異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
 第三章 裏切り者と鎮魂歌

第二十話 Idealistic thought
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 乗船する船の前にはすでに列ができている。早速二人も並んだ。
 乗組員が手際よくチケットの半券を切り、乗船客の手に返している。シエナは珍しげにその仕事を眺めていた。
 今いる最後尾から十人分以上離れていたが、この分だとすぐに乗れそうだった。
「フォード、あの人って」
 シエナは僅かにしかめっ面になった。

 前方で組員に乗船券を渡した男は、昨日倉庫で暴力を揮っていた者だった。
 大きめのトランクを引き、つばの広い帽子をかぶっていた。小心翼々とした様子は、賞金首にかかっているような怪しさがある。
 慌しく船内に消えるその背中を見届け、二人は顔を見合わせた。


 宛がわれた二等客室に荷物を下ろし、そっと息を吐く。
 潮の臭いが満ちている船内は、波が起こるたびに揺れている。
 何故酔わないのだろうかと、けろりとしているフォードを見てシエナは苦い顔をしていた。
「風の強い日に飛ぶよりは全然平気ですよ」
「そうかなぁ。自分で泳ぐときは僕だって酔わないのに……」
 ふらつく足を叱咤して、シエナは甲板に出ようとした。後ろからフォードが外套を脱ぎながら心配そうに声をかけた。

 部屋を出たシエナは、木目の廊下を慎重に歩き出した。
 何人かの新たなる乗客と時折擦れ違う。狭い通路を譲りながら、客室とは逆方向へと進んだ。

 側部デッキに出れば、雄大な世界が広がっていた。鮮やかな緑柱石の色をした海は、果てしなく何処までも続いている。
 シエナは柵に身を乗り出して、水平線をじっと眺めていた。
「海に出たなんて、大姉さんが聞いたら驚くだろうな」
 自分を笑顔で送り出してくれた一番上の姉は、それでもきっと旅の話を真剣に聞いてくれるだろう。
 川に住むことを定められているローレライでありながら、シエナが知った海の輝きを。

 人魚の一種であるローレライは、本来は河川でしか生きられないものなのだ。
 海に住む水棲の魔物とは違い、シエナの一族は淡水でしか呼吸ができない。しかも海水に触れればたちどころに泡と化す。
 図書館でサラに勧められた童話の中の姫のように。跡形もなく、儚い姿で消えるのだ。
 母からは何度も河口に行くなと言われていた。
 約束を破って川を下って行った者も、帰ってはこなかった。


 甲板に上ると、疎らに人の姿があった。簡易のベンチも設置されていたので、その一つにシエナは腰を落ち着かせる。
「ここからの眺めもすごいなぁ。フォードも来れば良いのに」
 畳まれたマストの向こうには、先程までいた町が目に入る。
 自分は今、海の上に立っているのだと改めて気が付き、不思議な感覚に囚われた。

 しばらく景色を堪能していたシエナは、甲板に視線を巡らせた。
 仲の良い男女が囁き合い、楽しそうな家族が笑っている。旅行なのか国許に帰るのかは分からないが、皆温かい空気を纏っている。
 羨ましそうに目を細めながらそれらを見ていると、視界の端にふと見覚えのある姿が映った。

 声を上げることも忘れ、シエナはただその姿に見入った。
 切なげに揺れる眼差しはさっきのシエナと同じもので、苦しげに歪められた口元が悲しみをぐっと耐えていた。
 顔中に巻かれた白い帯が潮風になびき、小さな体躯は震えていた。
 眩しい朝の陽光の中に、不釣合いな暗い影が子供の周りに落ちていた。

 呆然としているうちに、気付けば甲板には誰もいなくなっていた。
 出航の汽笛が高らかに鳴り響く。慌ててシエナも部屋へと戻ろうとした。
 一度だけ振り返ったが、やはり甲板には人影はない。
 あれは、幻だったのだろうか。



 それからあっという間に日は落ちた。
 明日の明け方には、向こうの港に着く。今日は船内で一泊するのだと聞いたシエナは、やはり宿に泊まったときと同じく嬉々した様子だった。
「船に乗るのもそうだけど、船に一日中乗っている人魚なんて世界初じゃない?」
 向かい合わせに座り食事をする二人は、様々な話をしていた。
 無邪気に他愛もない話をしたと思ったら、思想論や精神論、魔物のことやこれからのことなど真剣な話し合いもあった。

「僕は、海水に触れると泡になる」
 かちりとフォークを置いて、静かにシエナは話題の切り口を広げた。
「私も、最終的には塵となりますよ」
 フォードもまた飽きもせず、きちんと返答を返した。
 俯いていたシエナは緩慢な動作で顔を上げ、頭一つ分背の高い青年を見た。相変わらず端整な彼は、不思議そうにシエナの言葉を待っている。

「人間は土に還るっていうけど、僕たちは何処に還るのかな」
 シエナはそう言いながら、スプーンに持ち替えて食事を続けた。
 人魚や吸血鬼の死に方は魔物の中でも特殊な方だ。殆どの場合は、人と同じように地へと還る。けれど明らかに違う自分たちはどうなのかと、シエナはつくづく思っていたらしい。
「私は、やはり大地に還ると思いますよ。もしくは海。または空」
 微かな苦笑を浮かべながら、何てことはないとフォードが答えた。複数も出されるとは思わず、シエナは目を見張る。

 音も無くスープを優雅に口にしながら、銀髪の青年は今度こそにっこりと微笑んだ。
「つまり何処も同じってことですよ。還りたいって強く思う場所に還る。そう、ディラが言っていました」
「還りたい場所、か」
 納得のいく答えを手にし、シエナは満足気に何度も頷いた。
 決して現実的とは言いがたい。けれど人も魔物も同じところに還れるという、確かな証のように感じられた。



第二十話:Idealistic thought…END
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