異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
 第三章 裏切り者と鎮魂歌

第十六話 土塊は死者の匂い -2-
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 ざくり。ざくり。
 土を掻き出す音だけが、寒空の下で無常な響きを醸し出している。

 眼前には、寂れた死者の住まいが連なって広がっていた。
 眼下には、まだ新しい棺が、鎖付きの鍵で絡められて鎮座している。

 死者の顔を最後まで見るために取り付けられている小窓は、鈍い色の空を映し出していた。
 無心に穴を掘り続けるフリードリヒは、小窓を見る勇気がなかった。
 何故、自分がここにいるのか。到底信じきれないまま、体だけが黙々と機械的に動くのだ。
 悲しみにも似た虚無が、彼の胸にも暗い洞穴を作り出してしまった。



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 始まりは、父親の言葉だった。

 食事時の様子からしても、フリードリヒは実の父と全く馬が合わなかった。
 彼自身、母を追うことをしなかった父が許せなかった。その心が燻り続け、フリードリヒは困惑していた。

 父の機嫌を損ねて、再び捨てられることになったらどうするか。ここのところ毎日彼はそのことばかりを考えていた。
 母親が死んだのは、温かい家も食べ物も何もなかったからだ。
 寒空の下で、ひもじい思いをしながら病気にかかり、彼女は呆気なく死んでしまった。
 あの時の恐怖――路地裏にたった一人で取り残される、耐えようも無い孤独感は、今でもフリードリヒを脅かした。

 だから、彼は戦慄を覚えたのだ。
 久しぶりに自室に呼びつけるなり、父が言い放った言葉に。
「フリードリヒ、私の息子でいたいのなら私の助けをせねばならんぞ」

 戦慄く唇を噛み締め、フリードリヒは怯える体を叱咤した。
 暗がりで見る年上の男は、陰惨な笑みを向けている。この男と自分の母が結ばれていたのだと考えれば、不思議でならない。最も、彼女は単なる愛人の一人だったが。

 父親が言わんことは、聞かずとも知れた。
 現在のウィル家が夢中なのは、相続遺産の値と相続者の名だけだ。見かけだけならば慈善的な医師の一族も、中身は腐った林檎と同じだ。
 良心である当主夫妻の死を望んでいないのは、ローレンとフリードリヒと彼らに長年仕えている奉公の者ぐらいだけだ。

 それを知ったとき、フリードリヒは芯の底から冷えていくことを感じた。
 彼らにとって、夫妻がローレンを引き取ったのは計算外のことだ。
 通常ならば遺産の殆どは、当主の長男に相続される。突然現れた血の繋がりもない少年に、一族の妬みの声を何度も上げたはずだ。
 その勢力の筆頭がフリードリヒの父だ。
 当主に子がいない状態だと、弟である彼が当主になったのだから。

 フリードリヒは何度も思っていた。どうして、この男の子供が自分しかいないのかと。
 父親には何人もの女がいたし、正妻だっていた。なのに息子にも娘にも彼は恵まれていなかった。そのせいで最近になって妻と離婚したのだと誰かから聞いた。
 当主夫妻とはまるで正反対だ。父親は子供を自分の操り人形くらいにしか思っていないのだ。
 しかし、どう願っても現実は確実に襲ってくる。

「私はお前に継がせたいのだ。親心を分かっておくれ」
 嘘だ。
 フリードリヒは叫びそうになる喉を押し留め、何気なく視線を彷徨わせた。
 窓から渡り廊下が見えた。誰もいない絨毯の廊下を、小さな少年が軽やかに歩いている。

 ローレン。互いに支え合った、大切な片割れ。自分が守るべき従弟。
 フリードリヒは助けを乞いたかった。折れそうな外見とは裏腹に、自分とは違い強い精神を持つ彼に。
 ――……今から、自分が殺すその相手に。



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 廊下の角を曲がるローレンに声を掛けた。それが合図になり、父親が彼を羽交い絞めにした。
 そして睡眠薬を含ませた布を小さな口に押し付けた。
 弛緩した身体は、可哀想なくらい軽かった。未発達の手足が、前後に揺れるのを無表情に眺めた。

 ローレンは屋敷の裏に続く、先祖の墓地に連れてこられた。
 あらかじめ用意しておかれたらしい真新しい棺を見て、フリードリヒは眉を寄せた。金で口止めした棺桶屋に作らせたと、父親が笑っていた。

 棺に彼を投げ入れる。決して開くことが無いように、鎖を巻きつけて錠を閉める。
 それからずっと、フリードリヒは土を掘り返し続けていた。
「そろそろ良い頃合だろう。下ろすぞ」
 父親が棺に手を掛けた。がたりと棺が揺れる。ローレンに目覚める気配が無い。
 少なからず安堵している自分に吐き気がし、フリードリヒは彼が気付く前に終わればいいと願った。

 棺を完全に下ろした所で、今度は土を盛っていく。父に急げと命じられ、シャベルを忙しく動かした。
 足の方から土をかけていたため、小窓がいつまでも自分を映していることに気付いた。慌ててフリードリヒは小窓の方へと近寄り、土を被せようとした。

 刹那、棺が激しく揺れ始めた。
 鎖も盛り土も重しになっているというのに、棺が開いてしまうのではと彼は思った。

 小窓は相変わらず見れないまま、黙って土をかけていく。
 掘った時の様にシャベルに乗せた土塊を放り込む。何かを叩く音が、しきりに聞こえてくる。

 やがてフリードリヒは、恐怖の対象ともなっていた小窓を完全に隠した。
 土の状態も、元の高さまで戻した。
「よくやったフリード。さあ葬式の手続きも始めないとな」
 父が始めて、自分の名を愛称で呼んだ。さも日常的な会話をしている風なその男に、フリードリヒはもはや何も感じることはなかった。

 結局、あの夢は予兆だったのだ。
 顔を憎しみに歪ませ、必死に棺を叩く小さな少年の姿を、その日以来フリードリヒは見なくなった。



第十六話:土塊は死者の匂い -2-…END
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