異端生物 〜the blue eyes of the Siena〜
 第二章 崖から手向けた白い花

第五話 本当にあったこと -1-
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 路銀を持っていないシエナは、町を旅立ってからの数日を野宿で過ごしていた。
 本で知りえた知識を総動員して、火の起こし方から釣りの仕方まで初めての体験した。
 さすがに薬草や食用植物の見分け方までは、おぼろげに思い出す図鑑任せというわけにはいかない。そのためシエナは、自信を持って判別できる物しか採ることはできなかった。

 夜になると、彼は地図や本を読んだ。どちらもサラの図書館のものだったので、愛着が湧いてくる。
 この日は世界魔物辞典を黙々と読書していた。
 錆び付いたカンテラから漏れる光と、空から降り注ぐ月明かりによって、活字はくっきりと見て取れた。

 世界には、自分が知識としてしか知らない種族がたくさんいた。無論、この本に書かれている数も、現存の生物たちから見れば、氷山の一角である。
 まだ見ぬ世界に、シエナは胸が高まっていた。そして同時に不安にも思っていた。

 人間と魔物の溝を最も深いものとしている、異端審問会。彼らは非常に排他的で、時には同族――大体は罪無き人々に濡れ衣を着せて――すら狩っていた。一方的な裁判にかけられれば、間違いなく拷問死するという。
 この残虐な者達を嫌い、殆どの魔物は人全体を憎むようになっているだろう。
 異端審問会が騒げば、本来善良な人々でさえ集団混乱に陥り、魔物を排除しようと躍起になる。
 図書館の奥で見つけた異端審問の歴史書は、このように語っていた。
 しかしそれは堂々巡りなのだと、感懐をシエナは抱いていた。

 人が人を疑い魔物を敵視し、差別をしてしまい、ついには虐殺すら厭わない。怨み辛みが重なった魔物達が人間を軽蔑する。容赦なく人に害をなし始める魔物に、今度は人間達が恐れを抱くのだ。
 怨嗟の鎖は、雁字搦めで延々と続いてしまっている。

「でもいつか断ち切らないと、人も魔物も心が荒廃しきってしまう」
 本から顔を上げて、そのまま仰向けになった。シエナは雲一つ無い満天の夜空に向かって呟いた。
 しばらく無言で見上げていたが、不意に小さなメロディーが口ずさまれた。
 考え事をしていて落ち込んだときには、歌うに限る。

 人魚の歌の響く夜。僅かに欠けている月の光が、世界を照らしあげていた。



 + + + + + +



 次の日、やっとのことで隣町までやって来たシエナは、まず町の資料館へと赴いた。

 運河の町よりも新しく建てられたこの町には、古くから伝わる書物などは全く無い。よって図書館も無いのだ。
 歴史は無いが活気はあった。多くの人々が行き交い、運河の町のように田舎に部類されるようなのどかさはない。
 商店が軒を連ねる中央通りでは、バザールが開かれていて、色とりどりの野菜や果物が並べられている。賑やかな笑い声も、頻繁に耳にした。

 一気に大勢の人間を目にしたシエナは、最初のうちは落ち着かなかったが、人の波間を縫ううちにすっかり慣れてしまった。

 楽しそうな通りとは正反対に、資料館は静寂に満ちていた。
 入り口には青銅のオブジェが飾られており、町が創立した年号が書かれていた。
 受付嬢に挨拶をして、シエナは恐々と中へ進んでいった。

 突き当たりの奥まで来たシエナは足を止めた。
 自分の足音が止むと、外界から切り離されたように寂しい気持ちになる。目の前に並ぶ、人目から避けられてきた資料も、このような気分になるのだろうか。
「……この本は、サラの所にあったものと同じだ」
 見覚えのある装丁を引っ張り出し、記憶の中の題名と照らし合わせる。
 本棚に戻し、隣の冊子を手に取る。こちらも似たようなタイトルだったが、著者は先程とは違う。
 この一帯にある資料――異端審問会の資料――を出し揃えると、シエナは床に座り込んだ。活字を追い始めると、あとは黙々と読み続けた。



「これ、どうぞ」
 急に現れた声に驚いて、シエナは顔を上げた。集中しすぎていたのか、気配に全く気付けなかった。
 シエナの前には受付嬢がいた。彼女は遠慮がちに微笑むと、側にあったチェストに盆を置いた。その上にはシンプルなティーカップと銀さじが乗っている。紅茶を淹れてきてくれたのだ。
 慌てて立ち上がって礼を述べる。受付嬢は、今度こそ笑った。
「良いんです。資料館ってなかなか人が訪れないから、あたし、暇でしょうがないんですよ」
「え? こんなにいっぱい良い本があるのに、誰も来ないんですか?」
 シエナは驚愕した。信じられないといった顔をする彼に、受付嬢は短く肯定した。

 歴史に誇り伝統を重んじる運河の町とは違い、この町の人々は過去の出来事にはあまり興味が無いそうだ。彼らは現在のこと、これからのことに精一杯で、資料館に足を運ぶことは殆ど無い。

「たまに役場の人とか、他の町の考古学者がいらっしゃるんです。だから、貴方みたいな若い人が来ることが珍しくて」
 彼女の言葉を耳に入れながら、シエナは紅茶を飲んだ。
 香る葉の匂いは慣れ親しんだ物だった。思わず問うと、予想通り運河の町で摘まれた葉だという。

 飲み終わったカップを下げると、彼女はもう一度シエナの元へとやって来た。
 今度は盆ではなく、活字版で刷られてた紙を数枚抱えていた。
「異端審問会について調べているんですよね。これ、参考になるかどうか分からないですけど」
 受付嬢から渡されたのは、ここ数年の新聞だった。資料室の倉庫の方にあったものらしく、受け取ると少しひんやりしていた。
「わざわざ用意してくれたんですか?」
 迷惑をかけてしまったと思い、尋ねてみると彼女は首を振った。
「ちょうど昨日も、旅人さんと同じこと調べている学者さんが来ていて」
 倉庫の奥にしまい忘れていたんです、と悪戯っぽく笑った。つられてシエナも微笑んだ。
 
 ありがたくそれを受け取ると、彼女は受付の方へ再び戻っていった。
 思ってもみない行為に感謝して、シエナはそれらを読み始めた。

 新聞の日付は、町の創立日から始まっていた。受付嬢が選別して持ってきてくれたため、異端審問会の記事が載っている紙面しかない。思っていたよりも、それは多くなかった。
 内容は異端審問会の演説や集会の様子など、抽象的なものばかりだった。具体的に何の魔物を狩っただとか、どの村の誰が魔女だった等は書かれていない。

「さすがに……そこまで社会に影響してはいないのか」
 シエナは安堵の息を吐いた。
 そうして、最後の新聞を捲る。年号は今からちょうど、十年前の記事にそれは書かれていた。

 一人の没落貴族が魔物と暮らしていたため、審問会によって裁かれた――と。



第五話:本当にあったこと -1- …END
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