異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
 第二章 崖から手向けた白い花

第九話 フォード -2-
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 起床したシエナは、身支度を整えながら天井を見上げていた。そこには何の変哲も無い窓が、朝日を受けて輝いている。
 昨夜の出来事が夢か幻のように感じたが、どちらにしろ縁起が悪い。
 朝食の香ばしい香りが漂ってきたことで、シエナはそれ以上考えることを止めた。

「お早うございます」
 一階に下りてきたシエナは、エントランスの奥に続く廊下でフォードと会った。彼はキッチンからダイニングの方へ鍋を運んでいる所で、先程の匂いはそこから発せられていた。
 連れ立って中へと入ると大きなテーブルが目に付く。しかし、並べられた椅子はたったの二つだけだった。席の前にはすでに食器が並んでいる。手際の良さに、フォードの一人暮らしがいかに長いか伺えた。
「全部、手作りですか?」
「一応そうです。お口に合うかどうかわからないですけど」
 フォードは恥ずかしそうに杓子を回した。

 鍋を何度かかき混ぜ、深手の皿にスープが入れられた。次に出来立てのクロワッサンが並び、カップには乳白色のミルクが注がれた。
 朝食にしては質素な方だったが、シエナは温かい食事にありつけること自体が久しぶりだ。そのことの喜びの方が勝っていた。

 寝心地はどうだったか、良く眠れたか、部屋は良かったか等とシエナは尋ねられた。それぞれの質問に肯定を返していく中、やはり昨夜の悪夢が思い出された。
 だが、始終笑みを湛えているフォードに朝からこんな話をしてもいいのかと思うと、自然と口が堅くなった。


 食事を終えると、シエナは散歩に出かけた。フォードは片付けをしてから本題に入ろうと言ったため、急に暇な時間ができたからだ。
 外気は意外と冷たかった。すでにこの辺りは高地に差し掛かっているからか、空気も薄い。
 集落から離れた位置にある屋敷から、例の墓地までは一本道だった。明るいうちからでも側を通っただけで、異様な寒さが身を震わせた。

 シエナは、墓地の中に人々の姿を見出した。
 彼らは棺桶を取り囲み、何かを喋っている。誰かを弔うようだが、皆が着ているのは喪服でもなく、また神父の鎮魂歌も焦った調子だ。
 その儀式が終わると共に、鈍い音が空に響き渡った。木槌で何かを叩いているようだが、棺桶に釘を打っているわけでもない。槌を振るう人は、あくまでも棺桶の中心部分に振り下ろしている。
 柵の外側から見ていたシエナは、少し場所を移動した。すると人の間にわずかな隙間が見出せた。
 背を伸ばした瞬間、彼は息を呑んだ。

 土気色になった人間が棺桶の中に横たわっていた。一目で死人だと分かるが、その姿は今にも動き出しそうなほど綺麗だった。
 死体はカンッという音がする度に揺れ、棺桶もつられて振動していた。木槌は死体の胸めがけて打たれ、白木の杭がずぶずぶと身体へと収まっていった。
 棺桶を見下ろす人々は顔には、悲哀の感情は無かった。忌々しげに眉を寄せたり、青褪めた表情を見せたり、死者に対する類ではない。
 それがまた不可思議で、シエナは奇妙な葬式の一部始終を眺めていた。


「これで何人目だろうね。お払いをしても何の効果もないし」
「本当。やっぱりこの村は呪われているのかしら? 北の山の怨念にさ」
 葬儀を終えた人間達は、集落の方へ去っていった。
 風に乗って聞こえてきた会話が、シエナの胸に重く圧し掛かる。シエナは堪らず、教会へ向かう神父を呼び止めた。
「旅の者ですが……一体何があったのですか」
 神父は一瞬ぎょっとしたが、すぐに難しい顔を浮かべた。
 どうも言い辛いようだ。シエナは、さっきの葬儀も見ていたと付け足した。神父は観念したかのようにゆっくりと口を開けた。

 この村は呪われているのだと、神父ははっきりと言った。
 シエナの脳裏には、前の町で見た十年前の異端審問会による虐殺の記事が蘇る。北の山が関連しているなれば、それしか考えられない。
 神父はさらに追い討ちをかけるように続けた。
「四、五年前からでしょうか。村の者が、謎の変死を遂げるようになりまして。皆は口を揃えて呪いだの、怨念だのと」
「変死? まさか今朝の葬儀は……」
 青褪めた神父は、胸元に揺れるロザリオを握り締める。神に許しを請うように目を伏せ、地面をじっと睨んだ。
 シエナは神父の言葉を待った。生唾を飲み込む音が、やけに大きく響く。

 二人は重苦しい足を進めながら、やっと墓地から出た。その間、無言の時間が流れていた。
「ご想像のとおりです。あの方も同じ死に方をしていた」
 堰切ったように神父は切々と語り出した。その必死な形相に、シエナは気圧された。

 最初に死んだのは、十年前の事件の発端となった女性。彼女は熱心な審問会の信者で、裁きを受けた貴族の夫人だった。結婚した夫が異端者であることを恥じ、率先して計画を先導したという。
 その元夫人は、大量出血で死んだ。おびただしい血液が部屋中に飛び散り、辺りは酷い有様だったという。しかし、奇妙なことに彼女の体内には一滴の血も残されていなかった。
 人々の顔色はすぐに変わり、村は騒然となったらしい。
 それから次々と、事件に関与した者は同じ死因で亡くなっていった。関わりの無かった人々は何故こんなことが起きるのかと思っていたが、それ以上に生き残っている当事者達は恐怖に慄いた。
 彼らは知っていたのだ。これは自らが犯した事柄が要因となっているのだ、と。

 なぜなら、北の山で彼らが殺した魔物は――。



「シエナさん」
 屋敷へ引き返す途中、フォードと鉢合わせになった。どうやら散歩の時間が長く、心配して見に来たらしい。
 シエナは面持ちを上げ、優しそうな青年の顔を眺めた。
 年上のこの男の肌はまるで雪のようだった。一見すると病弱そうに見える体付きは、それでもシエナよりは随分しっかりしたものだった。
 常に黒いコートを着込み、気配も無くそこに佇む姿は、気品があり同時に不気味でもある。

 そしてその双眸。
 今まで何故気付かなかったのかと、シエナは思った。
 フォードが持つ儚い色彩の容姿の中で、両目は明らかに異彩を放っていた。
 まるで血のように鈍く光を照り返しするその色は、赤かった。



第九話:フォード -2- …END
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