異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
 第四章 安息日

第二十七話 ソフィア -2-
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 半ば強引に背中を押されたフォードだったが、特に何か問題があるわけでもなかった。
 折角提案してくれた彼女を無下にもできない。何よりもフォード自身、断る理由が全く無い。

 エプロンを脱いだソフィアは、普通の娘と変わらなかった。
 くるりと笑う橙の瞳は明るく輝いている。髪留めに納まっている三つ編みが、緩やかに肩にかかる。ソフィアがフォードの方を向くたびに、それがふわりと揺れた。

「ええっと……ソフィア、さんでしたよね?」
 名を聞いてみれば、彼女は驚いたように顔を上げて破顔した。名前を覚えられていたことが何よりも嬉しかったらしい。僅かに紅潮した頬が、興奮の色をありのまま伝える。
「私はフォードといいます。名指しで呼んで結構ですよ?」
「え? いいんですか?」
 目を丸くするソフィア。不思議に思いつつもフォードは軽く頷く。
 いつまでもお客さんと呼ばれるのもどうかと思い名乗っただけであったのだが、信じられないような目をするソフィアに不可解なものを感じる。


 朝の町並みは比較的に穏やかで、慌しかった昨日の午後のことがまるで夢のようだった。
 フォードの脳内は半分以上が宿の一室へと向けられていた。
 今も楽しげに手紙の内容を考えているであろう旅の同伴者、それから孤独に突き落とされた自分と似た子供。もしもローレンが起きたのならば、シエナはどう対処する気なのだろう。

 そういった様々な思考を振り切りながらも、しきりに話しかけてくるソフィアと、道ながらに会話を進めた。
 旅の話やフォード自身のことを色々と尋ねられたが、嫌な顔一つせずにフォードは相槌を返した。
「素敵な名前ですよね。ソフィア――たしか、この地方では知識という意味でしたよね」
「まあ! すごい。旅人さんってやっぱり博識なのね」
 フォードの一言一言に、彼女は素直な反応を示してくれる。
 ソフィアという名前は知的な女性に付けられることが多い。隣を歩く少女もまた、雄弁に様々な話題を振った。闊達な様子は万人に好印象をもたらすだろう。

 和やかな空気の中、何気ないソフィアの言葉にフォードの身体が強張った。
「フォードさんのお名前には、どんな意味があるのかしら?」
 彼女は前を向いていたため、微かに顰められた青年の表情に気付くことは無かった。
 いまだ弱い朝日の下で、赤い双眸が眩しげに細められた。

 吸血鬼にも独自の言語がいくつか存在している。
 無論、その意味を正しく理解できる人間は少数である。しかし考古学者や異端審問会の者ならば、十分把握できるだろう。高位の魔物である吸血鬼を知る者は多いのだ。
 名乗るだけならばまだしも、意味を知られれば自ずと危険が迫りうる可能性も高まる。
 それはソフィアのためにもならない。
 万が一にでも、審問にかかってしまえば彼女もまた魔女として狩られるだろう。

 複雑そうな面持ちをどう思ったのか、ソフィアは目を伏せた。
 ばつの悪い居心地になったフォードは差し当たりの無い言葉で対処した。
「意味は特にないですよ。父が名付けたらしいのですけれど、よく分かりません」
 少女の安堵した表情に対して、自分は今どんな笑みを浮かべているのか。フォードは口元をほんの少しだけ、自虐気味にくっと曲げた。



「ここです。やっぱり閉まっているわ」
 角を曲がってしばらくすると、ソフィアが前方を指差す。心なしか肩を落とした。
 なるほど、見目だけでも随分と趣味の良さそうな店構えだ。入り口の側にはいくつかの鉢植えが並べられ、秋口の花が花弁を開いてた。淡い黄土の壁には、蔦がオブジェのように絡まっている。
 硝子窓のはめこまれた緑色の木戸には、閉店の文字がぶら下がっていた。
 確かに営業はしていないようだったが、中には人の気配がする。

 困り顔のフォードに安心させるような笑顔を送り、ソフィアは臆することなくドアノッカーを数回叩いた。
 手馴れた仕草は、常連なのだということを十分に思わせる。
 ほどなくして開錠の音がした。


 出迎えたのはソフィアよりも若干年上の――見かけだけならばフォードと同年であろう――女性だった。
 女性的なソフィアとは逆に、凛々しく整った鼻筋や真っ直ぐに保たれる姿勢はシャープなものだった。
 フォードは瞬時に彼女が店主なのだと分かった。
「おはようソフィ。男連れなんて珍しいことだわね」
「エル! うちのお客さんに失礼なこと言わないでよね!」
 意地悪く尋ねるエル。真っ赤になって言い繕うソフィア。対照的ではあるが、相性は悪くなさそうだ。

「お店もお休みだというのに、早くからすいません」
 頭を垂れるフォードに対しては、さばさばとした対応をしてくれた。ソフィアが押しかけてくることは珍しくないらしい。
 封書と便箋一式を見繕ってくれないかと頼べば、愛想良く承諾してくれた。

 店内は広くも狭くも無かった。
 珍しい小瓶から生活用品、可愛らしい手縫いのキルトまで丁寧に並べてある。
 そのどれもが、ソフィアの髪飾りのように温かな空気を纏っていた。作ったエルの真心が隅々まで浸透しているのだろう。
 優しい色使いの品々を見れば、フォードは嫌でも過去のことを思い返してしまった。
 母親も手芸が好きだったし、恩師のディラも手作りの品を好んでいた。常にそれらをせがんでいた自分は、よく覚えていた。

 エルはいくつかの商品を手にして戻ってきた。
 染物で淡く色づいた繊維で作られた便箋が目に入る。合わせて封書も見せてくれた。
「私よりも少し年下の女の子が好きそうな柄は、どれでしょうかね?」
 今はいない自分の妹のことを思い出しながら、シエナの友人に似合いそうなものを選ぶ。
 世話になりっぱなしの少年に、せめてこれぐらいのことはしてあげたかった。



第二十七話:ソフィア -2- …END
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