異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
 第二章 崖から手向けた白い花

第八話 フォード -1-
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 夕暮れが闇夜に変わっていく。墓地には灯り一つ無かったため、すぐに暗くなった。
「今日はもう遅いですから、私の屋敷に泊まって下さいよ」
 どこで野宿しようかと考えていたシエナに、男は提案した。
「でも、そこまで世話になるわけには……」
 シエナは言い淀んだ。一夜も人間の家にいてしまえば、ぼろが出てしまう危険性が高くなる。男は信用に値する人間だとシエナは思っていたが、審問会を調べている者が魔物に偏見を持たないとは限らない。
 しかし一介の旅人を家に招くなど軽々しく言うこの男は、見た目だけでなく中身もお人好しのようだ。

 なおも強く勧められ、結局押しに弱いシエナは男の家に泊まることになった。
 男は懐から折りたたみ式のランプを取り出し、この時代珍しいアンティークである銀の小型着火器で火をつけた。
 どちらもシエナが見たことのない物で、興味津々とそれらを凝視していたことは言うまでもない。


 屋敷へ向かう道中、二人は他愛もない話しをしていた。
 この学者の男はフォードといった。亡くした親の財産のおかげで、仕事をせずとも安泰な暮らしができる身分だという。
 そのおかげで汗水流しての労働もせずにすみ、道楽に近い研究に没頭できるのだと彼は笑う。

 シエナは急ぐ気持ちがあったが、なかなか彼に審問会の話題を吹っ掛けることはできなかった。巧みな話術には入る隙がない。そして先刻見てしまったフォードの固い表情もまた、シエナを躊躇させた。

 一人で悶々としながらも、シエナは律儀に相槌を返した。興味を引いたアンティークの話題なので、聞かないわけにもいかない。
 そうしているうちに、とうとう彼の家まで着いてしまった。

 自分自身で屋敷と称するほどである。フォードの家は、確かに大きくて立派なものであった。
 昼間にそれを見るのならば、壮麗で威厳のある屋敷に見えただろう。しかし、薄闇の中で仰ぎ見る建築物は、不気味な雰囲気を醸し出していた。

 一人暮らしだとフォードは言った。これだけ広いのならば、部屋が余ってしょうがないだろう。気安く旅人に部屋を提供する考えも、納得しようと思えば納得できた。
「さあどうぞ。寝室は二階なので、ついてきて下さいね」
 鈍い軋みを響かせて、身長の倍はある玄関扉が口を開けた。扉の中央上部には、輪を銜えた獅子が飾られている。素材である純金が、闇の中で浮かんでいた。

 エントランスは吹き抜けだった。天井には、両腕を広げても余るほどのシャンデリアが吊り下がっている。階段は左右対称に造られていて、赤い絨毯が敷かれていた。
 外観からはとても大きく見えたが、屋敷は二階建てのようだ。
 外とは違い、室内は煌びやかな光を放っていた。

 驚嘆したシエナは夢心地のまま部屋へと通された。この客室にも、少年は目を丸くした。
「ほ、本当にいいんですか?」
 思わず上擦った声を出してしまったが、フォードは軽く会釈を返した。
「掃除はしてますから大丈夫ですよ。遠慮なく使ってくださいね」
 部屋を見回し、絹のシーツの上に腰を落としたシエナは、フォードの方を向いた。彼は部屋から出て行くところだった。

「ただ、夜中に外へ出ないで下さい」

 絡み合った視線に対して、フォードは言った。一番最初に出会った時と同じ、寒気がするほど冷たい顔をしていた。
 言葉を失い、シエナは手の汗を握り締める。
 フォードの表情はやはり一瞬で掻き消えた。そこには変わらぬ一人の優男が立っているだけで。

「灯りも消しますし、階下に落ちたら大変ですものね」
 有無を言わせない笑顔が浮かんだ。ごゆっくりどうぞと言い残し、フォードは颯爽と行ってしまった。

 音もせずに閉まったドアを見つめながら、シエナは合わない歯根を押さえつけようとした。
 今度は間違いなかった。
 シエナは確かに、銀髪の学者から本能的な恐怖を感じ取ったのだ。
「僕は何に怯えている?」
 言い聞かせるように両腕を体に巻きつけて、肌触りの良いベッドに転がった。



 突然の古時計の音に驚き、まどろんでいたシエナはそろりと目を凝らした。辺りはすっかり暗くなっていた。窓の外にも黒い闇が広がるばかりだった。
 何時か気になり時計を探してみたが、この部屋には無かった。玄関にあった巨大な振子時計がさっきの音源なのかと思い直す。

 毛布を少し引き上げ、体勢を変えようと寝返りをうつ。仰向けになり、初めて天窓の存在に気が付いた。暗闇になれてくると、その輪郭が鮮明に見て取れる。
 乱れた髪のせいで視界は悪かったが、就寝直前の気だるさに身を任せ、かき上げようとはしなかった。

 シエナは、宵の時の独特な静けさに耳を寄せていた。風が木々の枝を揺さぶる音や、時計の針が刻む音は眠気を誘うものだった。
 やがて、天窓から柔らかな月明かりが零れ落ちた。心地良い月光浴は幻想的だった。

 少し肌寒く感じたシエナは、肩を擦った。夏に差し掛かっている季節だが、この地方はまだ肌寒い。再び毛布を鼻先まで引き上げた。

 そうして十分ほど経った頃、不意に月の光が遮られた。
 雲がまた出てきたのかと思い、シエナは薄く瞼を開いた。視線の先には、天井にある小さな窓。窓の先は真っ暗で何も見えなかった。

「……――っ!」
 シエナはぼんやりと眺めていたが、しばらくして喉が引き攣った。不覚にも上げそうになった悲鳴を押し留めるためだ。
 全身に冷や汗が浮かび、毛布を握りこむ拳には力が篭る。直視することが怖く、それ以上目を開くことはできずにいた。

 闇の中には、一対の瞳が浮かんでいた。
 ぎらついた獣のような目玉は、まるで血のように生温かい紅に染まっている。それらはじっとして動かず、ただただ無心にシエナの方を見下ろしていた。



第八話:フォード -1- …END
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