異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
 第五章 幸せの形

第四十二話 長い夜が終わる -1-
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「まぁ十分楽しめたからねぇ。フィル家の坊ちゃんに免じて帰りましょう」
 厳かに返答を待つフリードリヒを一瞥し、ハーヴィは踵を返した。
 するりとローレンの体が解かれ、倒れ伏していた黒装束の人形は静かに立ち上がっていく。

 審問官が発した単語に促され、ローレンの朦朧としかけた意識が急速に戻る。
 ハーヴィの顔を窺い、それからすぐに視線の先にいる人物を辿る。勇ましい佇まいの彼の従兄が、凛々しい姿を晒していた。
 ローレン自身がなれなかった、人徳高きフィル家の長としてフリードリヒはこの恐ろしい司祭と相対している。
 本当は臆病な性格なのに、と彼は苦笑を零した。

 ハーヴィと木偶人形の影に隠れているローレンの姿は、フリードリヒの視界には正確に入っていないようだった。
 あそこにいるのは正当なるフィル家の血を受け継ぐ立派な青年なのだから、今は余計なことを考えさせたくない。
 ローレンは青年が自分に気付かないことに、奇妙な安堵感を覚えていた。


 相変わらず不気味なルージュを光らせ、ハーヴィは首だけを振り向かせる。
 視線の先には、シエナとフォード。
 彼等のことを無言で眺めた黒の司祭は、再びフリードリヒを見た。

「あのお嬢さんが魔物だとしても、キミは庇い立てしますか?」
 限りなく真実に近い言葉に、フォードは背中を震わせた。
 エルが魔物だということは誰よりも知っている。ここで正体をばらされれば、異端審問会に正当な理由を与えかねない。

 しかしフリードリヒは顔色を変えることもなく、きつい眼差しのまま司祭を見た。
「だとしても貴殿に関係はない。この地は昔から王国の守護獣の膝元。我等にとって魔物は、神にも等しき崇めるべき対象だ」
 淡々と告げた言葉は、この地に昔から伝えられている伝承の片鱗だった。
 その中には彼自身の本音も含まれていることだろう。
 フリードリヒは、殺した相手が不死者となり目の前に現れても、決して隔たりをもたなかったのだから。

 ハーヴィは面白くもなさそうに鼻を鳴らし、闇に吸い込まれていくように人形を引き連れて消えていった。
 そして広場から、薄暗い空気も払拭された。




 人々の輪を眺めれば、エルがソフィアと共に診療所へ運ばれていくところだった。
 視線に先に気付いたのはエルで、痛ましい身体を持て余しながらも明るい笑顔を見せてくれた。
 ソフィアも慌てて振り向いたが深々と一礼を返し、担架の上のエルに付き添って行ってしまった。


 人々が控えめな歓声を上げる中、シエナとフォードは急いでローレンの元へと歩み寄った。
 心配そうに覗き込んでくる青と赤の瞳に晒され、ローレンは小さくはにかんだ。
「足手まといでごめん」
 しおらしく謝られ、二人は顔を見合わせた。
 特にフォードは素直な一面を見せられて、面食らった様子だった。
「ううん。何ともない? 僕の方こそ、勇んできては見たものの何もしていないし」
 軽口のようにシエナが笑うと、自然と穏やかな空気が流れ始めた。

 地べたに座り込んだままのローレンをフォードが抱き上げかけた時、子供の身体が一瞬強張った。
 自分に対する恐怖心からかと思ったフォードは、向こう側から寄ってきたフリードリヒを視界に入れた。
 反射的に彼は、返してもらった外套を着込み、ローレンを背中に隠した。

「旅人さん、またご迷惑おかけしたようですね」
 さっきまでの貴族めいた姿は既に消え、気さくな青年はシエナに話しかけた。

 フリードリヒはちらりとフォードを見たが、幸い背後に隠されているローレンには気付かなかった。
「いいえ。皆が無事になれればそれで良いんだ。それに僕も、追い払うのはいいけれどその後で町の人が酷い目に合うんじゃないかと思っていた」
「違います、旅人さん」
 フリードリヒは緩やかに首を横に振った。
 きょとんとするシエナに対し、彼は苦笑を浮かべる。
「貴方の行動や宿の娘さんの言葉で、皆はここに来ようと決意した。俺はその話を聞いて、今まで避けてきたフィル家の権限を使うことを決めた」
 だからそういうことです、と事も無げに彼は言った。



 広場に人影が耐えた頃、後ろで燻っていた聖火の灯りも消え入りそうになった。
 フリードリヒがエルの治療に当たるために去った後、ローレンはしばらくフォードの後ろから出ようとはしなかった。手袋に覆われている子供の手は外套を掴んだままだった。
「大丈夫ですか?」
 それは、フォードからローレンへ初めて送られた気遣いの言葉だった。
 今まで明らかに壁を作っていた青年の発した優しげな声に、子供は呆気に取られた。

 思っても見なかった表情を浮かべられ、フォードもまた微かに動揺する。
 見詰め合ったまま固まってしまった二人を見て、シエナは思わず噴き出しそうになった。
(不器用なんだよね、フォードもローレンも)
 二人の共通点を見出しながら、シエナは湧き上がる喜色を押さえきれずにいた。


 しばしの沈黙の後、慌ててローレンは手を放した。
 気まずげに視線をうろうろと彷徨わせ、俯きがちな頭をさらに下へと向けてしまう。
 子供の幼い仕草は、やはりフォードの記憶を刺激した。同時に、彼が何を戸惑っているかもすぐに理解することができた。
 それは、寂しさよりも懐かしさを思い出させて。

 彼の手は自然とローレンの頭に伸ばされた。
「無事で、本当に良かった」
 息が通ったかのように、穏やかな安堵の息がフォードから漏れた。


 与えられた大きな掌の温もりに、ローレンははっと顔を上げた。
「私は貴方を亡くした弟と重ねていました。そんな自分が嫌で、けれどまた守れないのも嫌で――」
 フォードの落ち着いた声音が震えているように感じる。
 それはシエナを追うべく走り出せなかった時と同じように、頼りないもので。

 咄嗟にローレンは下ろされたままの片手を握り、首を振った。
 見開く赤い瞳には、冷たく突き放すような棘はもう見当たらない。青年が自分を受け入れてい暮れたのだと、ローレンは悟っていた。

「ぼく、フォードさんが魔物だって言われても何とも思わなかった。ぼく自身が魔物になったからじゃなくて……その」
 途切れ途切れに紡がれるたどたどしい台詞を、二人は黙って聞いていた。
 既に死者の身である彼の身体には熱が宿っていない。それでもシエナこの時、生きていればローレンの顔が紅潮していたことだろうと思った。

「あんなに必死で、ぼくのために怒ってくれた人って初めてだった」
 ぎこちない笑みはまるで泣き笑いのようだったけれど。
「嬉しかった、から……ありがとう」
 確かに、心底から向けられる偽りのない笑顔だった。




第四十二話:長い夜が終わる -1- …END
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