異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
 第二章 崖から手向けた白い花

第十話 フォード -3-
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 屋敷の前まで来た所で、急にシエナは足を止めた。怪訝そうに、フォードは彼を振り返る。
 大きく息を飲み込んだシエナは、重く呟いた。
「フォード、さん。昨夜どこにいたんですか」
 男の目が大きく開いた。
 一瞬の出来事だったが、シエナにはそれがはっきりと見えた。

 フォードは笑った。取り繕ったものだとすぐに分かったが、何も言わずにおく。
「何を……。私はずっと部屋にいましたよ」
 冷たく輝く双眸に負けないよう、真っ直ぐと視線を送る。男は喉を震わせ、くつくつとただ笑っていた。
「どうしてそんなことを聞くのですか?」
 あの時感じた恐怖がシエナの背中を通り過ぎていく。
 シエナは外部では見えないところで大量の汗をかいていた。迫り来る圧迫感によって息苦しくもなりつつあった。
「じゃあ何故、僕の部屋を覗いていた」
 フォードの口元が一線になる。刹那、空気の流れが変化した。
 最初に見たときのように、彼の美貌から一切の感情が消え失せた。
「答えろフォード! 今の君からは血の臭いがする!」

 今度こそ、目の前に立つ男の顔色が変わる。それは今まで漂わせていた冷徹なものではなく、急に血が通ったような怒りの気配だった。
 だが同時に、苦悶や葛藤もありありと見て取れた。

 真実を追究しようとしていたシエナに、迷いが生じる。身構えていた体から、わずかに力を抜いてしまった。
 フォードは隙を見逃さなかった。
 その場で大きく屈伸をしたと思ったら、そのままシエナに向かって突っ込んできた。まるで疾風のような速さに、驚く声を上げる暇もない。

「昨晩の約束を守ったから見逃そうと思っていましたが、やはり貴方は知り過ぎている」
 やっぱり、とシエナは舌打ちをした。フォードが天窓から監視したのは、シエナが殺人の現場を見ていないかどうか確認をしにきたのだ。
 見てしまったなら今頃シエナも墓場の下だっただろう。
「けれど貴方は良い人だと、私は認識しています。どうです? 北の山のことを忘れて去るのなら、生かしてあげましょう」
 選択を、とフォードは迫った。

 コートから伸びる、すらりとした腕の先がシエナの首を捉えて放さない。決して細くはないが、逞しくもない体のどこにそんな力があるのか、片腕でシエナを宙で支えている。
 急激に呼吸困難となり、徐々にシエナの抵抗が弱まり始める。
 だが彼は諦めることなくフォードの手を外そうと懸命だった。真っ直ぐな青い瞳に睨まれて、微かに男が怯んだ。
「僕は、ここで帰るわけにはいかない。約束したんだ、魔物と、人とが、共に歩ける道を探すって!」
 青い眼と赤い眼がかち合った。

 突然、つかまれていた手が解けられた。重力に従い、シエナの体が地面へと落ちた。その衝撃に痛みを感じたが、シエナは毅然と前を見据えた。

 フォードは自分の手の平を見つめ、シエナと何度か見比べていた。驚愕を色濃く表した様子が、不安げな子供の姿と重なって見える。
「……ディラ?」
 呆然と立ち竦む青年は、白い喉から消え入りそうな声を出した。シエナの知らない誰かの名を、確かに呼んだ。
 フォードは首を何度も振り、前方を睨む。先程の強さはもはや無く、代わりに焦燥感があった。

「に、人間風情が戯言を。貴方も奴等と同じく、全身の血を抜きましょうか」
 口を開けば、白い犬歯が際立っている。色濃くなる魔性の気配は、晴れやかな朝の中でもはっきりと感じられる。
 たかが人魚であるシエナは、目の前に立つ夜の王者に畏怖した。隠し切れない全身の震えは、自らをちっぽけな存在だと嫌でも認識させた。
 しかし、相手の奇妙な態度に引っかかりを感じていた。
 首を絞められた時は凄まじい殺気があったが、今はどうだ。フォードは明らかに狼狽していた。彼自身気付いていないだろうが、低く落ち着いていた声はみっともなく震えていた。


 双方は対峙したまま動かなかった。
 何の武器も持たないシエナは、フォードに牽制すらできない。下手すれば殺されかねない。
 元々、争いごとをしにきたわけではないため、説得を試みるための言葉を探す。
 自分が魔物だとばらすのは容易だったが、その方法はシエナの中で却下されている。同族だからといって、この自尊心の高い者は敵意を消す理由はないのだから。

 ――そう。彼はとてもプライドの高い、高位の魔物だ。
 夜の眷属、太陽を嫌う者、悪魔の化身など、そうそうたる名で呼ばれ、異名に適った強さと気高さを併せ持つ魔物。
 シエナは例の辞典で、その魔物の項をもちろん読んだことがある。人間が最も忌み嫌うと言われる、血を啜る化け物達の王。
 彼は、吸血鬼だ。


 フォードはコートを広げ、腰に吊っていたレイピアを抜いた。精錬された構えは、やはり育ちが違うことを窺わせる。
 武器を所持していたということは、やはりシエナが危険人物だと警戒していたことの表れである。しかし、フォードが頑なに審問会の話題を避けていたのは、シエナを傷つけることはしたくなかったということだ。

 吸血鬼は、冷血漢で自分本位。人間達は恐れるあまりそう言うが、目の前に立つ青年は確かに優しかった。
 もしもそんな冷たい種族だとすれば、彼は立ち塞がる者を見境無く食い荒らすのだろう。
 シエナのことを人間と思っている彼が、躊躇している。少なからずフォードもまた、単に人間だからといって他人を毛嫌いしているわけではないのだから。

「……今ならまだ止められますよ」
「ここまで来たからこそ、止めるわけにはいかない」
 自分の最終警告にも屈しないシエナの様子を見て、フォードは軽く首を振る。
 再び重い殺気を纏わせて、彼は地面を蹴った。



第十話:フォード -3- …END
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