黒眼のオニキス…二幕 エゴイスト・04
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 夜の荒野は不気味な静けさに満ちていた。
 辺りにはまるで生命の息吹を感じることができない。夜行性の生き物もいるのだろうが、彼らは厳しい自然を生き抜くため息を殺して生活している。気配は何とも希薄なものだった。

 静寂をわざと破るように、キアナは暗視スコープのダイヤルを音をたてて回した。吐き出す息は白い。
 昼間は渇きを耐えることで精一杯だというのに、日没と共に冷えていく大地からは温度までも奪われていく。湿度の高い湿地帯や熱帯雨林で行軍するよりは幾許かましだろうと自身に言い聞かせながらも、キアナは何度も自分の腕を摩った。
 極寒の地で一年以上生き抜いているはずなのに、久しぶりの砂漠越えはやはり身体に少しばかり負担をかけているのだろう。
 毛布をきちんと羽織り直し、キアナは再びスコープの中を覗き込んだ。


 オニキスは最小限の火を使い、キアナのために些細な夕食を作っていた。
 本当なら見張りはオニキスが担当するはずだったのだが、キアナが頑として交代制を主張したため、手の空いた彼は半強制的に食事当番にさせられた。
 兵器である以上人の生活に深く関わることはしないのが当たり前なのだが、砂漠に二人きりでは軍紀の一つくらい構わないだろうというのがキアナの持論だ。
 そういう経緯があり、オニキスは今黙々と飯盒の蓋を見つめていた。

 自分の部下か相棒のように扱ってくるキアナにオニキスは正直戸惑っていた。ルーファスも時折そのように接するが、あの線の薄い青年は一定の距離を弁えていたはずだ。
 けれどキアナは付かず離れずの微妙な間合いでありながらも、手を伸ばすことを止めなかった。彼の態度は周りにも伝染したようで、部隊の中でもオニキスのことを親しげに呼ぶ者も現れた。
 それが、とてつもなく不可思議なものに思えた。
 オニキスの周りにいた研究者達などは皆、オニキスをLN-01という物として捉えていた。
 それが当たり前の日常だった。メモリにも記録され、思考調整もされていた。命令に疑問を感じてしまえば回路がニアミスを起こして動かなくなるのだから、学術的にも問題は全く無いはずだ。
 それなのに。

 飯盒の蓋を取り払い、中のスープを適度に掻き混ぜながらオニキスはそっと眼前に広がる地平線を眺める。
 あの先に、オニキスの生まれた研究所がある。
 完成してメンテナンスを終えると、すぐに総司令部に連れて行かれたため彼はどういった場所であったかと聞かれると答えに窮した。
 キアナに尋ねられた時、具体的に現せるようなビジョンは何も浮かばなかった。
 だからオニキスは、先程口から自然と飛び出した言葉に内心で驚いていた。

 ――大きな所。人が沢山行き交っている所。

 幼稚にも思える表現方法。今まで会った事のある研究者や軍人ならば絶対にしないような物言いで、オニキスは研究所を表した。
「あんな言葉、誰に聞いた……?」
 ぽつりと自問する声を漏らしたオニキスは、微かに瞼を伏せる。
 彼はしばらくそうしていたが、おもむろに火から飯盒を持ち上げて地面に下ろした。そしていつもの口調でキアナを呼んだ。



 小休止を挟みながら昼夜を構わず走り通し、砂漠を抜けたのは五日後のことだった。
 その間、キアナは積極的にオニキスと会話を続けていた。相手は相変わらず素っ気ない受け答えだったものの、それはそういう答え方しか知らないため困惑しているのだろうとキアナは感じていた。

 冷たい黒い瞳。
 それは感情がない単なる機械兵器のものではなく、人のように何かを感じることのできる心が凍っているだけなのではないのだろうか。

 確かに彼は機械人形であり、兵器なのだけれども。
 人殺しが慣れてしまった無機質な視線を戦場に送るオニキス。何処かに何かを忘れ絞まったのだと苦しげに呻くオニキス。口下手な少年のように些細な気遣いを見せるオニキス。
 そんな彼を形作る全てが――キアナが見たのはもしかしたら多数に存在する彼の一面の一つだけなのかもしれないけれど――食い違っていたり合致していたり、曖昧で矛盾している。
 その不完全な様は、人間と何が違うというのだろうか。
 考える力があるからこそ、心が感情があるからこそ揺れる自分達とオニキスの間には、一体どれほどの相違点があるのだろう。
 生有る者と無き者。それは確かに絶対的な隔たりではあるが、屍と化した友を何度も掻き抱いてきたキアナにとってはその境界線は酷く不鮮明だった。
 そこに存在しているかいないか。それだけだ。
 オニキスは確かに目の前にいて、キアナの言葉に返事を返してくれる。命を無くした仲間達は幾ら呼んでも何も言わなかった。それが、キアナにとっての絶対的な死だった。

 だから、キアナにとってはオニキスは自分と変わりない。
 今、隣に存在している。
 滑稽な考えだと自身で気付いていながらも、キアナにとってそれだけは紛れも無い真実だった。


 砂漠を越えてしまうと、友軍の基地が幾つか目に入るようになった。
 鉄柵で区切られたキャンプ地には、キアナと同じ軍服の兵士達が何人も僅かな憩いの時間を楽しんでいた。その様子にキアナは砦に残してきた自分の隊の人々を思い出した。
 地獄への扉と呼ばれたあの地では、何が起こっているだろうか。
 望郷の念にも似た思いを胸に、キアナは暗くなっていく北の方角を眺めた。

「第0056隊キアナ=ローンウェル伍長だ。総司令部からの特務により行動中。補給をさせてもらいたい」
 ゲートの憲兵に名乗ったキアナは、何の勘繰りもされずにすんなり基地内に通してもらった。
 連絡が届いているのだろうかと眉を顰めながら辺りを見回す。届いているにしても無用心すぎるのだ。基地の上部にも通達せずに独断で内部に入れてしまうなど、自分がスパイだったらどうする気なのだろうと彼は思っていた。

 しかし、その理由もすぐに分かった。
「キアナ……ここでは、伍長とお呼びします」
「そう、だな」
 律儀にもキアナに断ってきたオニキスに、彼は歯切れが悪く相槌を返した。
 基地内で速度を落としながら走るジープに何十人もの視線が集まっていた。正確には、助手席に乗るオニキスに。
 乾いた風が運んでくるのは嘲笑にも似た声と畏怖を含んだ噂話。
「あれが例の?」
「俺はあいつの初陣の時、近くの部隊にいたんだ。そりゃあもう怖いの何のって」
「あの伍長さんも可哀想にね。単なる荷物運びの荷が核弾頭みたいなものだ」
 彼らが注視しているなか、キアナは黙ってゆっくりと車を走らせ続けた。
 晒し者だと感じながらも、黙って基地の真ん中を通り過ぎていく。
 こんな状態でオニキスがキアナを名で呼べば、更に話に尾ひれが付くことだろう。オニキスは何も言わずとも承知しているようで、沈黙したまま前方を見据えている。
 無性に悔しく感じながらも、キアナはただ指定された停車場まで早く着かないかと願うだけで口は閉ざしたままだった。

 日没を向かえ、基地の中に控えめな照明が灯される。ジープの側に張られたテントからそれを一瞥したキアナは、久方ぶりに身体を伸ばして床に寝転がった。
 肩や腰が小気味の良い音を奏でられる。軽くストレッチをしてキアナは早々と毛布を被ろうとした。
「オニキス?」
 ふとテント内を見回したキアナは、この数日間ですっかり見慣れた姿が無いことに気付いた。
 テントを張り終えて中に入った所までは一緒だったことは覚えている。
 探しに行こうかと考えたとき、テントの入り口が静かに開いた。
 一瞬、黒い目と視線が交わる。
 先程のこともあり、外にいたらしいオニキスがまた何事か言われてきたのではとキアナは心配だった。
 無表情なので平然としているように見えるオニキス。その裏で何を思っているのかはまだ分からない。
 言葉は思い浮かばなかったがキアナはどうにか声をかけようと口を開いた。
「伍長、食事を貰いました。どうぞ」
「へ?」
 吸った息は声帯を変に震わせ、奇妙な音が出て行った。
 丸くなる褐色の瞳に首を傾げたオニキスは、片手に持っていたステンレスの盆を差し出した。賄いのような食事だが、味気の無い携帯食ばかりだったキアナにとってはありがたい代物だ。
「これを取りに行っていたのか?」
 生真面目に頷いたオニキスを盆と見比べる。
 どうして、と聞きたかったが、それよりも前に機械人形が応答を返した。
「交代制です。貴方がお疲れの様子でしたから」
 伝えられた淀みのない言葉。
 驚きから一転しキアナの顔に笑みが滲んだ。困ったような、くすぐったいような微笑みが後から湧き上がってくる。
 当たり前のようなオニキスの言葉や行動で幾度も驚かせられていたが、これはまた嬉しい誤算だった。
 ――荒野で無理やり決めたルールなんてもう失効だろうに。
 キアナは盆をしっかりと受け取った。
「ありがとうな」
 感謝の意を告げて顔を上げる。
 一瞬、オニキスが微かに口の端を上げてくれたように見えた。


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