異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
第二章 崖から手向けた白い花
第十一話 フォード -4-
←第十話++目次++第十二話→
木製の壁が、脆く崩れ去る。その影で自分の荷物を抱え、シエナは襲い来る男の姿を見た。
ゆらりと立ち上らせる殺気は、今まで味わったことがない恐怖だった。張り付いたその表情の中、赤い眼だけが悲しげな色を湛えている。
鬼神の如く、強烈な威圧感を与えるフォード。彼の本性を垣間見た人間は、ことごとくその命を絶たれたのだろう。
吸血鬼が生きるために獲物を狩るのではなく、ただ個人の恨みだけで殺す。それに関してシエナは嫌悪した。
魔物が如何なる異端者であったとしても、自然のサイクルを乱すことは許されない。それではまるで、審問会と同じだ。
だがしかし。
シエナは心の底からフォードのことを突き放せなかった。
冷たい仮面が剥がれ落ち、狼狽した素振りを見せたフォード。彼の姿に、不安で揺れる迷子の影がちらついている。
成熟した大人の雰囲気を持つ男が、何故あんな影を持っているのかが知りたかった。
そして、この村まで来た目的――十年前の事件の鍵は、目の前の彼が握っていることは明白だった。
だからこそ、シエナは逃げるわけにはいかなかった。
「どうしました。逃げているばかりでは確実に死にますよ。私も、これ以上自分の屋敷を破壊したくはないのですが?」
シエナが泊まっていた部屋は、風穴が開き、隣の部屋との隔たりを完全に無くしていた。
細い剣から繰り出される攻撃は、掠っただけでも皮膚を切り裂く。直接触れれば、この部屋の状態を体で味わうことになる。
吸血鬼の腕力は並ではない。手刀の一つでもくらえば、簡単に骨が折れる。さらに多大な魔力をレイピアに込めて、見えない真空の刃を作り出しているようだ。
フォードは冷笑を浮かべていた。
だがシエナには、精一杯の強がりのようにしか見えない。その横顔が、自嘲じみていることに彼は気付いているのだろうと思う。
「フォード。ディラって君の大事な人? 北の山で何があったんだよ」
息を呑んだ気配がした。
隙を逃さず、一気にシエナは扉に向かって跳んだ。
したたか肩を打ちつけたが、痛がっている場合ではない。そのまま体勢を立て直し、全力で廊下を駆け抜けた。
障害物が無ければ負けると分かっていたシエナは、こうしてフォードの屋敷内に飛び込んだのは数十分前のことだ。無事に荷物を引き取ることはできたが、このままでは追い詰められてしまうのも時間の問題だった。
長い廊下の奥と手前で、二人は睨み合っていた。
「何故そこまでして知りたいのですか! 貴方の持論なんて、一時の気紛れにすぎないでしょうに」
頑なに言葉を拒み続けるフォードに、自然とシエナの声量も大きくなる。
「どうしてそう思う! 君だって、北の山の生き残りなら知っているだろう。魔物と人は一緒に生活できるんだよ!」
怒声が響き渡る。一瞬、全ての騒音が掻き消えた。
沈黙を破ったのは、集束される魔力の気配。慌ててシエナは、前方の青年の姿を視界に捉えた。
最初に見えたのは真っ赤に染まった蝙蝠の羽だった。前屈みになった男の背から、伸び上がるようにそれはあった。
一対の紅の翼。それが何を意味しているのか、同じ魔物であるシエナにはすぐに分かった。
――あれが、吸血鬼。夜の帝王ヴァンパイア!
「……貴方は本当に癇に障る人だ」
緩急のない静かな言葉に、寒気がした。
一歩一歩とフォードは近づいてくる。その度にシエナの足は後退りを始める。やがて靴の踵が壁に当たった。ぴんと張り詰めた背筋に、冷たい汗が伝っていく。
「その青眼を抉り、二度と口を利けないようにしてあげますよ」
ニィと開かれた口元で、鋭い歯が光った。
逃げ場は無い。シエナは一瞬の迷いもなく、向かってくるフォードに対して身構えた。
凄まじい速度で突進してきたフォードの肩を掴み、噛まれぬように渾身の力で押さえ込む。力は向こうの方が上であるため、この体勢は長く続かない。
それを承知で、シエナは最後の賭けに出た。
衝撃によって腕に通した袋の紐が揺れ、荷物がフォードの体にぶつかる。怯んだ隙を見計らい、シエナは息を大きく吸い込んだ。
口ずさまれる軽やかなメロディ。それとは対照的に重苦しかった心の内を、全てぶつけるような力の篭った声が屋敷に響き渡った。
第十一話:フォード -4- …END
←第十話++目次++第十二話→
Home Back
-- Copyright (C) Sinobu Satuki, All rights reserved. --