絆の森
<第一話 風の手紙・2>
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森の中に開けた場所があった。白っぽい地面は固くひび割れている。栄養がないために植物が生えていないようだ。代わりに大きめの石が転がっている。
先に行くと巨大な岩壁がそそり立っていた。ほとんど垂直で岩肌はなだらかだった。
壁の下の方には洞穴があった。熊などの動物が住んでいるような、それほど深くはない小さなものだ。
穴の前に残されていた火の跡の周りには、釜戸が設けられていた。三方を石で簡単に固めてある。明らかに人為的なものだ。
奥に踏み入れ、最初に目に付いたのは朽木で組み立てられたテーブルのような物体だった。その上には長期保存用の小振りの壺がいくつか置かれている。中身は薄茶色の粉末や乾燥した実など様々だ。
側には新品とは言いがたい鍋やコップが整頓されていた。
金属製の日用品などは、森の入り口付近に置かれていた不法投棄の山から見つけ出したものだ。わざわざ捨てに来る勇気があったらしいが、すぐに逃げ帰ったようで他には何も形跡が無かった。
しんとしている空間に音が加わった。
やかましく叫んでいるクゥナと楽しそうなカイナだった。
二人の妖精は往復しながら薪を拾ってきていた。焚き火の跡の上に細い枝が次々とのせられていた。一度に持てるのはせいぜい三本が限度なので、火をつけるまでに時間がかかりそうだった。
一方、側にあった岩に腰掛けている人間は材料を切っていた。分厚い木の皮をまな板代わりにし、よく磨いた黒曜石の刃を用いている。切れ味が良いため、作業はどんどん進んだ。
「終わったよ、ランス」
洞穴に入った人間をクゥナが呼びかけた。
軽く返事をしたランスは小振りの片手鍋と、木を削って作った杓子を持ち出してきた。
火打石で薪に火をつける。燻った煙が枯葉の中から上がった。息を吹きかけると燃え広がる。
鍋の中に材料を入れて、水とスープの素を混ぜた液体を流し込む。程よく温度の上がった焚き火の上にその鍋をかけた。
徐々に液体は沸騰してきた。芋がゴトゴトと忙しく動いている。
「そうですわ。これ、何か分かります?」
料理の完成を待っていたカイナは急に飛び上がり、森の方から四角い物を抱えてきた。
クゥナも気付いたように声を上げた。
「さっき薪を拾ってきたときにカイナが見つけたのよ。これって読める?」
ランスはしげしげとそれを見つめた。
「ユニステ二番地・ティアル様へ=c…こりゃあ、手紙だ。久々に見るな」
人間社会と完全に断絶している大樹海でこんなものを発見できるなんて。すごいな。
少し懐かしげにランスは言った。
「手紙? 筆紙通信のこと?」
「そうだ。でもなんでこんな所にあるんだろう」
片手で鍋を持ち続けるのが辛かったのか、ランスはしばらくして二人に手紙を押し返した。
そろそろできる、と言うと彼女たちは興味を手紙から逸らした。小さな口から歓声が上がるのを眺めながら、ランスはもう一度だけ手紙の方を見た。
「本当に、懐かしいな……」
先程漏らした言葉とは違った感情の篭った声。誰に言ったわけでもないそれは、炎の奏でる響きの中に吸い込まれていった。
夕食を終えたあとの残り火を三人は囲んでいた。燃料が少量しか残されていないランタンにランスが火を移し、洞穴内に吊るしておく。温かな灯火に照らされてずいぶん明るくなった。
手紙に未練があったクゥナは、
「ね、ね、明日でもいいから手紙の謎を解かない?」
わくわくと胸を躍らせているように、弾んだ調子で持ちかけた。
カイナも賛成意見を述べた。
二人の少女は、自分たちよりも大きな人間の男を見上げてきた。期待がぎっしり詰まっている。
「燃料も探さなくちゃいけないからな。ちょっと遠出だし、ついでにな」
そう言ってランスは、放りっぱなしだった手紙を薄闇の中から引きずり出した。覗き込むように検分を始める。
まずは手紙の出所だ。
送り主の欄にはユニステ三十四番地・ミヤ≠ニ書かれている。宛名からも分かるように、九分九厘でユニステのものであろう。
ユニステは大樹海に最も近い大国で、ランスの育った国でもある。
拾った場所はすぐそばの新緑樹の群生地だ。たまたま風で流れてきたとしても、樹海の始まりからはずいぶん離れている。届くはずはない。
しかし、現に手紙はここにある。
「もしかして、誰か他にも森にいるのかな」
何気なく発せられたクゥナの言葉にランスは口篭った。
人間が好き好んで入らない魔の森だ。可能性は低いが、万が一でもありえなくはない。
そう。ありえなくないのだ。自分のように。
「軽率すぎますわ。もっと、他の何かがあると思いますよ」
不穏な空気が漂いだしたことに気が付いたカイナは、発言をそれとなく窘めた。早口で自分の意見を主張し、話題を切り上げようとした。
俯いたランスの表情は全く窺えない。
一心不乱に何かを思い出しているのか、擦り切れた封筒の宛名を凝視したまま動かなかった。
次の朝、夜明け前に目覚めたランスは荷物をまとめていた。
壺の口は顔が隠れるほどの大きな葉で閉じる。水に浸しておいた蔓で余った部分を縛り、二つ三つ繋げておいた。
調理器具や他の道具にも蔓を使った。鍋の取っ手の先に開いている穴に通して、杓子やランタンも連ねていく。
最後に、蔓の端と端を結んで輪を作った。
今にも壊れそうだったテーブルは解体した。手頃な太さの短い枝を叩き割る。細かな木片が飛び散り、ランスはそれを拾い集めた。両手がいっぱいになると麻袋に入れる。
次に、一回り長めの枝を手に取った。皮は剥いで割き、木片の入っている袋に入れた。裸になった枝は適当に折って薪にした。
フードのついた灰色のコートを着込むと、移動の準備は万端だ。
「クゥナ、カイナ。ドゥライセンを呼んできてくれないか」
「お安い御用! 行くよ、カイナ」
朝露で顔を洗っていた二人は森の中へと飛んでいった。
そして、彼女達は十分も経たないうちに帰ってきた。
「朝からごめん。今回もお願いするよ」
妖精が引き連れてきたのは白い獣だった。細い顔つきに青い瞳、雪のような毛皮は柔らかい。尻尾は三つ又に分かれている。表現するならば狼が一番近いだろう。
軽く会釈をしてランスは獣に頼んだ。
すると「早くしろ」とでも言いたげに首を動かし、ランスの体を頭でぐいぐい押してきた。動物の温かい体温が伝わった。
荷物を背負い、持ちきれなかったものはドゥライセンの首に巻きつけておく。
引き締まった背中に腰を下ろし姿勢を屈めた。クゥナはランスの服に掴まり、カイナは白い毛皮に取り付いた。
獣の足が大地を蹴り上げた。同時に目に見える全ての景色が横にぶれた。冬の風が肌に突き刺さっていく。
たった数日間でも世話になった生物達に会釈していく。森から様々な別れの声が、ランスの耳に届けられた。
白い影は、いまだに光が差し込まれていない緑の海を駆け抜けていった。
やがて、輝かしい木漏れ日が満ち溢れだした。
心地よい揺れにまどろみかけていた三人だったが、突然の停止に一気に眠気が覚めた。
「ドゥライセン?」
羽を使って獣の前に降り立ったカイナ。青い目は一点をじっと窺っているようだった。
残る二人はその方向を見定めた。
木々の群れがどこまでも続いている。人手が全く加わっていない、荒々しくも神秘的な風景だ。特に変わっているわけではない。
「何もいないけど……どうした?」
ドゥライセンは答えなかった。何事も無かったように再び走り出す。
首を傾げる少女たちと共に、ランスはもう一度向こう側を度見た。
遠ざかる樹木の列の隙間から、一瞬の違和感を感じる。黒く歪んだ、形を保てぬ何かが立っていたような気がしたが、その場所はもう視認できないほど離れていた。
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