異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
 第三章 裏切り者と鎮魂歌

第二十三話 レクイエム
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「僕にだって、分かるさ」
 悔しげにシエナが眉を寄せた。
 真剣な少年の表情に気圧され、ローレンの肩からふっと力が抜けた。
 シエナはナイフを握る手が緩んだことに気付き、そっと手を放す。小さな両手は重力に従いゆるゆると垂れ下がっていった。
「君のお墓は細道の脇にあるんでしょう? 綺麗な、置いたばかりの百合が捧げてあったよ」
 今度こそ、ローレンは驚愕の色をありありと見せた。
 思っても見なかったことだと困惑している。ゆっくりとシエナの顔を窺い、それからフリードリヒのいる方向に向き直った。
 歪んだ緑の瞳は、耐えるような視線を投げる彼の双眸を確かに捉えた。

 からり、と。石材に金属片がぶつかり、高い音を立てた。
 子供は自らの頭を掻き毟るように抱え、ごちゃ混ぜになった思考を統制しようとしている。
 汚れた包帯は解け、だらしなく弛んだ。
 明らかにローレンは混乱していた。
 信じ続けて裏切られた日のこと。地底の底から復讐を誓って這い出てきた時のこと。そして、目の前に立ちはだかっている優しいもの。
 荒波に浮かぶ難破船の如く、彼は行き先を見失いかけていた。

 頑なに自分の中で解決しようとする、生前と変わっていない従弟の癖に、フリードリヒは心底愁嘆した。
 いつまでも一緒だと信じていた純粋なローレンを、哀しい復讐鬼に変えてしまった己が酷く憎く思える。

 フリードリヒは一歩だけ前に出た。彼よりも背の低いシエナの肩を除け、顔を上げた。
「旅人さん。いいのです。俺はこの子を裏切った。だから殺されてもいいと思っている」
 諭すようにフリードリヒは微笑んだ。
 けれど、と彼は続ける。
「俺は医者だ。誰の命を奪う権利も、義務も、この世に存在しないことは身を持って知っている。それに、こんな浅ましい俺でさえ、まだやれることはあるから死ねない」

 暗い瞳を持つ彼は、決してローレンから目を外そうとはしなかった。
 自らの過ちをいつかは清算するその日を待ちながらも、フリードリヒの生気は衰えてはいない。むしろ生半可な覚悟で生きているわけではないことが明白だった。
 うっすらと彼は目を伏せた。
 暗くなった世界での自分は、腐った土の臭いを纏いながら墓場を掘っている。罪を犯した運命の瞬間は、いつまでも脳裏に張り付いたままなのだ。
「身勝手なことを言っているのは分かる。許してくれなんて請わない」
 潔癖な態度は、子供の心に再び波紋を描く。
「だけれどこれだけは言わせてくれ――……ごめん、ローレン」



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 自分の膝丈ほどしかない小さな者に案内され、フォードは人気の無い墓地へと足を踏み入れた。

 シエナとはぐれた彼は、手掛かりを探すためフリードリヒの診療所に立ち寄っていた。そこでこの孤児院の子供達に出会った。
 子供らの言う「フリード先生」は、昔フォードも聞いたことがあった。
 名門の医者の家系であるフィル家の財産を継いだ、ろくでもない当主に似ない息子。彼の名がフリードリヒだったと、配下の蝙蝠が噂していた。
 フォードの恩人であるディラは元貴族であった。彼が何度かフィル家に出かけたこともあったと、冷静になれば思い出せる。

 フィル家は結局、内部分裂を起こして衰退。当主は残った金で各地を遊び惚けていると聞いた。
 一族が住んでいたこの町には何の未練もなかったらしく、それぞれは呆気なく越していった。おかげで長い間、フィル家に頼ってきた医療面に穴が開き、今では町医者はフリードリヒだけだという。
(だからあの男、息子に助けを求めるためにこの町に帰ってきたのか)
 男に同情も何も感じていないフォードは、行動の意味が把握できたことにただ頷いた。

「どうしてフリードリヒさんはここの診療所に?」
「先生は、大事な友達がここにいるから何処にも行かないって言っていたよ」
 何気なく尋ねれば、数人の子供達が口を揃えた。
 富も名誉も失いながら、慈善的に診療を続けるフリードリヒの姿を思い浮かべ、フォードは一人きりで溜息を吐いていた。
「九分九厘、あの子のことでしょうね……」
 没落した貴族の中でいつも最後に残るのは、可哀想なくらい優しい者なのだ。

 先生の行き先を知ろうとしたフォードは、今こうして子供らと共に目的地に着いた。
 正面口の看板に愁眉を浮かべた彼は、またもや孤児達に尋ねてみた。
「フリード先生はね、百合の花を持って友達の所に行くの。あたしたちは連れてってくれないけど」
 おさげの女の子がはつらつと答えた。
 側にいた男の子は、「毎日なんだよ」と付け足した。
 例の香りに合点がいったフォードは、顔を上げた。子供達はまだ気付いていない。しかし吸血鬼の視力は、三人の姿を確かに視認できた。


 全ての支えを放り投げ、ローレンの身体が斜めに傾いた。
 咄嗟にシエナは手を伸ばす。フリードリヒと視線を合わせてやるために、しっかりと上半身を支えてやる。
「あ、ははは」
 篭るような乾いた笑い声が、かさついた唇から漏れた。だらりと下げた腕は、二度と上がろうとする気配を見せない。

 うわ言のようにローレンは、裏切り者、裏切り者と呟く。痛々しいほどの突っ張った笑みで。
「だから嫌いだ。ぼくに殺されていいと思っているくせに、死んでくれない。醜くなったぼくをなじりもしない。復讐さえ、させてくれない」
 溢れてくる衝動に、視界がぼやけていく。怒りとは違う、赤い世界が広がっていく。
 シエナが身を微かに退く気配がしたが、ローレンはそれすら気付けなかった。
「馬鹿だね。フリードに、そう言われて、殺さなくてすむなんて思ったぼくが、一番、馬鹿だ……」
 もはや聞くことも叶わないと考えていた自分の愛称に、フリードリヒは言葉も出なかった。
 憎悪に駆られていたローレンも、心中の片隅では実は自分を許してくれていたのだと、勝手ながらも涙が滲んだ。

 背後から、フリードリヒは呼ばれた。
 診療所で預かっている、彼が救うべき命の象徴たちが待っている。
「行って。もう二度と会う気はないんだからね」
 躊躇を見せたフリードリヒに、ローレンは最後まで口悪くそう言った。しかし、白衣の背中が離れていくときまで彼は見送っていた。

「先生、急患は終わったの?」
「先生! お花は置いてきたの?」
 子供たちに囲まれた青年には、手が届かなくなるのだろうと霞む頭で思った。


 突然弛緩した体からかかる体重を、慌ててシエナは抱え直した。
 恐る恐るローレンの顔を覗き込めば、伏せられた瞼がある。疲れきった幼い頬に、黒ずんだ血の涙の軌跡が残っていた。
「血の涙……やっぱりこの子、不死者になってしまったんだね」
 ぱさついた前髪を払い、緩んだ包帯を申し訳程度に直してやる。あどけない表情に、切ない想いは募るばかりだ。

「――白い百合、ですか」
 医師と入れ違いに近づいてきたフォードに、シエナは笑いかけた。
「僕も知っているよ。罪悪感に苛まれるなかで、それはフリードリヒさんが唯一願っていたことだったんだね」
 風が、人間の気配を運ばなくなった。墓地には魔性が三人いるだけで、辺りはしんとしていた。

 混沌としたものを体内から吐き出すように、大きく息を吸ったシエナはメロディを口にした。
 清く美しく、命を慈しむ音階。腕の中で眠る子供へ捧げる、魂の鎮め歌。
 静寂の中に流れていく音の波に耳を傾け、フォードは宙に向かって口を開いた。
「罪を犯したって、強く願えばきっと同じ場所に還れますよ。フリードリヒさん……」

 何処かで狂った二人の運命。
 大切な者を殺した者は、罪を背負い。殺された者は、復讐を誓った。
 けれど過ちに気付いた罪人は、その復讐を是とはしなかった。それこそが、彼の重要な望みなのだろう。
 復讐という名の新たな罪状を、鬼となった子供に貼り付けないことが。

 白百合。葬儀に送る、高貴な花。
 花言葉は――純潔。



第二十三話:レクイエム…END
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