異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
 第五章 幸せの形

第三十八話 エルヴィーナ
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 後ろに庇った少女の安否を確認し、フォードはそっと溜息を吐き出した。
 郊外へ出た瞬間、彼は暗闇の中に飲まれていくソフィアの姿をしっかりと視認した。
 そのまま勢い余って飛び出してきてしまったが、功を奏したようで安心した。

「相変わらず、趣味の悪い物を従えていますね」
 愚痴りながらもフォードは押さえ込んでいた四つの腕を引き込む。彼らは勢い余って前方へのめった。
 体勢が崩れた瞬間を狙い、渾身の力を込めて蹴り上げた。
「ソフィアさん、下がって!」
 後方を遮っていた者達は、割り込んだときに倒したのだろう。ソフィアが促されて振り向けば、群れていたはず黒服は全て地に伏せていた。



 突然現れた青年に呆気に取られていたハーヴィは、再び唇を歪める。
 酷く楽しげな、歓喜の表情がそこにあった。
「これはこれは……まだ生き残りがいたのですねぇ。しぶとい種族だ」
「黙れ! 殺されたくなければ、早くエルさんを解放しろ」
 フォードは搾り出すように叫んだ。

 いくら虚勢を張っていても、外套の中で震えている拳は止められようもない。
 子供の頃の記憶が鮮明に蘇ってきているフォードにとって、目の前の司祭の存在は脅威に他ならない。
 それでも立ち向かわなければという義務感が、彼を懸命に奮い立たせていた。


 昼間とは違い、猛々しい表情を見せるフォードに困惑しながらも、ソフィアは彼の肩越しからエルの様子を窺った。
 彼女は悔しげに唇を噛み締めて、対峙している二人を見ていたが、少女の視線に気付き安堵の笑みを小さく浮かべた。
 普段と変わらないように見えるそれは、確かに切羽詰ったものだった。
 事態は好転していないのだと、ソフィアに告げるには十分なものだった。

 少しだけふらついた少女の肩を、少年の手が掴んだ。
 驚いて振り向けば、緊張した面持ちのシエナがじっと前を見据えていた。
「しっかり立っていて」
 フォードの足手まといにならないよう、と念を押されるように言われ、ソフィアは無言で頷く。
 嫌な汗がじっとりと背中を伝った。

 ふと視線を感じ、彼女はシエナの腰元を見た。
 彼が宿に連れていた小さな子供が、自分のことをじっと見上げている。
 こんな子供まで連れてきたのかと思わずシエナに尋ねようとしたが、肌を刺すような気配に気付き、顔を持ち上げた。

 闇が渦巻くように、轟いていた。
 それは夜の王者として君臨する吸血鬼のに惹かれたのか、辺りの気温がさらに下がったようにも感じられた。
 フォードの背中を見ていたシエナは、彼の周りに魔力が集まってきていることを悟った。
 魔物となって日が浅いローレンや生粋の人間であるソフィアも、生物の本能が警告を出したのか、張り詰めた空気に気圧されていた。
 この空気を一度味わったことのあるシエナは、生唾を飲み込んだ。


「今のうちに、エルさんを」
 身に刻まれた恐怖が、逆にフォードの頭を冷静にさせた。
 後ろに追いついてきたシエナとローレンの気配を確認し、硬い声音で促した。
 目的を優先させなければと、第一に考える。
 目の前の司祭がどんな手を使ってくるのか、分からないわけではなかったから。
「気高い種族だといっても、やはり仲間意識は強いようですねぇ」
「何……?」
 ハーヴィは法衣の奥で嘲笑う。
 怪訝に思ったフォードは、視線だけを横に流した。


 エルが自分について何かを知っている風であったことには気付いていた。
 しかし、彼女自身からは何も感じなかった。
 同族であるのならば、必ず気付く。ましてやハーヴィの裁いた十年前、シュタイト山に彼女の姿はなかったはずだ。


 一瞬だけ疑問符を浮かべたフォードに、ハーヴィは鼻で笑う。
 エルの元へと向かった人影を眺め、それから側に控えていた黒服達に指示を出した。
「火を、入れなさい」
 淡々としながらもどこか楽しげな命令に、青年の目が怒りに燃えた。
 ハーヴィはそれを可笑しそうに見上げ、ルージュを塗りたくった唇を吊り上げる。
 幼い頃と同じそれに、無意識にフォードの身体が戦慄いた。開いた口からは制止の叫びが飛び出した。

 周りにただ立っていた影たちが、篝火を持ち上げた。
 フォードの掛け声に従い、エルの元へ向かっていた三人はその動作に驚く。
 何せ、彼らは今まで同胞を倒されても身動ぎしなかったのだ。それがハーヴィの一言で揃って動き出す。
 シエナの中に違和感が生じたが、今はそれを気にしている余裕はなかった。
 このままでは、エルの火刑は間逃れない。
「エルっ!」
 ソフィアが必死に手を伸ばした。
 それはすぐさま黒服達の身体に阻まれ、少女の手は虚しく宙を掻く。
 どうにか前へ進もうとするものの、彼らの冷たい身体は彫像のように立ちはだかる。

 絶望感に追い討ちをかけるように、ハーヴィの嘲笑が覆い被さる。
「おやおや、種族も違うのに必死ですね。そんなに見せ掛けだけの友達が大事なのですか?」
 エルの元へ向かおうとするフォードの足止めをしながらも、余裕の表情で言葉を紡ぐ。
 必死に止めさせようとフォードも攻撃に転じるのだが、前方で阻まれている三人の姿が目に入るため焦りの色が濃くなってきていた。

 ハーヴィの言葉に、ソフィアは伸ばしていた手を僅かに緩めてしまった。
「種族が……違う?」
 呆然とした表情を見せた少女に、シエナが慌てて叱咤する。
 だがそれは、一寸遅かった。
「きゃああああ!」
 つんざくような悲鳴が夜の空に響き渡った。

 足元の薪に、舐めるように火が移っていく。
 ソフィアは半狂乱になり、泣き叫びながらエルの方へと手を伸ばす。
 完全に混乱している彼女を遮っている影達を何とか退かそうと、シエナは躍起になってもがいた。
 ローレンはただその炎に絶句し、括られた女を見上げる。エルは声も漏らさず、ただ痛みを耐えるように顔を歪めていた。
「エルさんっ! ソフィアさん!」
 見ていることしか出来なかった青年もまた、痛々しい声を上げた。
 広がる赤い炎は、全てを奪ったあの日の劫火のように思えた。その火種を持ち込んだのも、目の前の黒の司祭だった。


 憎しみを込めて相手を見れば、ハーヴィは相変わらず笑っていた。
 狂ったように高笑いを響かせ、艶めかしい唇を舌なめずりした。
「そうですよ、お嬢さん。彼女は人間じゃない。十年前に取り逃がしたエルヴィーナという名の化け猫さ!」
 通達された刃に、四人の身体が強張った。

 フォードはエルを凝視した。その名を聞き、彼の中で彷徨っていた答えの無い点が、一つに繋がった。
「魔、物……?」
 涙で濡らした頬をそのままに、ぽかんとソフィアは燃えていく十字架を見た。
 エルは苦悶の表情を浮かべ、歯の奥を噛み締めていた。




第三十八話:エルヴィーナ…END
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