黒眼のオニキス…一幕 地獄への扉・02
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 外は思っていたよりも明るかった。
 雲の層が薄くなったのだろう。僅かながらに差した月光が、眼前に広がる大地を銀色に輝かせた。
 強風に吹かれて舞う白粉は、あっという間にキアナの肩に降り積もる。じわりと浸透する寒さに足元が震え、キアナはライフルを担ぎ直した。
 ルーファスから体温が根こそぎ奪われていた理由もよく分かる。

 白い息を吐き出し、雪原を見渡した。
 見通しのよいこの盆地には砦以外の建物は見当たらない。東西には針葉樹が延々と連なってはいたが、どこまで続いているのかキアナは知らない。
 一度だけ地形図を見たことはある。その後すぐに無意味だと気付いたが。
 この部隊に課せられた使命は、あくまで砦の死守。あわよくば北上して敵地の占領。撤退という言葉は、意味を無くしている。
 死と隣り合わせどころではない。この砦に来ること事態、死ぬことと同意義なのだ。
 そこまで想像をしたキアナは軽く喉を震わせた。
「地獄への扉だなんて、誰が考えたんだろうな」
 軍の上部では知らない者もいるだろうが、実際に戦場に出て戦う兵士達は、この砦のことをそう呼んでいる。
 地獄に最も近い場所。冥府の番犬が守る門。
 勿論、死亡率が格段に高いこともあるが、もう一つ理由がある。
 北と南の軍は何度衝突し合ったが、目の前に横たわる国境線を突破することも後退することも無かった。拮抗を続けるだけ続けて、戦争はいつまでも長引いている。
 つまり、この砦が完全に突破されたときに均衡は破れる。
 ここまで釣り合いの取れてきた南の軍が圧されれば、雪崩のように破滅は襲い掛かってくるだろう。そうなれば軍に関わっていた者には明日がない。戦犯として裁かれるか、捕虜として過酷な労働に駆り出されるか。どちらにしろ、日常の生活に戻れるはずがないのだ。
 攻め込むにしろ、守るにしろ。
 自分達、最前線部隊には選択の余地がないことは目に見えている。

 キアナは少しだけ視線を逸らした。
 砦の横にある森林の中に、ひっそりと墓標が立てられていた。戦死者の数だけ、盛り土の上に刺されたライフルが増えていく。
 ぼんやりとそれを眺めた後、自分の手が悴んでいることに気が付いた。
「……寒い」
 いつまでもこの場に居たら、折角温めてきた身体が冷えきってしまう。
 物思いに耽ってしまいがちな頭を軽く振り、キアナは物見台へと歩み寄って行った。


 奥には人影があった。
 そういえば、と思い出し、無意識の内にキアナは生唾を飲んだ。
 その音を聞いたのかどうかは分からないが、彼はそっと振り返った。緊張でキアナの身体は僅かばかり強張る。
 見た目だけならば十八、十九ほどの少年のように見える兵器は、初めて見たときと何ら変わらない様子でそこに立っていた。
「ご苦労様です」
 完璧な敬礼に一瞬たじろいだキアナは、自分なりの挨拶を返す。
「何か、動きは?」
 必要最低限の事柄を尋ねれば、彼は口だけを機械的に動かして答える。淡々とした動作は、キアナに奇妙な違和感を残していった。

 彼に与えられた仮初の階級は上等兵。一応キアナの部下にあたる。
 コードネームはオニキス。
 誰が命名したのかキアナは知らなかったが、何故そう名付けられたのか理由はすぐに分かった。
 オニキスとは黒瑪瑙のことだ。黒色不透明で光を当てても底の見えない、深淵の闇を宿した鉱石。
 しかしその原意は、古くを辿ると爪を意味する。魔を払い、安定を維持するための刃。
 皮肉めいた双方の意味は、どちらもオニキスに当てはまった。
 真っ先に目を惹く、彼が持つ無機質な漆黒の瞳。人間とは明らかに違う、瞬きを必要としない人工的なレンズ。人はこれを黒瑪瑙だとか黒真珠だと評する。
 噂で聞いていたキアナは、吸い込まれそうになる宇宙の色を灯したそれに眉を顰めた。彼はその黒眼を、宝石のような無機物の一種だとはどうしても捉えられなかった。オニキスの目が真っ黒なのは、まるで必然のように感じていた。それほど、自然なものに見えていた。
 感情を宿していないということは、逆にまっさらな純粋そのものではないのかとキアナは思う。
 汚れた世界を知らず、消えた命も知らず、オニキスはただ任務を追行させるためだけに生まれてきた。
 魔除けの黒瑪瑙なんて、馬鹿げている。
 人の形を取らせた兵器なんて、赤子の知能を持たせた殺人鬼と同意義ではないか。

 じっと見つめてくるキアナの顔を、オニキスが訝しげに覗き込む。
 慌ててキアナは設置されている簡易ベンチに座り、前を見据えた。
 最近、考え事が多い。戦闘中では極度の緊張状態のおかげで生き残ることだけを念頭にしているのだが、その反動なのか普段はぼんやりしてしまう。
 今だって決して安心できる状況ではない。戦争をしているのだ。何処へ行こうとも、戦いのない場所は無い。
「……オニ、キス」
「伍長。番号でお呼び下さい。LN-01、と」
 鷹揚の無い声がすぐさま返ってきた。
 彼が発した番号というのは、兵器の登録ナンバーである。支給される武器や弾薬などとは違い、軍部自身が開発した物には管理しやすいように全て決められた番号が振られる。つまるところ、製品番号。彼が単なる模造品ではなく、実践投与を目的とされた兵器だという証だ。
 キアナは眉を思い切り顰める。眉間に皺が大きく寄ったが、感情の噴出を抑えるには仕方がなかった。
 人語を解し、人間と同じように動く機械が側にいる。
 こんな物が作れるのならば、何故もっと早くに作らなかったのだろう。
 森林の墓で眠っている者達の死は一体何だったのか。ルーファスや隊員達の底知れぬ悲しみや、空洞の開いた自分の心は、何処へ向ければいいのか。
 悶々としたやり切れない思いが、どうしても込み上げてくる。
 ――けれど。

「寒いのですか」
 頭を押さえつけるようにして両手で抱え、俯いたままのキアナにふわりと何かがかけられた。
 はっとして視線を上げると、肌に布が触れ合う感触がした。オニキスの羽織りだった。
 振り返れば、先程まで見えなかった細身の肢体が目に入った。一枚脱いだだけで、随分と着膨れしていたのだと気が付く。
 機械に体温は存在しない。あるのは排熱機関と冷却システム。回路が正常に動くようにと、最低限に与えられた擬似的な温度調節機能である。
 オニキスに服を着せた者達はそのことを良く知っているのだろう。羽織の下は、寒空で着るような代物ではない。このような季節では、明らかに薄着だった。
「オニキ……LN-01、お前は」
「心配無用です。伍長こそ、どうかご自重を」
 オニキスは無表情のまま佇んでいる。
 彼には寒さが分からない。解析はできても、自分で体験することができないのだ。
 ――けれど、と。キアナは再び思考を反復させた。
 彼はこうして気遣ってくる。人間を守ることが第一にインプットされているのだから当たり前のことだとも思えるのだが、オニキスのそれは時折、定められている自律システムとは違う所から現れているような気がする。
 キアナは最初に感じた違和感を思い出す。
 彼の言動や行動は、機械然とした態度と噛み合っていないような気がする。何が根拠だとは言えなかったが。
 会話もそれ以上続かず、彼は物見台の席に無言で座り込んだ。

 沈黙の合間、横目で盗み見たオニキスの顔はやはり端整なものだと改めて思う。作られた黄金比がそこには存在していた。
 人工的な肌は体温を宿すことはなく、硬質の髪は光に透けることを阻んでいる。
 媚びる様子も、威圧することもない静かな貌。それを彩る意志の強そうな眉の下に、例の黒瑪瑙は嵌め込まれている。
 心の内まで見透かされているような、妙な気分にさせられる黒眼。

 彼は、あの瞳に何を映してきたのだろう。
 どれだけの数の命を奪ってきたのだろう。
 オニキスと出会ってまだ二日目。キアナの中に明確な答えが浮かぶはずがなかった。


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