異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
第三章 裏切り者と鎮魂歌
第十九話 Silent night
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あれから二人は、切符の手配をし、沈黙を保ったまま宿屋へ向かった。
町に入ったときは目を輝かせていたシエナは、部屋に入るなり消沈した面持ちのまま静かに横になっていた。
彼のそんな顔を初めて目の当たりにし、フォードはどう接すればいいのかと困惑していた。それが一層、二人の間をぎくしゃくしたものにしている。
ただ時間だけが過ぎていく。相変わらず会話の糸は途切れたまま、日は暮れた。
並んだベッドの上で、シエナは先程からずっと考えていたことを掘り起こしていた。
白い壁をじっと凝視したまま、ゆっくりと瞬きを繰り返す。
隣のフォードの様子は分からなかった。
(あの子……)
瞼の裏側にはっきりと浮かぶ、昼間の子供の姿。
突き刺さる嫌悪感が混ざる双眸。そこには確かに怒気を孕んでいたはずなのに、同時に別のものが浮き上がっていた。
あれは濁った魚のような、全てを諦めてしまった者の持つ目だ。何も感じていない、感じようとしないガラス玉なのだ。
シエナは、子供はもっと明るく元気にはしゃぎ回るものだと思っていた。
なのに、暗がりの路地にうずくまっていたあの子供は、暗くどんよりとした陰気をまとっていた。この日まで生きてきて、太陽の日差しさえ疎ましく思うような、絶望の海にずっと身を沈めてきたのだろうか。
(小さかったのに、大人に暴力を振るわれていた。何故だ? 化け物って一体何だ?)
次々と浮かぶ、疑問。考えれば考えるほど思考は引き摺られていく。
邪険に扱われたことを忘れたわけではないが、放っておけるほどの図太さをシエナは持ち得ていなかった。
悶々と渦にはまっているシエナの背中を見つめながら、フォードもまた例の子供を思い出していた。
彼は決して子供に友好的な考えを持ってはいなかった。
(私の予想が正しければ――)
毛布をかき寄せ、気付かれないように溜息を吐く。
警戒心がないのだろうかと、時折シエナが心配になる。危険を目の前にすれば、魔物の本能が反応して察知できてはいる。しかしそれは、時と場合によって遅いかもしれない。
世に存在するのは、自分のように詰めの甘い魔物ばかりではない。ましてや、人間は善悪を共有して持っている。昨日まで優しかった者が、今日になって裏切ることなどしばしばだ。
(また失うなんて私には耐えられませんよ)
そっと目を伏せて、フォードは無理に寝に入ろうとした。
拭えぬ不安感を断ち切るように。
唐突に歌が耳に入る。すると、あれほど鮮明だった思考がとろけるように沈んでいく。
まどろみ始める瞼を押し留めながら、フォードは再び前方に見える少年の背中を見つめた。
シエナの歌を聞くのはこれで二度目だった。
魔力の高い吸血鬼であるフォードでも、心に隙ができていれば簡単に眠りの底へと誘う魔性の歌声。しかし非常に心地が良く、幼い頃に聞いた母親の子守唄のようだとフォードは思った。
心の内で賛美の言葉を呟くと、彼の意識はやがて静かな闇に降りていった。
何故シエナが急に歌いだしたのか。行動を共にするようになって日が浅いフォードが、知る由も無かった。
+ + + + + +
翌日の早朝、二人は騒がしく動き回る人々の気配で目が覚めた。
少し遠い所で船の汽笛が聞こえる。多くの船が、航海から帰ってきたのだろう。
港町の人々の早起きに苦笑し、シエナとフォードは顔を見合わせた。
軽く着替えを済まし宿から出たときには、太陽もすっかり顔を見せていた。
昨日と同じ道を上っていけば、どこから現れたのか人の波が押し寄せてくる。船乗りたちを迎えている者、荷物を待ち望んでいた者など、様々な目的で彼らは集まっていた。
「港ってすごい気迫なんだね」
隙間の無い停泊所に、シエナは思わず歓声を上げた。海に浮かぶ様子を不思議そうに眺め、本で見た船の形と比べる。彼が知っていたのは基本的な型だけだったため、船大工たちがこだわりを見せたデザインには特に興味を引かれる。
消沈した面持ちの影すら見えない少年に、フォードは安堵の息を吐いた。
「何だい。また、世間知らずだなとか思っているの?」
すっかり保護者のようなフォードに、シエナはじとりと視線を投げかける。
フォードは、そいの少年らしい反応に思わず吹き出した。赤い目を柔らかく細めて歩き出す。
「やっと貴方らしくなったかなって安心したんですよ」
固くなっていた彼の表情も、ごく自然なものへと戻っていた。
第十九話:Silent night…END
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