黒眼のオニキス…二幕 エゴイスト・03
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 あれから何日かが経過していた。
 隣の助手席ではオニキスが黙って前を見据えている。時々タイヤが石を踏むのか、車体が大きく揺れるが彼はじっとしていた。
 砂埃が入るのかしきりに瞬きを繰り返す黒眼を、キアナはバイザーグラス越しに盗み見ていた。

 部隊を離れ、単独任務を請け負うのは初めてだった。それも軍の中でも重要度が高いであろう、最新兵器の輸送だ。多分、普通の兵士ならば光栄だと思うことだろう。
 けれどキアナにとっては、命令の内容よりも裏に隠されている真実の方が重要だった。
 一介の伍長如きが首を突っ込むことではないということは分かっている。しかしこれから向かう中央は、その真実に限りなく近い場所であるのだ。
 オニキスの傍にいる自分はもしかしたら片鱗に触れてしまうのかもしれない。
 そんな期待と不安を心中に抱え、キアナはハンドルを握る手に力を込めた。


「キアナ、停車を」
 オニキスの鷹揚のない声に気付き、キアナはブレーキを踏んだ。辺りに砂煙が上がる。
 屋根の無いジープから身を乗り出し、オニキスは軽々とボンネットの上に飛び乗った。キアナも座席から立ち上がり、広がる荒野に目を向ける。
「どうかしたのかオニキス?」
 バイザーを外して褐色の目をやや細めるキアナを余所に、オニキスは数十メートル離れた所にある岩陰を無言で眺めている。
 岩場は地平線まで広がる剥き出しの大地の中でも、一際目立つ大きめのものだった。時刻は午後を回っているため、側には影が伸びていた。
「あそこで休みましょう。異常は見当たりませんでしたから」
 そう言うとオニキスは、ボンネットから降りて岩場に向かい歩き出した。
 呆気に取られてその背中を見ていたキアナは、慌てて彼を追いかけるためにアクセルを踏み直した。

 岩陰は日向の温度が嘘のように、ひんやりとした空気を保っていた。巨大な岩を見上げていたキアナは、ゆっくりと速度を落としてジープを止めた。側ではオニキスがやはり同じようにして、分厚い自然の壁を仰いでいる。
 突然の休息に驚いていたものの、キアナとしてはありがたかった。何しろ、この砂漠地帯に入ってからろくな日陰がなかったのだ。休憩をしていても、じりじりと焼け付く日差しに体力を奪われていた。
 ジープの座席に体重をかけ、キアナは喉元に詰まっていた息をようやく吐き出した。
「水も飲んで下さい。体温が上がっている」
「ありがとう。気を使わせたな」
 疲れた様子のキアナに、オニキスは荷物袋の中から取り出したコップを差し出す。しっかり受け取ったことを確認し、タンクに入れた水を注ぎ込んだ。
 生温い水を含みながらキアナはくすぐったさを覚えていた。
 オニキスは自分の不調にいち早く気付いていたのだろう。何も言わずに休憩を提案したところから、彼の些細な気遣いが窺える。
 吹雪の中で自身の上着を貸した時のように、オニキスはそういった面でとても紳士的だった。キアナのように近い関係にあった人間がいたかのように思えるときもある。
 だがオニキスに尋ねても首は縦には振られず、詳しいことを知っているはずのルーファスもまた寂しそうに笑むだけで答えは返してくれなかった。

 コップの半分ほど水分補給したところで、無言で立ったままのオニキスに気付いたキアナは座るよう促した。オニキスは少しばかり逡巡した後、大人しくキアナの隣に腰を下ろした。
「研究所はどんな所なんだ?」
「大きな所です。人が沢山行き交っています」
 愛想は無いがきちんと受け答えしてくれるオニキスとの会話は、キアナの中でちょっとした楽しみだった。
 出発直前の少し気まずい空気も、オニキスは特に気にした様子も無かった。輸送中もキアナが予想していた居心地の悪さは全くなく、微妙な関係ながらも今だけは本当に対等でいられるような気さえした。
 しかし自分とオニキスはやはり違うものなのだと、こうして気遣いをさせてしまうたびキアナは心の中で苦笑していた。
「ルーファスさんから聞いたけれど、オニキスの製作者も研究所にいるんだろう? 確か名前は……」
「はい。ロスト博士と仰います」
 その名を聞き、キアナは先日ルーファスから聞き出したオニキスについての話を思い出した。


 死体を荼毘にする炎を少しだけ遠くで見ながら、二人は瓦礫の上に腰をかけて話していた。
 オニキスのことについて知りたい、と告げたキアナにルーファスは微かに瞠目したものの、その言葉を予期していたかのように何も聞くことなく口を開いてくれた。
 そしてまず話題に上ったのは、オニキスの生みの親でもあるロストのことだった。

 世間に突如として現れた、稀代の天才科学者ロスト。
 経歴や生まれなど一切不明でありながら、その知能は計り知れないという。
 実際にオニキスを見ていれば分かることだが、これほどまで繊細な動きし、自身で考えることのできるロボットを作ることがどれほど大変なのか兵士であるキアナにも分かる。
 だからこそ、権力者はこぞってロストを求めたのだと、ルーファスは語っていた。
『五年も前のことだ。結局は南軍の研究所にロスト博士は身を寄せた』
 力無く紡ぐルーファスは諦念が色濃く滲む表情を浮かべていた。
『だが北軍もいまだ諦めず、彼を探している。そのためオニキスを完成させてからは一切表に出ていないようだ』
『ルーファスさんはその人と知り合いなんですか?』
 まるで昔から知っているような口振りに、キアナは首を傾げる。
 戦場で戦う兵士とその武器となる兵器を造る科学者とでは、きっかけが無い限り知り合うことは殆どない。
 だからこそ素朴な疑問として聞いただけだったのだが、ルーファスはさっと顔色を青褪めさせた。
 予想外の反応にキアナは目を瞠る。微かに肩を戦慄かせた金髪の上官は、感情を押し殺すように低い声音で呟いた。
『――いいや』
 自分自身に言い聞かせるように呟いた彼は、膝の上で組まれていた両手をぐっと握り締めた。まるで何か耐えるような仕草に、キアナは何も言えなかった。


 ルーファス自身の口からは、ロストという人がどういう人間なのか聞くことは最後までなかった。
 先入観を与えないためか、別の意図があったのかはキアナには分からない。
 それでも、ロストを少しばかり恨めしく思う。
 自分と一つか二つくらいしか違わない少年のように見えるオニキスを、冷たい人型兵器としてこの世に生み出してしまった科学者は何を思って彼を作り出したのだろうか。

 機械が壊れたら直せばいい。エラーが起きればまた作ればいい。
 戦争兵器は人を殺すことが存在意義なのだから、人間と違って間違っても躊躇しない。
 でも、人のように滑らかな動くをしなくてはいけない。味方を傷つけないように、人間を守る者だと認識していなくてはいけない。
 どんな部隊に配属されても問題の無いように、人間との交流を円滑に進めなくてはならない。感情がどのように動くのか、知らなくてはいけない。
 知るためには自身の意識を持っている方が都合が良い。何か問題が起きても、またリセットすればいいだけのことだから――。
 そんな身勝手なエゴイズムに、気付くことはなかったのだろうか。

 いっその事、人間のような身体と思考を持たせず、単なる兵器として作っていれば何も感じることはなかっただろう。使う者によって武器にも盾にもなる、道具として見れたはずだ。
 けれどオニキスは違う。機械然として動いていても、彼の中には分別のつく意識がある。見目も相成って、一見すればオニキスは本当に人間らしいのだ。
「キアナ? 気分でも悪いのですか?」
 でなければ、こうして自分の運び手であるだけの兵士に細かな気遣いを見せることができないだろう。
 キアナは微かに首を振り、笑ってみせた。


 結局、ルーファスからオニキスについての詳しいことを聞くことは叶わなかった。
 重苦しい沈黙のせいだけではなく、ルーファス自身が何かに怯えるように堅く口を閉ざしたのだ。それは自衛のためというよりも、吐き出したいものを堪えなくてはいけない辛さが滲んでいた。
 ルーファスの過去をキアナは詳しく知らない。伝聞と会話の端々から窺い知るものだけで、本人からはっきりと話された事は無い。
 同じ北欧人種の義弟がいること。オニキスのことを昔から知っていること。その兵器を作ったロスト博士と因縁深いものがあること。たった、それだけだった。
 どこまでが真実で、何が隠されているのかは分からない。
 けれどキアナはルーファスを信じた。一年前に自棄になっていた自分を奮い立たせてくれた、彼の言葉を。

『今は何も言えない。それでも、キアナ。お前の目に映るオニキスが、兵器ではないものに見えたとしたら――』
 最後に告げた彼の真っ直ぐな青い瞳を、淀まぬ声音を、キアナは一生忘れることはないだろうとその時感じていた。


 考えを振り切るように立ち上がったキアナは、ゆくりとジープへ向かった。
「そろそろ行こうか。早く砂漠地帯を越えなくては」
 空っぽのコップを指先で弄びながら、乾いた砂地を軍用ブーツでなじるように踏み潰した。



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