異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
 第四章 安息日

第二十九話 触れ合い
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 互いにだんまりを通していたシエナとローレンだったが、程無くして手紙の練習を終えたシエナがもう一度ベッドへ近づいてきた。
 傍付きの椅子に腰を掛け、のんびりとした表情で子供の具合を窺っている。
 その穏やか過ぎる眼差しに、ローレンは身じろいだ。
「何……」
「あれだけ首を突っ込んでおいて今更だけど、君のこと教えてくれないかな」
 シエナは屈託の無い笑みを浮かべ、じっと見返してくる。
 透き通るような水の色を湛えた双眸が、己の心の内まで見透かしてくるように思えて、ローレンは慌てて顔を逸らす。
 目を合わせているだけで、惹きこまれるような気がした。

 動揺が伝わったのか、シエナは小さく苦笑した。そのまま言葉を続ける。
「僕が知っているのはほんの少しだ。君の名はローレンだということ。それから……町医者のフリードリヒさんに、昔殺されたってことだけだ」
 最後に告げられた青年の名前に、ぴくり、と子供の細い肩が揺れ動いた。

 実際、シエナがあの事件で知り得た事はそれだけだ。
 フォードから幾つかの情報を貰ったが、自分自身で知ったわけではないので勘定に入れない。

 ローレンは被っていた毛布を持ち上げ、緩慢な動作で上半身を起こした。
 ベッドの段差のおかげで、背の低い彼はシエナと同じ目線になった。青と緑が交差する。
「知って、どうするんだよ。あんたが嫌がった殺人は結局未遂に終わった。これ以上、係わる理由が無いだろう」
 殆ど睨みつけるような視線にシエナはたじろがなかった。
 今にも殺気が篭りそうな淡々とした口調の中に、微かな震えを見つけたからだ。

「知りたいと思うから。僕は君を理解したい」

 真っ直ぐで綺麗な声音が、ローレンの聴覚を通って心にまで響いた。
 純粋なのはその瞳だけではない。心底に波紋を描く、迷いのない言葉にもそれは表れている。

 ローレンはそっと溜息を吐く。張り詰めていた警戒心が和らいだ。
 自分を魔物だと知りながら、人を殺そうとしたことを知りながら、どうしてこうも正直に接するのだろうか。不思議に思う反面、何だか妙に心が軽くなった。
 裏切りを断続的に味わってきた彼だからこそ分かる。
 シエナは大丈夫だ、と。


 それから、ぽつりぽつりとローレンは生前の身の上を語ってくれた。
 同行者であるフォードと同じようにそれは断片的ではあったが、彼の時よりも克明に当時の様子は想像できた。
「――笑っちゃうだろう。そこら辺の魔物なんかよりも、人間の方がよっぽど化け物だ」
 口の端をつり上げて、わざとらしくローレンは嘲笑する。
 しかし次の瞬間、すぐさま哀しげにそれは下ろされた。定まらない視界の中で彼が見ているものは、他人であるシエナからでも窺い知れた。
 思い出しているのだろう。
 冷たい記憶の中でも一際温かな、希望の灯火であった者の顔を。
 拾ってくれた孤児院の神父や家庭を与えてくれた義理の両親、傍らでいつも支えてくれた親友。彼等もまた、人間なのだ。

 語尾が徐々に消え入り、ぱったりと口は閉ざされてしまった。
 これ以上、ローレンは何も言わないだろう。シエナは出来る限り安心させようと、乾いた茶色の髪をさらさらと撫ぜ、「ありがとう」と礼を込めた。
 微かに頷いたことを確認すると、ゆっくりと細身の身体をベッドの上に横たえてやった。

「聞きたいことはある?」
 毛布を肩口まで引き上げてやり、シエナは尋ねた。今度はこちらの番だと言わんばかりであった。
 ローレンはきょとんと瞬く。
 そうした表情があどけなく見えて、不謹慎だが弟ができたかのように嬉しく思えてしまう。
 シエナの微笑みを受けながら、暫し視線を一巡させた後、ローレンは小さく唇を動かした。
「色々、ある」
 シエナはベッドの縁に肘を立て、組んだ手の甲に顎を乗せた。子供に読み聞かせをする母親のような仕草に、ローレンが失笑した。
「……あれから、フリードはどうなった?」
 彼の言葉を予想していたシエナは、またもや嬉しそうに笑った。

 あれほどフォードは渋ったが、ローレンは性根が優しい平凡な少年でしかない。あれほど殺戮に飢えていた暗い瞳は、今見ると不貞腐れたような幼い色を灯している。
 殺そうとしていた親友を心配できるほど、彼はまだ闇に飲まれてはいないのだ。
 それが今はっきり露呈され、安堵と喜色が浮かんだ。

「帰ったよ。今もこの町で医者をしている。――孤児院を助けながらね」
「え?」
 思いもよらなかった言葉に、ローレンは驚いた。
 そして最後に見た親友の姿を思い浮かべる。彼の周りにいた子供達。彼等が孤児なのだろうと合点がいく。
 歪む視界に気付き、急いで毛布を被った。シエナが優しく見ている気配がむず痒く、シーツを握った指先に力が込められた。

 弱かった自分が犯した罪に後悔しながら、前に進み出した優しい青年。やはり彼の根本は何も変化していなかったのだと思うと、酷く、安心した。
 ああ、殺さなくてよかった。
 ローレンは目を閉じて、ようやく穏やかな表情を浮かべることができた。
 そして自分を止めてくれた背後にいる少年に、今の気持ちを素直に投げかけた。
「……ありがとう」
 とても、自然に口先から漏れた言葉。
 何年も使っていなかったそれは、とても擦れていたけれど。
 シエナの元へと、確かに届いた。


 聞こえてくる微かな寝息を聞き取り、シエナはゆっくりと立ち上がった。
 そろそろフォードが帰ってくる頃だろう。
「この子は、きっと大丈夫」
 虚空に向かって呟く。
 旅の道連れが最も危惧していたことは、いまだ伝えられてはいない。
 けれどローレンならば大丈夫だ。そう確信できた。




第二十九話:触れ合い…END
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