「絆の森～第七話・３～」

絆の森
＜第七話　始まりの鼓動・３＞

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　三日目の朝になった。
　私たちは黄色い果実を分け合って、口に運んでいた。
　ランスはいまだに何も食べていない。怪我に添え木もせず、今日もまた北へと歩いていた。

「そろそろ限界だよ！　何考えているの、あの子！」
　手助けできない自分に苛立ち、クゥナは喚き散らかした。あえて小声なのが律儀だ。
「ここまで頑固だと呆れてしまいますわ」
　引き摺る足もだらりと弛緩しており、力を無くしている。不自然に揺れる左腕は痛々しい。目に余る光景だ。
　気力だけで己を奮い立たせているようだ。人間とは意志の強い生き物だと聞いていたが、彼を見る限りでは偽りではなさそうだ。

　私は囁く木々の様子から、一族の長達から召集がかかったことに気付いた。
　きっとランスのことに対する議会が開かれる。私としてはそんな進展のない会議に参加する意味はなかった。
「クゥナ。皆が帰還を呼びかけていますけど、貴方はどうします？」
　ただ、クゥナが行くのならば私も出向かなくてはならなかった。
　議会には身内も参加する義務がある。片方が参加しないのなら、もう片方も参加できない。こんなときだけ都合良く、双子にされるのが腹立たしいのだが。
　勿論、クゥナの答えは分かりきっているけれど。
「いやだ。行きたくない」
　きっぱりと彼女は言った。
　他人には明るく活発そうに振舞うのだが、素の彼女はかなり消極的だ。議席にでも着けば、一言も喋らなくなる。隣に私以外の誰かが座れば、硬直したまま俯いてしまう。
　本当は弱い自分が少しでも曝け出されることをクゥナは嫌がっていた。だから彼女は会議そのものもまた苦手としている。
　それに、議題はきっとランスのことだから。
　彼女が彼に惹かれている様子は、傍から見ればよく分かる。話もしない会話の席に座るより、怪我をしている目の前の彼の方が重要だろう。
　私も同じだ。

「あっ！」
　話題を逸らすかのようにクゥナが声を上げた。
　私は少し呆れてそちらを見たが、すぐに表情は変わってしまった。

　指差した方向にはランスがいる。
　最後に見た場所と殆ど同じ所にいた。木の根が大きく地表に出ている場所で、足がもつれやすい地形だ。
　翡翠の髪が草と同化して分かりにくい。投げ出された手は擦り傷だらけだった。糸の切れた人形のように足は投げ出されている。
　ランスは、うつ伏せに倒れたまま動かなくなっていた。

　今までの我慢が限界に達していた。私たちは迅速に行動に出た。
　クゥナが薬草と水を確保しに何処かに飛んでいった。
　私は薬の調合準備をしつつ、食べられる木の実や果実を集め始めた。体力が落ちていると回復力も低下するのだ。
　やがてクゥナが薬草を持ってきた。
　私は固い木に薬草を敷き、上から棒で擦り出した。水分が徐々に滲み出てくる。それをランスに飲ませた。残った粕も細かく潰して、彼の口に含ませる。
　再び帰ってきたクゥナが、水を溜めた葉の器を口元に寄せる。傾けて流し込み、彼の顎を上向きにさせる。喉が鳴ったことを確認すると、顔の角度を元に戻した。ランスは何度か咳き込んだが、目覚める気配はなかった。
　どうやら空腹で失神を起こして、そのまま転んだようだ。怪我のせいで熱も出てきたらしく、意識が朦朧としている。
　頬を二度三度叩いてみたが、瞼さえ動かなかった。

　初めて触った人間の肌はやっぱり温かかった。生きている。血が通っている。呼吸をしている。
　――……鼓動が聞こえる。
　彼の規則正しい心音と、動悸が激しい私。ずっとずっと止まない騒音。
　うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。
　うるさくて、胸が痛い。

「ねぇカイナ。聞いてもいいかな」
「何です？　神妙ですわね」
　頬を少し赤らめて彼女はこちらを向いた。私は気付かないふりをした。
「止まないんだ。胸の高鳴りが。今まで感じたこともないのに、治まらないよ……」
　両手で胸を押さえて、少女は俯いた。
　私は何でもないように、平然と言葉を紡ぐ。いつも通りにお姉さんぶった口調で。
「彼のこと、気になっていましたわね」
「うん」
「負の感情じゃなくて、好意に近いもの？」
「うん」
「仕草の一つ一つが綺麗に見えて。これまで生きていた中で、彼が一番輝いて見えた？」
「そうなの。おかしいの。変な気分よ」
　決定的。
　彼女の純情な想いに、心の中で私は苦々しく微笑みを浮かべた。
「人間はそれを恋と呼ぶそうですわ。相手が好きでしょうがない。胸が張り裂けそうになる。恋愛感情が芽生えている証拠」

　答えを受け取った彼女はどんな表情だったろうか。
　この瞬間、私は自分の本心に無視を決め込んだ。
　自分と片割れ。どちらを取ると言われたら、私は即答でクゥナを選ぶ。
　私のせいで中傷にあっていた彼女。私が生まれなければ、完全な個体として成り立つはずだった双子の姉さん。だから幸せになってほしい。
　たとえ彼と結ばれなかったとしても、今に幸せを見出してほしい。

「好き？　人間なのに、好きなの？」
「種族間の愛には隔てがないそうですわ。創造主が仰っていました」
　困惑するクゥナの顔を私は直視できなかった。立場が違えばあれが私で、こんなにも暗い気持ちを抱く私こそがクゥナだったかもしれない。
　にっこりと微笑むその裏で、私の思考は冷静だった。そのまま、横たわるランスの姿を眺める。
　心の奥で燻る想いを踏み消すように。最後の、暇乞いのように。
「まずは話しをしましょう。知りたいと思うことが、理解する一歩ですもの」
　元気付けるために綴った言葉には、感情が篭っているのか心配になった。

　ああ。
　そうだ。
　浅い眠りから、白昼夢を見てしまっていたようだ。

　私は頭を上げて、大樹に寝そべる二人を確認した。
　安らかな寝顔のランス。あの日からは想像もつかない。彼も大きくなったものだ。あんなに細かった身体つきも変わり、肌は健康的な色になっていた。
　隣には橙色の髪を乱しているクゥナがいた。彼女もだんだんと積極性が表れていた。自覚が表に出てきたのか、ランスと共に過ごす時間が嬉しそうだった。
　私といえば何も変わっていなくて。多分、変わろうと思っていない。

　ランスはやっぱりいい人だった。
　突き放した部分も多々あるけれど、案外お人好しだった。優しくて、自由で。懐かしそうに思い出に振り返っているときは、辛そうで寂しそうで。
「駄目ね。やっぱり。私、我侭すぎる」
　上昇しようとする体温を無理やり下げる。響こうとする胸の鐘を押さえつける。
　こんなことは朝飯前だ。私って結構演技派なのかと時々思う。

　クゥナは、私達って繋がっているか、と今でもたまに尋ねてくる。
　私は迷わず、こう答えている。
「双子ですもの」
　言い聞かせるように呟く。
　昔は嘘だと叫びたかった。繋がりなんてありえない。私たちは家族ですらないのだと、言い放ちたかった。
　けれどそれは無駄に終わる。私は自分自身で気付いたのだ。
　クゥナとカイナは繋がっているのだ。紛れもない、命で。
　同じ人を同時に好きになるほどに。

「さてと。お昼寝も終わりですわよー！」
　耳元で喋れば、二人ともばっちり目が覚める。呑気にお早うなんて聞こえて、思わず微笑ましくなってしまう。
　吹っ切れているから。もう平気。あんなに忌々しかった髪だってこの一年で元通りになった。この微笑だって、今は本物。
　二人の側で過ごせるのが、私の幸せだから。