絆の森
<第六話 舞台へ誘う声 〜Shran〜 1>

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 私達と一緒にいても、彼は時折遠くを見る癖があった。
 知り合って一年以上経った今でもそれは変わらない。
 綺麗な緑色の目は、いつだって何かを探しているようだった。


 ぼんやりとしている人間の男の子。灰色の羽織を着たその背中は、何だか寂しげだ。
 私は躊躇しながらも彼に近づいていった。
 風が木々を揺らす。温かな輝きがまばらになり、彼の姿も陽炎のように見えた。相手を見据える強い双眸と同じ色の髪が何度も風になびく。
 やっと声の届きそうな範囲まで来ても、彼が気付く様子はなかった。
 話しかけるときに深呼吸するのは、緊張からだけではない。

 私はいつでも元気な自分を演じようとしてしまう。大きな声ではっきりと喋る子。明るくて物事を難しく考えない子。皆の知っているクゥナという女の子はそう思われている。そして、多分皆に好かれている。
 その中に彼もいた。
 元気な私が好ましいと思ってくれている彼に嫌われたくないから、私はいつまで経っても虚勢を張る事を止めない。
 双子であるカイナは知っているだろう。どんな時だって一緒にいてくれる。彼女には様々なことを理解してもらえていると私は思う。性格のこととか、本当の気持ちだとか。

 私自身も自覚していなかった、好きという感情。
 本来なら持ってはいけないはずの気持ちを永遠に胸に封じておこうかと思っていたけれど、彼女には隠す気が起こらなかった。
 私も彼女も森の民――人間は妖精と呼ぶらしい――だから、こんな感情は理解されないだろうと思った。普通は仲間達に友愛を抱いても、恋愛なんていうものは存在さえ認識されていないのだから。
 それでも彼女は微笑んで、相談相手になってくれていた。勇気付けてくれた。
 たとえ、私が好きになった相手が――……。



「ランス! ここにいたの」
「クゥナ」
 声をかければ彼はすぐに振り向いてくれる。名前を呼ぶのも呼ばれるのも好きなのか、返答ではいつも私の名を紡いでくれる。
 私はその声を聞く時が、多分一番好きなのだと思う。
 辺りが透けて見える羽を動かして、一気にランスの目の前まで滑空する。何を見ていたのかと、視線を同じ場所へ持っていった。

 先日私達が探検をした遺跡がそこにあった。
 私達が神様と呼ぶ石像が門の前に建っている。奥に進めば祭壇があり、そこには地下へと続く入り口がある。もちろん中には蝋燭一つなく、真っ暗だった。地下道は長く、南へと伸びている。
 ここだけではなく、森に数多く点在する遺跡は小人族が遺したものだ。
 他の場所では何も感じなかったのに、ランスは先日この神殿から声を聞いた。勿論、私達には聞こえなかったけれど。
 ランスもはっきりとは捉えられず、私達は共に闇の中を進んだ。
 石碑の謎を解いたり、ランスに古い物語を話したりと遠足気分だった私達は思わぬ遭遇した。
 その後は……実は覚えていない。
 でもランスは、肝心の声を探ることを中断してしまったらしい。だから再びこの地へ赴いたのだろう。

「この辺りに初めて来た日、覚えているかい。ドゥライセンが途中で立ち止まったこと」
 彼は白い毛並みの珍しい獣を、ドゥライセンと呼んでいる。
 私には分からなかったが、きっと彼には獣の言葉も理解できるのだろう。私達と同じようにランスが森に初めて来た頃からの仲で、目まぐるしく移動するランスの手助けをしてくれている。
 森の民同士は意思疎通はできても、同じ言葉は喋れない。ましてや人間であるランスがどうして獣や木々の言葉が分かるのか。
 私は不思議に思っていたが、深く知ろうとも思わなかったし、聞いてはいけないような気がしていた。
 彼自身、理由が分かっていないらしい。でも否定をせずに、あるがままの自分を受け入れている。
「もしかして……彼にも神様の声が聞こえたのかしら?」
 獣の不思議な行動を思い出しながら私は言った。

 もしかしたらランスには確証があるのかもしれない。神だと祀られている、森の守護者の悲しい叫びが聞こえるのだと。
 ランスの眼差しは強固な意志を持って、真っ直ぐと神殿を見つめていた。
「俺は一人で行くよ。前みたいになったら困るだろう?」
 思わず私はランスを凝視してしまった。本当に、驚いた
 私達は常に一緒に行動していた。側にいるのが当たり前の、家族のような関係だったから。
 置いていかれるなんて、今まで考えたことがなかった。
「俺さ、まだ君たちに話していないこといっぱいあるんだ。声を確かめることと、俺が俺自身と向き合うこと。何かしら繋がっているように思える。帰ってきたら――長くなるけれど色々話す。だから、待っていてほしい」
 力強い眼差しに何も言えなくなる。
 彼に最も似合う表情だ。私はそれがたまらなく好きだ。光に透ける色彩の瞳に、心の内を曝け出したい衝動に襲われる。

 数秒の間、私は黙り込んだ。それから少し動悸の激しくなった胸から、思いっきり息を吐き出した。
 溜まっているものを出してしまえば、気分は妙にすっきりとする。
 しょうもない我侭は言えるのに、こんな時ばかりは彼を困らせたくはないと思ってしまう自分が酷く滑稽だった。
「……行きなよ。ただし! 今日の晩御飯は、茸のシチューを作りなさいよ!」
 人差し指を前へ出す。あくまで尊大で、ちょっとばかり意地の悪い笑みを浮かべて。
 彼のクゥナならきっとこう言うから。だからきっと帰ってきてと願う。
 視線が交わった後、ランスは軽く返事をしてくれた。彼と顔を見合わせて、微かに笑い合った。

 ランスの姿が消えても、私はしばらく手を振っていた。
 必ず帰ってくると信じている。何があっても彼は戻ってくる。そう言い聞かせて。
「約束は守る人ですわ。大丈夫」
 視線を感じていたけれど、私は彼女を放っておいた。時が来れば向こうから声をかけると分かっていたから。
 赤褐色の長い髪を無造作に流す彼女は、私の隣まで飛んできた。
「カイナ?」
 呼びかけても、彼女は何も言わなかった。小さく微笑んでいるだけ。
 風が鳴けば、木の葉が揺すり合って大きくざわめいた。
 この場にランスがいれば、彼らの声は見送りの言葉が聞こえたのだろうけど。私にはまだ良く分からない。
 石像の建てられている台座の上に降り立つ。そして遺跡の入り口を見た。
 私達はじっとして正面を見据えていた。いつ帰ってきても気付くように。
 一番早く、おかえりって言えるように。


 強く吹き付けていた突然風が止んだ。
 ぼやきながらも乱れた髪を梳かしていると、隣にいたカイナが不可解な様子で私の方を見ていた。
「どうしたの?」
「どうかしました?」
 同時に同じ事を尋ねた私達。口を開いたまましばらく凝視し合い、二人で苦笑いを浮かべる。

 私が訝しげに見ていたのは、彼女がこちらを見たから。
 彼女が心配そうに覗き込んだのは、私が見ていたから。
 やっぱりどこかで繋がっているのかな、と私はカイナに訊いてみた。答えはいつもどおりの肯定だった。
「いわゆる双子ですものね。似ていませんけど」
 秋の憂いを思わせるような表情は、彼女の髪の色のせいで良く似合っていた。
 考え方に共感を覚えても、賛同はしない。それゆえに周りからは、不思議だと言われていた。
 私達は違うものなんだからって、二人して怒った覚えもある。
「あーあ。やだなぁ。古臭い思い出を思い返しちゃった」
 最近では思い出そうともしなかった記憶。
 長い年月の日々が、ここ一年で一気に塗り替えられた。彼が私たちの前に現れた瞬間から。

 驚きと興味と、少しばかりの好奇心。あの時の私にそれがあって良かったと、今更ながら昔の自分に感謝した。
 ランスと出会わなければ、どんな暮らしをしていただろう。
 想像すらできなくなった私がここにいる。




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