異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
 第四章 安息日

第三十話 今はこの一時を
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 宿の階下でソフィアと別れ、フォードは自分の部屋に戻った。
 たったの数時間の外出だったが、何故だか酷く長かったようにも感じられる。


「あ、おかえりー」
 のろのろと扉を開いて声をかけてみると、自分とは対照的な明るい声が返ってきた。
 普段と何ら変わらないそれに苦笑して、通路の先の部屋に見える健康的な手を見やった。ひらひらと動かされるそれは、自分を急かしている。随分と字に自信が持てるようになったらしい。
 促されるままに奥へと踏み込むと、案の定シエナが無邪気に笑っていた。
「結構さ、字が綺麗に書けるようになったんだ。ほらほら」
 フォードは文字の羅列が広がっている紙面を覗き込んだ。
 シエナの言うとおり、随分と上達していた。飲み込みが早い少年だとは思っていたのだが、これだけはっきりとしたものを見せ付けられ、思わず感心したような声を漏れる。
 見繕ってもらった便箋を差し出せば、シエナは感銘を受けた様に、物珍しくそれを眺める。意気込みが高まったのだろう、掛け声をあげて机に再び向かい始めた。

 ふと気になり、フォードは隅のベッドに顔を向けた。
 毛布が上下していることから、ローレンはまだ眠っているのだと知れた。
「起きました?」
 何気なく尋ねてみればシエナは頷いた。
 目を瞠り、もう一度フォードはベッドを見た。
「別段、混乱した様子も無かったよ。むしろ自分の立場を良く理解していた」
 言い繕うようなシエナの言葉を受けながらも、フォードは監視するようなその視線を緩めることは無かった。
 無論むっとしたような少年の顔が横目で見えたのだが、もたげる警戒心にはどうしようもなかった。
「……我々のことは話しましたか?」
「まだ途中。ローレンがどうして不死者――アンデッドになったのかは分かったけれどね」
 内心ほっとした自分に嫌悪を感じながら、フォードはそっと椅子に腰掛けた。
 そうして、手紙を書きながら話しかけてくるシエナの言葉をぼんやりと聞いた。

 不死者になるには、とても強い負の感情を抱きながら死ななくてはならない。死神が定めた死期を外し、陰の気の満ちた場所で鼓動を止めた人間が、何分の一の確率で成り得る。
 中にはその過程で自我を失う者もいる。身体が朽ちるまで徘徊を繰り返し、浄化されない魂のままであれば現世に留まり続ける。
 そうした者は悪霊と呼ばれるようになる。

 ローレンもまた理不尽な死に追いやられ、偶然不死者として蘇ってしまった。
「生きたまま、棺桶に詰められて埋められたんだって」
 原因は明らかだった。暗い顔をしたシエナは吐き捨てた。
 フォードは、小さく返答を返しただけで特に何も言わなかった。



 昼頃になり、シエナはやっと手紙を書き終えた。
 フォードに文面を一応見てもらい、太鼓判を押してもらうと、いそいそと封筒の用意を始める。
 この封筒にもシエナは興味津々で、様々な角度から眺め見ていた。
「そういえば、どうやって送るんだい? 住所なんて知らないけれど」
 今の今まで懸念していなかったことに気付き、シエナが慌てたように告げた。
 既に封は閉じられ、赤い蝋がなされてしまっている。

 しかしフォードは涼しい顔だった。
「平気ですよ。それに普通に送れば、一ヶ月以上かかりますよ?」
 はっとしたシエナは頬を赤らめた。
 自分たちが辿ってきた行程を逆算すれば、当然分かる。ましてや物騒な時世、無事に手紙が届く確率はさほど高くは無い。
 しかもシエナは返事を貰うつもりで書いていた。根無し草の旅人相手では、向こうが大層困るのだ。

 困惑した様子のシエナに笑いかけながら、フォードは片手をすっと掲げた。
「大丈夫。使いをやりますから」
 にっこりと笑い、指先を鳴らす。
 するとその上に黒い塊が現れた。あ、とシエナが口を開けた。

 少年はそれを見た覚えがあった。フォードの屋敷を構成していた、無数の黒い翼の生き物。吸血鬼の眷属である、蝙蝠だ。
 本来の動物とは違い、吸血鬼の使い魔は主の魔力から作られる。
 つまりフォードの意のままに、この蝙蝠は行動する。生きているわけではないので、餌を食べなくとも飛び続ける事だってできるのだ。
 これならば数日で届くし、返事を預かることもできる。

「便利だね」
 感心したようなシエナを、蝙蝠の真っ黒な瞳が見下ろしていた。
 午後の日差しに照らされて、それはくるりと光る。暗闇では恐ろしくも思えるが、こうして明るいうちで見れば非常に愛くるしい。
 よろしく、と挨拶代わりに蝙蝠の喉元を撫でれば、犬歯の覗いた口元から奇妙な鳴き声が返事をした。

 フォードは手紙を蝙蝠の小さな足にしっかりと掴ませると、窓辺で近づいた。
 そよ風が吹く空は晴天。蝙蝠が飛ぶには目立つ空模様だが、雨が降らない今のうちに届けるしかない。
「いいですか。運河の町のサラさんですよ」
 もう一度言い聞かせ、フォードは片手を思い切り振り上げた。
 同時に蝙蝠は飛び立つ。見る見る黒い姿は小さくなり、連なる家々の向こう側に消えていった。


 しばらく二人は見送った状態のまま窓辺に立っていたが、爽やかな空気の中を突然場違いな音が割り込んだ。
 随分と間抜けに聞こえたそれは、腹の虫が鳴る音。
 呆気に取られた二人は、音源を凝視した。
 そして、先に吹き出したのはフォードの方だった。
「シ、シエナさん、集中し過ぎたのではないですか?」
「これは!」
 先程よりもさらに恥ずかしそうに赤面し、シエナは思わず腹を押さえた。
 眼下の町は賑わい、昼時らしい屋店の匂いが宿の方まで流れてきていた。
「そんなに笑わうなよ!」
「いえいえ。何だかとっても久しぶりだったので、つい」
 珍しく声を上げて笑うフォードを見ているうちに、だんだんとシエナの方もおかしくなってきた。そして耐え切れずに彼も笑い出す。
 フォードの言うとおり、こんなに穏やかな午後は久しぶりだった。
 前途多難だったこの旅。ようやく新天地に辿り着き、一息つけたのだと実感が込み上げてきた。




第三十話:今はこの一時を…END
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