異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
 第二章 崖から手向けた白い花

第七話 本当にあったこと -3-
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 シエナの目が細まったのは、落ちていく日差しのせいだけではなかった。

 山脈を迂回し始めて十数日が経っていた。
 今、目の前に広がる盆地は、山脈の南側に来たことを証明している。なだらかな平野は作物が良く採れるのだろう。人家の数よりも畑の方が多いようだ。
 しかし、運河の町を彷彿させるのどかな情景とは裏腹に、嫌な気配が辺りから立ちのぼっていた。

 ――血の匂いが、土地に染み付いている。

 思わず顔を顰めたシエナは、盆地のある箇所に気が付いた。
 青々と伸びた植物が大きな海を作り出している中、そこだけ荒れた大地が露出していた。朽ちた老樹が佇むそこは、普段から誰も手入れをしないのだろうと推測された。
 集落から隔離されたように、最も遠い位置にその場所はあった。

 シエナは口元を押さえながら近づいた。
 折っただけの板で作られた十字架が、幾つもの土山の上に突き刺さっている。中には道端に転がっているような石が置かれているだけの物もあった。周りには苔や雑草が生えていた。
「死者を冒涜しているのか?」
 信じられないとシエナは悪態をついた。自分の町の様子を思い返してみた。



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 運河の町にももちろん墓地は存在した。シエナも一度、サラの祖父母の墓参りに連れて行ってもらったことがある。
 初めて訪れた町の共同墓地は、清楚で神聖な場所だとシエナは感じていた。
 死者の名が刻まれた墓標が均一に並び、柔らかな芝生の上に横たわっていた。縁者達は墓石を丹念に磨き、供え物としてコップ一杯の水と花束を置いていく。花は萎れる前に下げる。

 人間の不思議な行動に、思わずシエナはこう言ってしまったことがある。
『皆、何のためにお祈りしているの?』
 口走った後、慌ててシエナは言い繕った。さも当然のように、自分が生活様式を知らないのだと告白してしまったように思ったからだ。
 問いに疑問を抱くことなく、サラは答えてくれた。

『亡くなった方の冥福を祈っているのよ』
 迷うことなく彼女は言い切った。

 主観的なものじゃないか、とシエナは愚痴るように反論した。本性が本性なだけに、シエナには死んでしまったものに対して感じる悲哀や憐れみの概念が浮かぶことは今までなかった。
『そうね。死者は何も語らないもの。けれど』
 シエナの隣を歩きながら、サラは怒ることなく意見した。
『死んだ人達にも生きていた時間があったのよ。辛いことも嬉しいことも、色々な出来事があったのよ』
 軽い気持ちで言ったシエナに対して、彼女は真剣な表情だった。

 サラのその時の顔が、しばらく脳裏に貼りついたままだったことをシエナは忘れていない。
『そのことを誰かが覚えていてくれれば。誰かがその人に対して思い出してくれれば。彼岸へ旅立った人達が、この世にいたことの証明になるのよ』
 サラは、忘れてしまうこと、忘れられてしまうことが一番怖いことだと言った。
 思いもよらぬ答えに面食らい、シエナは思わず俯いた。

『……貴方は、わたしのために祈ってくれるかしら』
 ぽつりと告げられた言葉はとても小さなもので、少年の耳へは届かない。
 サラは彼に熱っぽい視線を送っていたが、シエナがその真意に気付くことはなかった。



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(それを聞いてから妙に物悲しくなったっけ。食べた魚とか、手折った花とかに、ごめんって言えるようになったのもあれからだ)
 たとえ故郷を離れようとも、彼の中の大部分はサラに占められていただと今更ながらも思う。
 彼女はシエナにとって尊敬すべき人なのだ。彼女と出会っていなければ、こうして旅に出ようとも本気で思わなかったかもしれないのだから。

 懐古していると、不意に奇妙な気配に気付いた。
 振り返れば、背の高い男がすぐ傍に立っていた。男との距離はたかだか二、三歩しかいない。にも関わらず、これほどまで接近しなければ気付かなかった。
 シエナは驚愕した。その薄い気配に、背筋が薄ら寒くなった。

「旅人さんですか」
 男が口を開いた。良く通る、低い成人男性の声音だった。口振りからして地元の人間だろう。
 先程の幽鬼のような姿が嘘のように、彼は明るい表情をして、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

 緊張の糸が解れ、シエナも男と喋り始めた。
「そうですか。山脈を迂回してわざわざここまで……」
「前の町の資料館に来たっていう、学者さんを探しているんですけど」
 すると男は首を傾げた。切れ長の瞳を大きく開くと、ずいぶん幼く見えた。
「私のことですが」
 そう言われて、シエナはまじまじと男を観察した。

 夕陽に染まる珍しい銀髪は長く、項の辺りで一つに括られていた。真っ黒なコートで襟元から膝下まで覆い、そこから覗く革のロングブーツは高級な物のようだ。
 一目で普通の庶民とは違うことが分かるが、彼は決して高飛車な態度をとらなかった。不躾な視線にも、苦笑してはいるが温和そのものだ。学者というよりも、高貴な家柄の紳士のようだった。

 そんな男に嫌な印象はまるでなく、シエナは警戒心を和らげた。一息ついてから本題を切り出した。
「実は、僕も異端審問について調べていて」
 少し小声になった言葉を、彼はしっかりと聞き取ったようだ。僅かに眉が動いた。拳を軽く握った音もした。
「この地でも、過去にあったのでしょう」
「ええ。本当にありましたよ。もう十年も昔のことですがね」
 きつく結ばれた口元から、彼は当時のことをよく知っているようだった。思い出すだけでも辛いのか、男の顔付きは固くなっていた。



第七話:本当にあったこと -3- …END
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