キアナから移動の命を聞いたオニキスは、やはり眉一つ動かすことなく淡々とした様子で頷いた。
この奇妙な命令にも、彼は何の疑いも抱かないのだろう。そのように調整されているのだから。
人間の英知を秘めて生み出された人型のロボットは、設定された行動の中でのみ動き続ける。反感を抱くこともなく、泣き言も言わない。与えられた任務だけをこなす見事な人形なのだろう。
だからオニキスはここに立っていられる。忠実な人形だからこそ、廃棄されることも壊れることも考えずにいられるのだ。
本来、兵士にとって上部の命令は絶対だ。そこには疑念も畏怖も感じてはいけない。誓った忠誠と自己すら顧みない深い愛国心を持ち、喜んで戦場へと向かうことが名誉なのだと。
けれど、死に行くことが良いことだなんてあるはずがない。自殺願望者でもなければ、人間であり動物である以上、誰だって恐怖を感じざるおえないとキアナは思う。
潔く死んでいった多くの兵士達。彼らは、生きたいと望んでいただろうか。
少なくとも、埋葬したキアナの同士達は皆明日を信じて必死で生き残ってきていた。ある者は打ち所の悪かった些細な傷で、ある者は大砲から放たれた爆発に一瞬で巻き込まれた。
「死にたくない」と呟いて、腕の中で冷えていく骸の重さをキアナはよく覚えている。
あんなに輝いていた生の気配は、たったの数分で幾つも失われていった。
ここに来て二年目が訪れようとも、生々しい記憶はキアナの中に刻まれたままだった。
先程の広間での会話から亡くした人々を思い浮かべてしまったため、オニキスを前にしても彼は苦々しい苦悶の表情を抑えることはできなかった。
「伍長……キアナ?」
容態が悪いのかと勘違いしたのか、オニキスは微かに瞳を細める。その白い唇から素直に零れ出した名に、キアナは少しだけ笑った。
階級でしか呼ばないオニキスに、命令という口実で名前を呼ぶように教えたのはキアナ自身だった。
伍長、と呼ばれるのは仕方のないことではあるが、自分一人だけとなってしまった今では耳にするだけで少し辛い。この部隊にはキアナのみが残ってしまったのだと、暗に指されているような気がするのだ。
仲間やルーファス達は何となく察しているだろう。任務時や戦闘中では流石に軍人として階級で呼ぶが、普段の穏やかな時間では互いに名前で呼び合っている。
最初から言葉をインプットされているオニキスにそれを強要するのは気が退けたが、キアナはそういった感傷からだけではなく、彼自身に対等な立場として名を呼んで欲しかった。
創造主の人間と機械ではなく。伍長と上等兵でもなく。ましてや、一介の兵士と兵器としてではなく。
オニキスが砦の人間と近づくようになったせいもあるだろう。相変わらず口数が少なく、表情も皆無な機械然としているオニキスを、一方的ではあるが、キアナは友人として見るようになっていた。
「何でもない。ところでオニキス。こんなに早く研究所に戻る理由は知っているのか?」
随分人間扱いするようになってしまったな、と自分の中の思考に苦笑しながら、キアナはずっと感じていた疑問を尋ねた。
淀むことなく応答を返したオニキスには、事前に知らされていたのかもしれないと思ったのだ。
「これだけの期間を戦場に出されていたことは今までにありませんので、メンテナンスと微調整を受けます。終わり次第、こちらに戻されるはずです」
「そうか、調整、か……」
何てことのない返答に、キアナは気が抜けたような溜息を漏らした。
しかし、脳裏に過ぎるのは激昂したルーファスの声。
温厚な彼が、仮にも総司令部に席を置く上官相手にあそこまで憤ったのは何故なのか。
オニキスを研究所に一旦戻すことだけで怒っていたのではないだろうとキアナは推測している。設備もろくに揃っていないこの地に、精密な機械であるオニキスは整備しきれないのだから。
あの電話越しにどんな会話があったのだろう。最も引っ掛かりを覚えているのは、ルーファスの言い放った愚行という言葉。それから約束。
彼らの間には一体何があるというのか。
キアナは出てきた広間の方を無意識に見やった。
それから、キアナは中央に戻る準備を一人進めた。
元よりオニキスは荷物扱いだ。手伝うこともなく、出発ぎりぎりまで彼はいつものように物見台に上がって北軍の監視を続けている。
キアナは黙々と倉庫と軍用ジープを往復し、後ろの席を武器や補給物資といった荷物でいっぱいにした。
最前線から司令部は遠いように思えるが、南軍も北軍も大陸をほぼ真っ二つにする形で勢力圏が広がっているためさほど距離はない。ただし、いくらこの砦が最前線に位置するとは言っても、戦場は南軍領内にも沢山存在する。運が悪ければ輸送中であっても戦闘区域に遭遇する場合もあるのだ。
「一番怖いのは地雷と空襲だけど……オニキスがいるから大丈夫だろうな」
ジープに添え付けられている簡易レーダーを眺めながら、キアナはふと物見台を見上げた。
遠くを注視しているオニキスが、寒空の中で黙って佇んでいる。
単に立っているだけのようにも見えるが、彼の黒眼は人間には感じられない様々なものを視ているのだろう。
白い息を吐き出しながらしばらく彼を眺めていると、キアナの視線を感じたのかオニキスが不意にこちらを向いた。冷たい黒眼と目があう。
「準備は終わりましたか」
キアナが自分を促しているのだと思ったオニキスは、落ち着いた声をいつもより少しだけ大きくあげた。
「大体はな。お前は本当に持っていく物が無いのか?」
苦笑したキアナは軽口で問う。
勿論、オニキスが使う実弾武器は既にジープに乗せてあるのだが、尋ねずにはいられない。
オニキスはしばし黙り込んだ。何事か思案している様子に、キアナはおや、と首を傾げる。
常なら速球で返ってくる歯切れの良い返事が、珍しく返ってこない。
「……分かりません」
沈黙の後、呟くようにオニキスは口を開いた。
小声のそれを何とか耳にしたキアナは、殆どを断定で物言う彼の漏らした言葉に呆気を取られた。
「何処かに何かを置き去りにしてきたような気がするのに、それが何なのか分からない。これはバグなのでしょうか?」
科学者でもないキアナに答えを求めてもしょうがないことは分かっていたが、オニキスは思い浮かんだことを自然と言葉に出してしまっていた。
案の定、キアナは呆けたような顔をしてオニキスのことを呆然と見ている。
オニキスは口を噤んで頭を下げた。
「失言でした。これから、そちらに降りますね」
そう言い残し、彼は物見台から姿を消した。
外に一人残されたキアナは、誰もいなくなった物見台をしばらく凝視していた。
感情が気薄なオニキスが吐いた不安げな台詞。
それ自体が珍しかったが、キアナを驚かせたのは彼の浮かべた表情だった。
揺らぐ黒眼。食い縛るように噛んだ唇。まるで失くした物を見つけられずに歯痒く思っている、耐えるような面差し。
切ないほど求めている何かを見つけられず、泣き出しそうな少年がそこにいたのだ。
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