異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
 第四章 安息日

第二十六話 ソフィア -1-
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「……手紙?」
 時計の針の音と筆記の音だけが支配していた静寂の中を、不意に子供の声が切り開いた。
 書斎机から顔を上げたシエナは、影に柔らかく包まれているベッドへ視線を投げかけた。
 身じろいだ様子も無く、ローレンは瞼をうっすらと上げていた。
「身体は何ともない?」
 動く気力が無いのか、瞼を伏せることで彼は肯定を示した。
「汚れ、全部落としたの。ご苦労なことだね」
 自分の状態に瞬時に気付いたらしく、ローレンが微かに笑った。人を馬鹿にしたような調子が含まれてはいたが、それでもまともな会話ができることにシエナは喜んだ。

 意識が戻ったのならさぞかし混乱することだろうと、シエナとフォードは思っていたのだが、実際のローレンは至極落ち着いた様子で自分の現状を理解した。
 見かけは子供ではあるが、町医者の青年と友人関係にあったのだから本来の年齢は見た目以上なのだ。冷めた口調も、大人びた考え方も、普通の子供とは明らかに違う。
 シエナは、ローレンを庇護する対象として見ているものの、あくまで対等の立場なのだと自身に言い聞かせる。
 それは彼の持つ自尊心を酷く傷つけることに繋がるのだ。

 掠れているボーイソプラノが二言三言シエナに話しかけ、それから水を要求した。
 食欲も渇きも感じることの無い不死者は、何か口に入れなければいけないということはない。本での知識をあらかじめ知っていたシエナは慌てることなく、水気を含ませた脱脂綿をローレンの小さな唇に当ててやった。

 シエナの一連の動作を監視するように眺めていたローレンは、軽い溜息を吐いた。
「ぼくは、やっぱり魔物なの?」
 身を擦るような、ちくりとした痛みがシエナの胸に刺さる。

 目の前に横たわる子供はまだ自覚が薄い。元から魔物である自分には一生分からない感覚を、ローレンは今持て余している。
 ほんの数年前までは人間として生き、つい最近までは土の下で眠っていたのだから無理もない。
 急激に変化をしてしまいながらも、ローレン自身には何の変わりも無い。それが、更なる不可解な矛盾点を導き出してしまっていることだろう。
 案の定、覗きこんだ幼い顔立ちは困惑と落胆が入り混じった色をしていた。

「皆、化け物だと言った。この町から出て、あの男を捜しに放浪したぼくを見て。異端審問会に突き出されそうにもなった」
 淡々と紡がれる一言一言が悲しいもので、シエナは静かに瞼を閉じる。
 無言の肯定だと受け取ったローレンは、そう、と小声で返事をしたままぼんやりと天井を見上げた。



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 手入れの良く行き届いた廊下を真っ直ぐ進み、フォードは階下へと降りていた。
 檜造りの質素な階段は、素朴な匂いを醸し出している。途中途中に飾られた優しい絵画は、飾った者の穏やかな心を映し出しているようだ。

 のんびりと取り留めの無いことを考えていたフォードは、やがて一階へと辿り着いた。
 階段の正面に位置する配膳置き場に盆を置いて、何気なく辺りを見回す。
 宿屋の一階には受付ラウンジが広がり、隣接して小さな喫茶店も営んでいた。フォードの目通りに適った上質の宿であるから、もちろん従業員も活発に働いている。

 忙しなく働く人々を横目にしながら、フォードは受付まで歩み寄り宿の主人に挨拶をした。
「昨日はどうもありがとうございました」
 人好きのする微笑みで謝礼をすると、主人は豪快に笑って手を振った。
「いいですって。それよりあの子は大丈夫かい?」
「おかげさまで。疲れが溜まっていたようでしたから」

 酷い有様のローレンを連れて、宿を探すことは困難だった。
 大体の宿は汚れた客を歓迎しない。それどころか、気絶している痩せ細った子供を抱きかかえているだけで人買いかと間違えられそうにもなった。
 この宿の主人は嬉しいことに誠意ある人物だった。何かと気にかけているくせに、余計な詮索をしてこなかった。

「これから出かけるのかい?」
 長期で部屋を取ったためチェックアウトとは間違えられなかったが、主人は不思議そうに尋ねてきた。
 部屋には連れを残してきているだろうし、まだ人気の少ない町に何の用があるのかと思ったようだ。

 フォードは頷き、雑貨屋を探しているのだと言った。
「この近くにある所で。地図だけでも見せていただければいいのですが」
 比較的に大きな町なのだから、適当にふらついていれば雑貨屋に行き着くこともあるだろう。
 しかしローレンのこともあり、なるべくフォードは宿を長く離れたくはなかった。

 主人は少しだけ思い出すような素振りを見せ、喫茶店の方へ呼びかけた。
「ソフィア! ちょっと来てくれ」
 明るくはきはきした返事が返ってきた。振り向けば、ポニーテールを三つ編みにした年頃の娘が小走りしてくる。
 手には布巾が握られており、白と水色のチェック柄のエプロンを着ている。どうやらテーブルを拭いていたようだ。

 彼女はほんの一瞬だけフォードと目を合わせたが、すぐに主人の方に向き直った。
「このお客さんが雑貨屋を探しているんだが、いい所はあったかい?」
「向こうの通りの一番奥の角なんてどうかしら? こういう感じですけど」
 ソフィアは主人ではなく、フォードに自分の髪留めを見せた。
 柔らかいレースに淡い色使い糸が編みこまれているそれは、温かな陽だまりのような雰囲気を纏っている。
 階段に絵画を飾ったのは彼女なのだろうと、すぐに予測がついた。

「良いですね。今から行っても開いているでしょうか?」
 すると僅かにソフィアが眉を寄せた。残念そうな顔付きだ。
「もしかしたら今日はお休みだったかもしれませんよ」
 予想していなかった答えに、フォードは肩を落とした。
 やる気を出していたシエナの落胆の表情が過ぎった。あれほど嬉しそうに語る口が寂しげに笑う様子が、見てもいないフォードにも容易に想像がついた。

 ソフィアはまた、ちらりとフォードに視線を絡ませてきた。
 それからおもむろに手を叩く。
「店主はあたしの友達なんです。閉まっていても、頼めばきっと買えますよ」
 迷惑だろうと言うと彼女は首をぶんぶん振った。主人の方はというと、始終にこやかだ。
 ソフィアのことを娘のように思っているのだろう。
 この柔らかい空気は、昔味わったことがある。
「実は仕事が終わったら行こうと思っていたところなの。迷惑ついでってことで大丈夫ですよ」
 照れたようにソフィアが微笑んだ。



第二十六話:ソフィア -1- …END
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