異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
第四章 安息日
第二十四話 新しい朝
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細かい光の粒子が降り注ぐ。淡い暖色のカーテンの隙間から、白い線が部屋を横断していた。
硝子窓の外側では、小鳥たちが互いに挨拶をしている。建物の二階まで届く庭木の枝が、そのたびに揺れていた。
窓がは急に開いた。鳥たちは驚き、空へと一目散に逃げていく。
緩い風に弄られたカーテンがふわりと揺れ、そこから青い髪が覗いていた。
眩しい窓辺から離れると、ちょうど隣のベッドから呻き声が上がった。突然広がった光の感覚に目覚めたのだろうか。
普段からは想像し難いことだが、フォードは案外寝汚い。彼の本性は夜行性であるのだから、いくら日中の活動が主なものであろうとも朝には弱いのだ。
毛布を引っ張り上げて朝日から逃げる姿を尻目に、シエナは早々と着替えを始めた。
浴室前の脱衣所まで足を運んだシエナは、服の具合を確かめた。
昨日、早々と宿入りをした二人は、潮の臭いが色濃く残る着衣をすぐさま洗った。長期滞在になるのだから、その日でなくとも良かった。しかし早急に水を使う用事もあったため、ついでで洗濯をしたのだ。
もちろん太陽の下に晒していたわけでもないため、シエナの服は乾いていなかった。
それから今着ている宿の寝巻きを見た。上質の木綿の布地は、寝汗を吸っていてもさらりとしている。もう一枚ほど上に羽織れば、十分に一日を過ごしていられる状態だ。
軽く頷いたシエナは、水瓶の水を両手で掬い上げた。脱衣所は洗面所も兼ねているのだ。冷たい感覚で目が冴える。二度ほど続けて水滴を拭うと、一度寝室へと戻った。
フォードはやはり、さっきと同じ体勢で蹲っていた。シエナが荷物を漁る音に反応して掠れた声を出していたが、しばらくするとそれも止んだ。
自分のベッドのシーツを抜き出し、シエナは丁寧に畳んだ。出入り口にある宿の篭にそれを放り、再び脱衣所に向かった。
チェストの上には、先程取り出された物が並んでいた。
消毒液、包帯、留め具、清潔な布、それから水差し。どれも宿に向かう前に、薬屋で購入したものだった。
元々医師の一族が治めていた町だったため、薬屋の水準はどこも高かったのが幸いした。地方の村には、薬師もいない所があることは珍しくはない。
水に浸し、軽く絞った布を手にシエナが戻ってきた。
部屋に入るなり、彼は視線を横に流した。
日の当たらない部屋の隅には、三つ目のベッドがあった。
正面に並べられた二つとは違い、少し暗がりに位置するそこは、日常から切り取られたような空間だった。側に飾られている一輪挿しも、壁にかけられている絵画も、そこには彩りを添えられはしなかった。
ゆっくりとした足取りで、シエナはベッドに近づいていった。
厚手の掛け布団には、小さな山ができている。枕元まで歩み寄れば、乾いた茶髪がさらさらと散らばっている様子が見える。その下に、憔悴しきった幼い子供の寝顔があった。
シエナは、その顔に触れることを僅かに躊躇う。腫れ物に触るような手つきで、そっと痩せた頬から拭き始めた。
色の抜けた肌には弾力が殆どない。閉じられた瞼は震えることもなく、ただ血の気の退いた唇が浅い呼吸を繰り返していた。
痛ましげな視線を送りつつ、シエナは丁寧に作業を続けた。
頬から鼻筋、額に首元。汚れた包帯が貼り付いていた辺りは、特に慎重に布を押し当ててやる。
淡々と手を動かしながらも、彼の中では昨日までのやり取りが脳裏で何度も行き交っていた。
+ + + + + +
『連れて行く?』
賛同を求めてみると、フォードの信じられないといった風な返答が返ってきた。
逆に、拒否されてしまったことにシエナは驚き口元を歪めた。まさか青年がそこまで薄情な人物だと、思ってもみなかったのだ。
二人が話し合っていたのは、墓地に残された哀れな運命に翻弄された少年のことについてだった。
元は人間であった少年――ローレンは、ただ悲しい復讐を目的に二度目の生を生きてきた。だが、それは友情の元に崩れ去ってしまった。
そのことについては、満足いく結果に終わってシエナは嬉しかった。
まだ十を過ぎたばかりであろう子供が、たとえ魔物の身になろうとも大きな罪を犯さずにいてくれたことに。
しかしその後が、問題だった。
『だってシエナさん、もう係わる理由が無いじゃないですか。これ以上どうしようというのです?』
フォードの言うことはあくまで正論だったが、彼自身が他人との関係をあまり好んでいないのだということも含まれている。
ローレンと初めて出会った時や、駆け出した医師をすぐに追いかけようとしなかったことから、シエナは重々承知はしていた。フォードもローレンと同じく、先日まで私怨による殺人を何度も犯している。子供の頃に周りの大人を全て失くしたのだから、自然と他者との間に壁ができてしまっているのだ。
いくらシエナ相手にその態度が軟化したとはいえ、フォードの壁はすぐに壊せるものではないし、吸血鬼は家庭を持たない限りは孤独に生きる種族でもある。
そういった事情を持つフォードに、だからこそ歩み寄って欲しいとシエナは願っている。
確かに子供のために保護したいとも思っているが、半分はフォードのためでもあった。
『僕は、君に一度言ったよね。魔物と人が共に歩ける道を探しているって』
フォードが俯いた気配がした。
あの頃の二人は、自分の頑なな意志をぶつけ合っていた。争うことでしか道を開けなかったフォードに対して、シエナはいつでも先を見ていた。
人間でも魔物でもある子供一人救えないようでは、目指す未来に辿り着けないのだ。
シエナの双眸はきつい光を宿している。ひたむきなその願いが、熱を帯びて孕んでいる。
折れたフォードは、軽々と子供を抱え上げ、慌てて付いてくるシエナに言った。
『旅費は私が持っているのですけどね』
『どうせ腐るほどあるのだから、有効に使うべきだと思うよ』
にっこりと笑ったシエナに、フォードは苦笑を禁じえなかった。
+ + + + + +
ベッドと洗面所を何度か往復した頃、時計の針はシエナが起床した時からすでに半周もしていた。
最後に手足を拭き終わり、一仕事を終えたシエナが溜息を吐く。
すると空のベッドのさらに隣が、やっと騒がしく動き出した。
「起きた?」
声を掛けてやると、長い沈黙の後で一言返事があった。掠れきっている男の低い声には、女性も形無しだろうなと、シエナは思った。
少し寝癖のついた直毛の銀髪を、片手でさくりと掻き乱す仕草もどこか精練されている。水気を持った赤い目が、何度も瞬いた。
大きな欠伸をした後、フォードはよろよろと立ち上がった。シエナが通った道を綺麗に沿い、そのまま脱衣所へ向かおうとする。
色男の醜態に噴き出しそうになるが、子供を起こすわけにもいかない。耐えながらもシエナは喉で笑っていた。
「すまないけれど、これも洗っておいてくれない」
ぼんやりとした頭で理解できたのかは分からなかったが、眠そうながらもフォードはちらりと視線を投げかけた。そこへシエナは、容赦なく使っていた布を投げつけた。
顔に当たる直前に受け止め、フォードは布とシエナを見比べる。そしてのっそりと、部屋から出て行ったのだった。
シエナはいまだに、肩を震わせている。
第二十四話:新しい朝…END
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