローレンは溜息を吐いた。

 包帯を留める手に篭った力に気付き、ローレンは顔を上げた。
 シエナは眦を歪め、じっと首筋を見つめていた。
「シエナのせいじゃないよ。そんな顔しないでくれない?」
 きつい物言いに、はっと視線を上げる。しかし台詞とは逆に、ローレンの表情は柔らかいものだった。
 気にするな、と言いたいのだろう。
 子供のそんな気遣いに、シエナは無理やりだが笑顔を作った。
 泣き笑いのようなそれに、ローレンは何も言わず微笑み返してくれた。



 部屋の扉が叩かれたのは、二人の少年が起床してから数十分ほど経った頃だった。
 時計を眺めたシエナは、従業員が朝食を持ってきたのだと察した。
 昨日はこの時間に目覚めていたフォードだが、依然と毛布に包まったままだった。どうやら意識は浮上しつつあるようだが、体の方は寝足りないと訴えているように見える。久しぶりに魔力を放出したせいもあるだろう。
 シエナは仕方なく、一人で廊下に顔を出した。

 そこに立っていた見知った顔に、彼は一瞬だけ言葉に詰まった。
「あ、の、朝食をお持ちしました」
 困ったように顔を伏せて、ソフィアは盆を差し出した。
 ノブを握ったままだったシエナは、慌てて扉を足で止めて朝食を両手で受け取った。

 零れないように体勢を整えるシエナを、ソフィアは黙ってじっと見つめている。
 気まずい沈黙の中、彼女は他愛もない話題から切り出した。
「本当に二人分でいいんですか?」
 ソフィアは盆を指し示しながら、心配そうにシエナの肩越しを見た。
 視線の先には室内の廊下が続き、彼女が奥の居間とベッドルームを気にしていることが分かる。

 食事のできないローレンのことで、昨晩も夕食時に従業員に怪しまれかけた。
 しかし今のソフィアが気にしている存在は彼ではない。戸惑いで揺れる眼を間近で覗いたシエナには、痛いほど伝わった。

「フォードならまだベッドの上だよ」
 何気なく言ってみれば、ソフィアは目を丸くしてシエナの方に向き直った。
 図星を指されたような気がしたのだろう。彼女は頬をほんのりと赤らめた。
「……やっぱり、昨日の疲れが?」
 恐る恐るといった様子でソフィアが顔を上げた。
 深刻そうに尋ねてくる彼女と、重苦しく呻き声を上げているフォードの対比が妙におかしく、シエナは不謹慎だと思いつつも小さく笑ってしまった。

 訝しげに首を傾けたソフィアに、こっそりシエナは耳打ちした。
「元からフォードは低血圧なんだ。そりゃもう寝穢いの何のって」
 再び含み笑いを浮かべてしまうと、案の定少女は呆気に取られたように瞬きを繰り返していた。
 まさかあのフォードが、とでも思っているのだろう。
 シエナもまた、初めてその習慣を発見した時は同じような感想を抱いた覚えがある。
 そしてその時に自分が思ったことは、ソフィアにも分かってもらえるだろうと漠然と感じていた。

 目の前の少年が、少しだけ表情を変えたことにソフィアは気付く。先程までの悪戯っ子のような笑みとは違う意味を持つ、見守るような眼差しがじっと自分を注がれた。
「見た目だけじゃ分からないものなんだよね。内側も、外側も、フォード自身なのに」
 ソフィアは瞠目したまま、青い瞳を見返した。


 ずっと不思議だった少年。
 吸血鬼としての本性を目に焼き付けたというのに、必死になって止めようと声を荒げた。一緒に旅する青年が魔物であっても、動じることなく受け入れた。

 けれどそれは決して特別なことではなかったのだと、彼女は唐突に理解した。
 たった一人の親友を助けるために無茶をした自分。彼女が魔物であると知った今でも、大切な存在だと言うことができた自分。
 そんな自分と、シエナには何の違いがあるのだろうか。
 
 ソフィアにとってエルがエルであるように、シエナにとってもフォードはフォードなのだ。


『だから、そういうこと』


 親友の言葉が、そしてその答えを導き出させた自分の言葉が不意に蘇る。
 ソフィアにとってのフォードも、やはり自分が見て感じた一人の男性であり、吸血鬼という魔物の枠は端から存在していない。
 彼は、彼なのだから。



 ソフィアはポケットから一つの封筒を差し出した。
 突然の事にシエナは思わず、彼女の手の中の物を凝視してしまう。
 桜色の模様が描かれた封筒は、エルの雑貨屋の物なのだと実際に使用したことのあるシエナは察した。
「あ、あの! これをフォードさんに渡してくれませんか?」
 律儀なお辞儀をしながら、ソフィアは懇願した。

 両手が塞がっているシエナとしては、受け取ろうにも受け取れない。どうしようかと辺りに視線を這わせていると、下から盆をひょいと奪われた。
 手袋をしている小さな手の主は、シエナに目配せをしながら盆を奥へと持ち去ってしまった。
 思わず振り返ってしまっていたシエナは、ようやくソフィアと向かい合った。力む彼女の手元からそっと封筒を抜き取る。
 触れたその手は、微かに震えていた。

 運河の町で別れた少女が、微笑みながら耐えていた震えをシエナは思い出す。
 嫌いになったわけじゃないといって、また会おうと言ってくれた友達。彼女へ送った手紙には、ありったけの思いを書き綴った。
 あの手紙は、彼女に届いただろうか。

 そっと肩に触れ、シエナはソフィアの顔を上げさせる。
「必ず、届けるよ」
 少年は笑って承諾をした。



 駆けて行ってしまったソフィアを微笑ましげに見送り、シエナはそっと扉を閉めた。
 それからすぐに、ベッドルームに赴く。
 ちょうどローレンが盆を置き、二人分の紅茶をカップに注いでいるところだった。サラダと焼き立てのパン、それから小さめの水差しがテーブルに並んでいる。
「ありがとう、ローレン」
 自然と笑みが零れるシエナに対し、ローレンは小声で素っ気なく「別に」と答えた。

 フォードはというと、やっと上半身をベッドから持ち上げていた。しかし頭の中が未だに不鮮明なのだろう、眠たそうな瞳がシエナに向けられる。

 こうなれば覚醒は早い。
 思うや否や、シエナは貰った封筒の端を摘み、彼の端整な顔に失礼ながらそれをぺしんと押し付けた。
「ソフィアさんから。ほらほら、さっさと読む」
 衝撃とその言葉で、フォードは慌ててベッドから起き上がった。



 + + + + +



「それで、何て書いたの」
 エルは面白そうに、看病してくれているソフィアに向かって聞いた。
 彼女はやや恥ずかしげにはにかみ、りんごを剥いていた手を休めた。
「正直に答えることにしたの。あたしの気持ちとか、フォードさんに対する想いとか」
 自室に帰ってきてから、今朝方までかかった文章を思い出しながらソフィアは目を瞑る。

 魔物だということに驚き、始めは怖かった。けれど苦しそうな叫びも、哀しげな横顔も、自分は見てきた。だから貴方のことが嫌いになれるはずがない。
 その気持ちをぶつけるように、ありのままの自分を書き留めた。
 彼のことを、好きだという気持ちも。

「あたしはやっぱりあの人の支えになれる存在じゃないと思うけれど、でも、それでいいの。今は全然悔しくない」
 ソフィアは晴れ晴れとした顔付きで、再び果物ナイフを動かした。

 エルは彼女の温かな表情を見て思う。
 結ばれないからといって、誰が不幸せだと決めたのだろう。きっと誰にも、幸せの定義は決められないはずだから。





 程無く、エルの雑貨屋に再び銀髪の青年が訪れる。
 そして全く同じ質問をするのだ。
 ――「私よりも少し年下の女の子が好きそうな柄は、どれでしょうか?」 と。

 彼がどんな返事を書いたのか予想はついていたけれど。
 涙ぐみながらも大切そうに手紙をしまったソフィアを、エルは生涯忘れないだろうと思った。




第四十四話:幸せの形…END
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