黒眼のオニキス…二幕 エゴイスト・01
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「何を馬鹿なことを!」
 突然の怒声に驚いた隊員達は、広間の一角を一斉に注視した。
 常ならば穏やかであり真面目な若年の隊長が、長い金髪を振り乱して声を荒げている。その酷く狼狽した様子は、何度もこの砦に迫った危機を前にしても決して見せることはなかった。
 何があったのだろう、と広間にいた兵士達は互いの顔を見合わせた。

 吹雪の激しいため無線はほぼ使用不可能になっている。そのためこの季節では、有線式のレトロな通信機を使っている。
 とは言っても、軍の司令部からは物資補給と定期的な状況報告以外の連絡は滅多に入らない。
 この砦は最前線部隊の一つでもあるはずなのに、完全に孤立している。はなから捨て置かれているようなものだと、部隊の者達は皆最初から諦めてはいたが。
 だからこそ、連絡の時期でもないのに司令部からルーファスへ連絡が入った際に、彼らは困惑を隠しきれなかった。
 どんなに冷たい命令を下されても無表情で受け答えする隊長が、感情を露わにして反発をしている。どんな無理難題が押し付けられたのだろうと、皆一抹の不安を抱いた。

 ルーファスは信じられないと言わんばかりの形相で、電話越しの上司の言葉を聞いていた。
「これ以上の愚行を重ねるのというのですか! 閣下、貴方には現状が理解できているのですか!」
 仮眠室から帰ってきたキアナは、廊下に響くルーファスの声に眉を顰める。
 司令部から連絡が来たという話は耳に入っていたが、例に漏れず雲行きは怪しいようだ。

 察するにルーファスと話しているのは、キアナがこの地に来る直前に総司令となったグレイ大将だろう。
 この部隊を左遷同然に砦に飛ばしたあの男を、キアナは遠目に何度か見たことがあった。見かけは恰幅の良い軍人であったが、あの人を見下したような目はいけ好かないと直感的に感じていた。



 話の決着は着いたらしく、ルーファスが声を静めた。悔しげに奥歯を噛み締めている。
「……分かりました。運べば宜しいのですね」
 結果的に従う他に無かったのだろう。
 キアナは、彼の辛そうな横顔を眺めた。
「了解致しました。約束は、守っていただきたい」
 苦しげに吐き出された了承の言葉は、震えているようにも聞こえた。

 ルーファスは向こうが切ったことを確認するや否や、すぐさまこちらからも通信を切った。受話器が荒々しく元の位置に戻され、鈍い音がしんと静まるその場に響いた。
 耐えるように唇を噛み締めていた彼は、広間の者達がこちらを向いていることに気付いた。
 心配そうに見る者、不安げに見る者――部下達の動揺に、ルーファスは困ったように目を伏せた。
「隊長、大将閣下は何と?」
 聞くに訊けない他の者の心中を代弁するかのように、始めに電話口を受け取った通信兵のヴィクトルが尋ねた。
 無線用の通信室は別室にあるが、有線はこの広間にしかない。そのために一気に部隊に動揺が走ってしまったことに、ヴィクトルは申し訳なく思っているのだろう。
 そんな彼を元気付けるように、ルーファスは少しだけ笑んだ。
「現状維持は変わらない。ただ一度オニキスを……LN-01を戻すように言われた」
 入り口でじっと佇んでいたキアナは、微かに目を見開く。
 静まり返っている広間にもルーファスの声はある程度響き、キアナと同じように反応を示した者達がいた。
「オニキスをですか? まだここに来て二週間も経っていないのに」
 ヴィクトルは怪訝な顔をした。側で聞いていたキアナもまた、心の内で彼の意見を肯定した。回路の調整と検査にしては、時期が早すぎるのだ。

 オニキスが砦にやって来て十日ほど。その間に北軍の襲撃は三度あった。短期間の内の過剰な戦闘だったが、死者は一人も出ていない。数字だけを見れば奇跡的だが、部隊の全員がオニキスのおかげだと知っている。
 始めのうちは血生臭いオニキスを誰もが避けていた。
 けれどキアナだけは、まるで本当の人間を相手にするかのように――親しげではなかったが、何かと話しかけていた。
 酔狂だと言う者も少なくはなかったが、彼に続いてオニキスに係わる者達は次第に増えていった。特にキアナの小隊に属している狙撃手達は、物見台で一緒になることが多いのでオニキスと良く喋るようになった。

 ヴィクトルもまた、戦闘時には伝令としてルーファスとキアナの間を行き来している。その影響なのか、今のように極々自然と製造番号ではなく名前が出てくる。
 戻すという言葉に顔を上げた者達も同じく、殆どがオニキスを名指しで呼んでいる顔ぶれだった。
 そうして砦の人間達と徐々に打ち解け始めているオニキスを隣で見ていたキアナは、戦争中で不謹慎だと思いながらも嬉しく思っていた。
 道具であるはずのロボットが人型まで進化を遂げたのは、ひとえにコミュニケーション能力を有するためだ。
 だからこそ、その姿が本来あるべきものなのだろうに。
 ――彼を兵器に仕立て上げたのも、また人間なのだ。


 ヴィクトルの素朴な疑問に、ルーファスは表情を押し殺したまま答えた。
「当局も急いているのだろう。LN-01の戦績に」
 固い声音に、キアナは暗い視線を床に這わせた。
「我々は兵士だ。上からの命令が何であれ、従う義務がある。余計な勘繰りはしないでいい。キアナ伍長、いるか?」
 突然の指名に、キアナは反射的に垂れていた頭を上げて背筋を正す。軽い敬礼の形を取って返事をすると、ルーファスが手招きをした。
 広間にいる仲間が見つめているため、キアナは不意に緊張した。
「お前に特別任務を与える。LN-01を司令部第五研究所まで輸送、及び警護をしろ」
「俺がですか?」
 驚きのあまり、キアナは目を見開く。
 無言でルーファスは頷き、同じように困惑している周りにも言い渡す。
「戦力を割く余裕は我が隊にはない。また大将閣下のご命令で、輸送に携われるのは伍長以上の責任を有する者一人だけだ」
 そこで一旦区切り、ルーファスは広間の窓から外を見下ろした。
 雪に覆われた森林の片隅に並ぶ多くの墓。ルーファスの部下であり、キアナの同僚であった兵士達が全て眠っている。
「無傷で伍長なのはお前だけだ。辛いだろうが、行ってくれないか」
 青い眼差しを送られ、キアナはぐっと拳を握り込んだ。

 伍長は自分しかいない。皆、死んでいった。
 辛うじてまだ軍曹及び曹長が二人ずつ残っていたが、狙撃手のキアナと違って彼らは怪我を負っている。一人で輸送と護衛をするには、欠けた身体では荷が重過ぎる。
 護衛は殆ど名目上のものだろう。書類上ではオニキスは単なるロボットであり、兵器でしかない。しかし自己防衛の術を持つオニキスは、実質的に守る必要は無い。

 問題なのは輸送の方だ。
 いくら内地に向かって車を走らせるとしても、今は戦争中だ。何処が最前線になるかは予想もつかない。砂漠地帯などの広い荒野を行くとなれば、地雷の危険性も大きい。
 これ以上、兵を失うわけにはいかない。
 そのため、そもそも伍長以上と言われても一番被害を出さない下位の者を出すしかないのだ。

 命令である以上、誰かが行かなくてはいけない。
 オニキスと共に、彼を生み出した狂気の地へと。

 キアナは力強く頷き、周囲を見回した。
「了解しました。皆、それでいいだろう?」
 不安な感情を隠すようにキアナは真っ直ぐと視線を投げた。イアンやロウ達が曇った表情を見せていたが、それでも仲間達は応と口を揃えた。


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