絆の森
<第四話 あの日のこと・2>

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 硬い金属音が響く。兵士が死刑勧告を読みにやってきたのだろう。足音が近づくたびに、死に迫り行く自分が滑稽に思えた。
 知らずに口元がつり上がる。
 彼の弟として死ねるのならば、まだましだった。

 けれど、世界はどこまでも俺を否定し続ける。
「お前の厳罰が決まった。国外追放を命じる」
 地盤が沈下する。逆さまに落ちていく足場のない浮遊感が、思考を全て真っ白に染め替えた。
 血の繋がりがないうえ、家族の情愛に欠けていたとして、少し軽い実刑なのだと。そんな掟が適応されたのだと、兵士は説明した。

 最初の言葉から、兵士の声は殆ど耳を素通りしていった。
 兄弟と認められていないのだ。
 苦々しいものが身体の奥から込み上げる。最後の最後まで人並みでいられなかったことよりも、大切な家族を他人としてしか認めてくれない事実が辛かった。
 夢遊病者のような足取りで檻の前まで歩み寄る。
 俺は狂ったように咆哮を上げた。
 哀しげに佇む彼の背中だけが脳裏に貼りついている。振り返りはしてくれないその人の傍に、もう自分の居場所はない。
 どうせなら殺して欲しかった。死罪になれば俺が認められた証拠となる。唯一、黄泉の世界へ持っていける手向けになるのだから。

「三日後、大樹海まで連行する。せいぜい待ち焦がれていろ」
 冷たい男の言葉も耳から耳へと通り過ぎていった。
 足早にその場を去った兵士を見ながら、俺はしばらくして座り込む。酸欠になりそうなほど声を出して顔は真っ赤になっているだろう。咽頭も腫れてしまっているだろう。
 涙はもう出ない。例のあの日以来、嘘泣きもできないほど眼球は疲れきっていた。
 瞼を軽く押してみると、刺すような痛みが伴った。

 誰にも弱い面を見せずに姿を消した、彼はどうしているのだろう。
 自分の気持ちも知らずに逃亡を続ける兄を、もはや腹立たしくも思えなかった。


 あれだけ俺の中の世界がひっくり返ったというのに、変わらずに朝はやってくる。眩しく己を主張する陽日には忌々しいほど変化はなかった。
 朝日の光は四方を固められた牢獄の中へも差し込んでいる。照らさぬものなど何も無いのだと、傲慢な態度で輝いていた。小窓から眺め、すぐに止めた。
 表現のしようがない渦巻く心を抱えたままでは、どんなに美しいものを見たって皮肉な感想しか持てない。気分はもっと落ち込んでしまう。

 俺は立ち上がりかけていた姿勢を元に戻した。
 肌寒い空気に身震いをして部屋の片隅に丸くなる。暖を取ろうにも毛布一枚しかここにはない。裾と裾を掴み抱きしめながら前方を凝視する。兵士が朝食を運びにやって来るのをひたすら待ち続けた。
 吐き出した息は白くなり、やがて消えた。


 安っぽい青銅の枠がはめてある配膳口が、緩やかに開かれた。
 兵士の制服の裾が現れ、湯気の立つ食事の盆を置いた。その向こう側には、俺と同い年くらいの若い男がいた。
 胸に刻まれている国章の刺繍から、衛兵隊の伍長であることが分かった。
 男は配膳口を閉めて何度も鍵を確認した。正面の壁際にある木製の椅子に腰をかける。
 落ち着いたところで男は口を開いた。
「お前、新入りだよな。どういった経緯でここに来たんだ?」
 軍に所属しているわりには間延びした口調だった。
 どうやら俺がどんな罪でここにいるのか、彼は知らないようだ。答える義理もない。冷めぬうちに不味い料理を口に運ぶ。
 軽装備の鎧の結び目を直しながら、男は構わず続けた。
「私も昔は牢屋によく入ったものさ。孤児だったから盗みなんかしょっちゅうしてね。その度に姉さんが迎えにきてくれたよ。寝ずに働いた稼ぎから、なけなしの釈放金を支払ってくれた。心苦しかったさ。もっと裕福に暮らせていたらって何度思ったことか」
 最初は視線すら向けていなかった。
 けれど話を聞いていくうちに、俺は兵士に親近感が湧いていた。いつのまにか俺は食事も忘れて聞き入っていた。

「姉をなじったことは一度だけではなかったよ。でも彼女はどんな時だって私の味方だった。養子に引き取られて別れ別れになったときに、初めて彼女の大きさが分かった。姉さんがいたから、私はここでこうしていられる」
「……泣いたか」
 反応が返ってきたのが意外だったのか、しばらく間が空いた。
 それから程なく返事があった。
「泣かなかったよ。私は私の、姉には姉の生き方があるからね」
 金髪の兵士はにっこりと微笑んだ。吹っ切れた清々しい顔つきだった。
 対して俺はどんな状態なのだろうか。
 鏡を覗きたい衝動が駆け巡った。けれど、見ない方がきっと良いのだろう。あまりの情けなさに自己嫌悪で叩き割ってしまいかねない。
 配膳口に盆を返すと、静かに兵士はそれを引き上げた。
 当直の他の兵士に挨拶をして帰っていく。俺はぼんやりと去っていく背中を見ていた。


 次の朝も俺は隅っこに座り込んでいた。
 食事以外にやることがないのだ。仕方なく物思いに耽っていたりするが、何度考え直しても今までの生活しか浮かんでこない。
 心臓がすり減らされていくような痛みが走る。もう、頭の中を真っ白にしたかった。

 同じ時間帯に見張りの兵士が牢の前を通る。
 彼らはこちらを一瞥するだけで、存在を丸っきり否定されているような気になる。
 少し睨みを利かせているのは、脱走など考えないようにのことだろうが、どちらにしろ冷たい視線が突き刺さる。

 ああ。また、声が聞こえる。
 俺は要らないものなんだ。
 誰も、何も、必要としていない。一人っきりなのだと。嘲る耳障りな声が響く。

 見張りの兵士のものではない足音が近づいた。配給担当の兵士だろう。俺は顔をずらして、檻の向こうに現れた人影を見た。
 昨日とは違う男が朝食を運んできた。
「心構えはできておるか」
 妙に年老いた気配が漂う男は言った。階級は軍曹だ。三十代そこいらだろう。目の周りには小さな皺が見え隠れしている。
 反応を返す素振りのない俺をじっと彼は見ていた。真摯な黒い眼光が突き刺さる。
 皿を半分ほど開けた頃、再び男はしゃがれた声で話し始めた。
「怖くはないか、小僧。死という安泰の訪れよりも、路頭に迷うことの方が何倍も不安だろう」
 分かりきったような言い方が癇に障る。機械的に手を動かし続けた。
「お前さん、死にたかったそうだな」
 待遇勧告した兵士から一昨日の事を聞いているのだろう。
 どうでも良かったが。
「……自分が言うのもなんだが、血反吐を吐いても生きるべきだと思うぞ。後悔も悪あがきもできるからな。死ねば、それこそ何も無くなる。想いも記憶も自分自身も」
 あまり焦点の合っていない視界に、疲労した男の顔が映った。
 童話を読み聞かせる老人のように穏やかだった。諭すような喋り方は独特で、男の方こそ黄泉路へ旅立ってしまいそうだった。
 瞼を重力に従って下ろす。暗く深い世界で鮮やかな赤が俺を見据えた。
 柔らかく細められる優しい眼差し。相手を射抜くような鋭さ。両極性を彼は持ち得ていたが、常にそこには寂しげな色彩が隠れていた。
 何を伝えたかったのか。何を思っていたのか。
 俺は知ろうとしていたのか。

 男の背中を見送りながら、久しぶりの長い思考に浸る。
 不安と絶望ばかりが浮かんでいた心に、違うものが生まれ始めていた。
 俺は捨てられることを怖がって、自分のことばかりを考えていたのではないだろうか。
 あの日もそうやって、兄を傷つけていたではないか。
 そして裏切りの日も、彼の本当の意図を汲み取っていなかっただけなのではないだろうか。

 堂々巡りの考えをして俺は深呼吸した。肺に製造工場ができたかのように、溜息が耐えることなく出てきた。
 腕を伸ばして仰向けになった。冷たい床の感触が背中に伝わる。足も大きく開いて脱力させた。
 目に入った鈍い色の天井は、誰かの心の内を表したようにひび割れていた。
「全て消してしまう前にやれることはやるべき、か」
 配膳用の盆を下げるときに漏らした男の言葉を、何気なく俺は呟いた。




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