異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
 第二章 崖から手向けた白い花

第六話 本当にあったこと -2-
←第五話++目次++第七話→


 資料館の回廊を、シエナはゆっくりと歩いていた。
 あの新聞記事を見てからしばらく、高揚した気分が続いてた。

 確かに、人と魔物が共生していれば奇異に見られるかもしれない。
 それでもシエナはずっと信じているのだ。交わらないとされる種族の共存を。
 それが異端審問会によって、真正面から阻まれたような気がした。お前の願う未来などあり得る筈がない、と断言された気持ちだった。

 しかし記事に載っていた人間は、自分から魔物に親しくしたという。
 過去のことでも、そのような人がいたということにシエナは嬉しさを禁じえなかった。故人に対してこういった感情を持ってはいけないと思ったが、本心は偽れない。

 目的地の無かったシエナは、その地へ行こうと決意した。
 何らかの手掛かり、あるいは事件当時のことを知る人がいるかもしれないと考えたのだ。



「北の山?」
 受付嬢が驚いた声を出す。
「この記事の山です。行き道を教えて欲しいんだけど」
 文面を指差しながらシエナは再び尋ねる。

 どうやら彼女も、十年前の悲劇を知っているらしい。朗らかな表情に影が落ちる。
 彼女は困惑した様子で新聞を見た。話して良いものか、明らかに迷っているようだった。

 シエナはさらに懇願した。
「お願いします」
 断ろうとした彼女に、真剣な言葉が降りかかる。顔を上げると表裏の無い真っ直ぐな視線が、じっと見ている。

 しばしの間、二人の間に沈黙が流れていた。
 先に切ったのは一つの溜息だった。
「地図はあるかしら」
 彼女の方が折れてくれた。シエナはぱっと明るい顔をし、鞄から古びた地図を取り出した。

 年代物の羊皮紙は所々擦り切れていた。広げると少年の肩幅と同じくらいになった。
 地図には、現在いる地方――西の大地と呼ばれている大陸だ――の拡大図が描かれている。元々が地形図なので、山の高度や森の広さなどは正確に書かれていた。しかし町の名前はおざなりにだった。所々にばら撒かれた文字は、現在使用していない古文書体だ。

「ずいぶん古い物ね。ええっと、ここにこの町ができたはずです」
 受付嬢が羽ペンを取り出し、一つの地区を指した。新しく造られたこの町の姿は、どこにも無かった。
 インクをつけていないペン先が、紙上を滑る。東北東へと真っ直ぐ向かうそれを、シエナは真剣に見つめた。

 そして、動きが止まった。地図上には古文書体で、「シュタイト山」と素っ気なく書かれていた。
「通称・北の山。昔、王侯貴族の所有物だったと言われる所で……事件が起きた場所よ」
 飲み込んだ空気の塊は、喉を大きく鳴らした。

 神妙な顔付きのままで彼女は道のりを教えてくれた。シエナは耳を傾けながらも、北の山で起こった陰惨な光景を想像した。
 思わず、身震いがする。
 単なる自分の中での幻に過ぎないというのに、一体現実はどれほどのものなのだろうか。


 地図に道標を書き込み、シエナは鞄へとしまいこんだ。
 いつのまにか受付嬢の固い表情も、幾分か和らいでいた。礼を述べると彼女は弱々しく笑って、シエナを玄関まで連れて行った。

「旅人さん」
 扉の取っ手に手をかけた瞬間、呼び止められる。振り向けば、彼女は思い出したように自分の手を叩いていた。
「昨日いらした学者の方。北の山に住んでいるらしいですから、尋ねてみたらいかがですか」
 彼女の提案に曖昧な返事を返し、シエナは資料館を後にした。
 受付嬢は愛想良く手を振って見送ってくれた。


 次の目的地も決まり、シエナは早速町へと繰り出した。
 資料館での時間は些細なものだと感じていたが、日はずいぶんと傾き出していた。
 普通の旅人ならば宿をとってもいい時間帯だったが、銅貨一枚はおろか財布すら持っていないシエナには、その選択肢は元から無い。
 同じ野宿ならば先に進んだ方が良いだろうと考え、彼は迷わず町の外へと向かった。

 北の山へ行くには一路南下しなければならなかった。連なる山脈は険しく、迂回しないといけないのだ。山脈の反対側へと回り込み、そこから山沿いに北東へ進むと、ちょうど麓の村へ辿り着く。

 親切な受付嬢で良かったと、心底シエナは思った。
「何も知らなかったら山で遭難する所だったよね」
 シエナは乾いた笑い声を立てた。人込みを避けて、裏道を急ぐ。
 バザールに寄りたい気持ちもあったが、金を持っていない自分があの中に入っても仕方がないだろうと決め込んでいた。

 どんどん町外れへ歩き、人の気配から遠のくと、ずっと気にかかっていたことを改めて口に出す。
「……僕と同じことを調べていた学者、か」
 シエナの中で様々なものが駆け巡った。
「どんな人なんだろう?」
 まだ見ぬ地へと、人へと想いを馳せて、彼はやがて町の出口を通り過ぎた。



第六話:本当にあったこと -2- …END
←第五話++目次++第七話→


Home Back
-- Copyright (C) Sinobu Satuki, All rights reserved. --