異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
 第五章 幸せの形

第三十六話 再来する悪夢
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 すっかり日の落ちた町並みは昼間とは打って変わり、底無しの迷宮のようだった。
 この町に来て以来、様々な出来事が引き起こった。
 しかし、シエナはいまだ滞在二日目である。未開の地であることには変わりなかった。
 そんな中でソフィアを追うことは容易ではない。
 大通りは郊外へ繋がっているはずだが、地元の人間である彼女が裏道を使う可能性は高いはずだ。
 シエナは、ただ通り沿いに辿っていくことしかできない自分を歯痒く思った。


 暗い夜道を見つめれば、闇の色をした外套の青年が思い浮かぶ。先程言い放った言葉の数々は、彼の心中を確かに抉ったことだろう。
「……きついこと言った、よね」
 今更撤回のできないそれらに、シエナは少しだけ目を伏せる。

 後悔はしていなかった。遅かれ早かれ、フォードに改善が見られなかった場合には言ってしまうだろうと予感していた。
 それでも辛く思えるのは、優しくも頑なな青年の感情が大きく揺さぶられていたあの瞬間に発言してしまったことに対してだ。
 タイミングを見誤ったのかもしれないと、シエナは自責の念に駆られる。
 成り行きで飛び出してしまう自分は、確かに愚かなのかもしれない。
 シエナは走る速度を緩め、とっぷりと夜に浸った街角をぼんやりと見つめる。

 ソフィアは見つからない。この道が、郊外に続いているかも確証が無い。弱々しい瞳の中に困惑を浮かべていたフォードを置いてきてしまった。小さな身体で耐えるように怯えていたローレンを一人にしてしまった。

 次から次へとシエナの中に、不安は押し寄せてきた。
 走っていた足は歩みへと変わり、何番目かも分からない角の手前ではついに止まってしまった。
 途端に響いていた足音が消え、無音の空間が辺りを制する。
「……やだな。僕って、かなりの考え無しじゃないか……」
 馬鹿なことをと呆れていたフォードの顔が脳裏を過ぎった。

 彼の手を拒絶してまで出てきたのに、ソフィアとエルを見つけられる保障はどこにもない。道に迷っている間に二人とも裁かれてしまうかもしれない。
 第一、見つけ出せたとしてもどうやって助ければいいのか。
 その場に行けば何かしらできることがあると信じていた先程までの自分を、浅はか過ぎるとシエナは罵りたくなってきた。
 見なれない町の闇の中、誰もいない道に一人。心細さがシエナの情緒を掻き乱していた。


「勢い良かったくせに、何を一人でしょげているのですか」
 静寂を破った一つの音に驚き、シエナは弾かれたように面を上げた。
 聞こえるはずがないと半ば諦めかけていた、低く奏でられる青年の声が闇の奥から聞こえてきた。
 ひたりひたりと近づいてくる気配は二人分。薄く見えていた黒い影は、徐々に輪郭を成してシエナの前に現れた。



 かける言葉も見当たらず凝視してくるシエナ。彼の和やかな表情ばかりを見ていたローレンは、僅かに戸惑いを覚えた。
 そうして、何気なく隣のフォードを見上げる。
 先程よりも断然に柔らかくなった表情を浮かべ、青年は安堵と決意を織り交ぜた笑みをシエナに向けていた。

 今だけではなく、ローレンは何度もその横顔を見たことがあった。
 正面からは決して窺えないそれは、絶対的な信頼を寄せる相手に対してのみ現れていた。
 かつての自分が、義理の両親と従兄に見せていたものと同じように。

 シエナとフォードのことを少しだけ理解できた、とローレンは思った。
 精神の強い前向きなシエナは、決して聖人君子では無い。自信を失って不安や焦りを感じる、どこにでもいる普通の少年なのだ。
 人との係わりを頑なに拒んでいたフォードは、単に寂しがり屋で誰よりも他人を愛している優しい青年なのだ。
 二人は支え、支えられ、そうして今まで旅してきたのだろう。

 やはり引き合わせて良かったと、ローレンは無意識の内に安堵の溜息を吐き出した。
 それに気付き、微かに眉が寄せられる。
(――何をやっているのだろう)
 驚きながらも嬉しげなシエナと、恐怖に立ち向かう決心をしたフォードの清々しい微笑みを直視できず、ローレンはそっと瞼を下ろした。


 ぎこちなく手を差し出したフォードは、シエナの肩をしっかりと掴んだ。
 常に身近に感じていた互いの体温を確かめ、ふと二人の目元が和らいだ。
「私達も一緒に行きます。乗り合わせた舟は、最後まで漕がなくちゃ意味が無いでしょう?」
 フォードの言葉に、力強くシエナは頷いた。
「行こう」
 促す声音には、もはや迷いの色はどこにもなかった。




 郊外へたどり着く前に話しておくことがあると、切り出したフォードは、固い道に反響するブーツの足音の中で重々しく言葉を紡ぎ出した。
「夕方見かけた審問会の列の中に、一人だけ僧侶の法衣を着ていた者がいましたよね?」
 確かめるような問いに、シエナは恐る恐る肯定を示す。
 忘れようがない、震え。殺気とはまた違う、生理的嫌悪感を催す不快な気配の主。
 真っ黒でろくに姿を見ていないが、毒々しいルージュの色だけは生々しく刻まれている。

 あの僧服の異端審問官が、今回の首謀者であるとフォードは言った。
「黒の司祭。それが奴の忌み名です」
「……黒の、司祭?」
 シエナは繰り返すように呟いた。
 忌み名がどういった経緯で名付けられるのか全く分からないはずなのに、彼はどこかでその名を見た覚えがあった。

「十年前、北で大虐殺を行った奴……?」
 ぽつりとローレンが横から投げかけてきた。その言葉に、シエナははっとさせられた。
 確かに見たのだ。初めて訪れた町の資料館の新聞記事で、その名を。
「はい……名を、ハーヴィと言います」
 ローレンに対してフォードはゆっくりと頷いた。

 手袋に隠されている小さな手を、彼は始終掴んだままだった。
 ローレンを導いているわけではなく、またローレンの方から縋っているわけでもないそれを、シエナは不思議に思っていた。
 しかし、現れた真実に全て合点がいった。
 青い瞳を細め、シエナはフォードを見る。
 顔色はやはり良くない。それでも、子供の手を握り締めることで己を奮い立たせているのだろう。
 青年が亡くした一族の中に、幼い弟や妹もいたのだとフォードは前に語っていた。生きているとすれば、今のローレンと同じ年頃だ。

「フォード」
 シエナは堪らず、フォードに呼びかけた。
 意味を解したのか気付いていないのか、相手は自嘲じみた笑みを浮かべた。
 これから家族を殺した審問官と戦おうとしている者にしては、弱々しい表情だった。




第三十六話:再来する悪夢…END
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