絆の森
<第一話 風の手紙・1>

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 心地の良い風が樹木の間を駆け巡っていく。騒ぎ立てる葉音は耳障りではなく、むしろ全てを慈しむように穏やかなものだった。
 天上に届くような背の高い木の上では、大きな鳥が風切り羽を使い大空へと舞い上がっていった。人間達が大樹海と恐れる、故郷の森を止め処なく上空から堪能している。
 森は、果てのない海のように広がっていた。

 太陽に照らされて輝く木の葉は波間のようで、濃い緑から淡い青など刻々と変化していく。僅かな隙間からは柔らかな土と、根強い草花の姿が見えた。
 樹海は北へ北へと続き、地平線の向こうへ消えていった。
 逆の方角には原野が広がっている。さらに南下すると次第に人の手が加わり、大きな国が見えてくる。国から南には町が点在し、平原に生活の場を作り出していた。

 景色を地上に戻してみると、大樹海の始まりから数理ほど離れた場所で、痩せた生き物が二足歩行で歩いていた。
 毛並みは珍しい翡翠色で、顔に二つある瞳も同系色だった。初冬だというのに、汚れた服は薄手のものだ。その上には灰色のコートを着ている。裾から覗く健康的な掌は肉刺が潰れて出血していた。
 見た限りでは人間だった。十代後半の年頃の男。精悍な顔つきは大人びていたが、大きな目が若干幼く見えてアンバランスな印象を受ける。
 腰の辺りには擦り切れているベルトが締めてあり、左側にはポーチが取り付けられている。右太腿の脇に短刀が吊られていた。
 他に荷物は持っていない。身一つでこの樹海の中を歩いているようだった。



 しばらく彼は黙々と歩いていたのだが、時折立ち止まっては掌を宙にかざした。
 誰かに傷を見せているような動作だった。周りには群生する草花や木々しか生えていない。
「……仕方ないよ。ランタンの燃料が切れそうなんだ」
 不貞腐れたように彼は口を尖らせた。それを笑うかのようにざわめきが起こる。
 音源は彼の目の前にそびえる巨木だった。腐りかけている部分が多少あったが、上部にいくほど若々しい枝が広がっていた。先端に集まる葉も逞しく生い茂っている。風が吹く毎にそれが揺れた。

 そんな森閑とした空気を、突如として少女の賑やかな声が切り裂いた。
「ランスー、早く治療しちゃえばいいじゃない」
「そうですわ。つまらない意地をはっている間に化膿しちゃいますよ」
 ランスと呼ばれた人間は恨めしそうに立ち止まった。歩を進めかけていたため、少しおかしな体勢になった。朽ちた切り株の上にどっかりと座ると、半ば睨むように視線を上げる。
 二人の少女は、泥で汚れた顔を覗き込んだ。ランスは自分の視界いっぱいに映る二人を、虫を掃うかのように手を振って退かす。彼女らは素直に身を引いた。

「そりゃあ、君らにはつまらないことかもしれないけど、俺にとっては結構深刻な問題だよ。ああ! 肩に乗るなって。ただでさえ声が大きいのに!」
 おどけて両手を上にかざしたランスの肩に、橙色のポニーテールをした少女が降り立った。透ける二対の羽をたたみ、大きな目でランスを見上げる。
 もう片方の少女は切り株の上に律儀に座り、乱れた長い髪を丁寧に梳かしている。こちらは赤褐色だった。
「大きなお世話だよ!」
 今にも喧嘩しそうなランスと、その肩の少女。
 彼らを交互に眺めていた、切り株に座っていたもう一人少女がのんびりとした口調で忠告した。
「とりあえず今日は諦めたらどうです? どの道その手では木に登れませんわよ」
 彼女は「クゥナもそう思うでしょ?」と、含み笑いを浮かべて隣を見上げた。クゥナは少しだけ頬を擦り、小さく返事をした。その顔には少し赤みがさしている。寒さのせいだけではなさそうだ。

 正論を突きつけられたランスは黙り込んだ。
 悔しそうに立ち上がって、
「わかった、わかった。蛍茸は後日にしておくさ」
 ランスの未練がましい物言いに呆れたクゥナは、肩から飛び降りて少年の傷だらけの手に触れた。
 途端にランスは眉を顰めた。奥歯を噛み締めているのか、顎に妙な力が入っている。我慢しているものの、実際はかなり痛いようだ。
 三人は方向を確認すると、素早く水場に向かった。


「カイナ。薬草を持っていたよね」
 飛びながらクゥナは尋ねた。カイナは言われるまでもないと、小さな包みを取り出した。
 中身は今朝煎じたばかりの粉剤だった。
 ランスが怪我をするのは、日常茶飯事だ。その度に治療をしている彼女にとって、この事態も予想範囲に入っていたのだろう。

 目的地に近づくほど、木々の生え方が異様に湾曲しだした。水音が微かに聞こえる。
 開けた場所に十六畳くらいの泉があった。周りの常緑樹は地上からゆるいカーブを描いている。頂上は根の部分とほぼ同じ場所にあった。それらが何十と並び立ち、ドーム状の空間を形作っている。滾々と湧き出でる泉を守るかのようだ。

 岸辺で姿勢を下ろすと、波一つない水面に若者が映し出された。
 ランスは、辛労を重ねてきた表情の虚像と目が合わせた。清々しい彼の翡翠の瞳が、一瞬歪められた。
 かき消すかのように、上腕まで水中に浸す。波紋が現れ、鏡のようだった泉に乱れが生じた。
 清水は、焦燥した心身をゆっくりと冷やしてくれる。
 ランスは頭を垂れて動こうとしなかった。

 両脇に控えていたクゥナとカイナは悲しそうに目を細めた。
 俯くランスを不安げに見る。髪の毛で隠されているが、きっと泣き出しそうなのを堪えているのだろう。彼女たちが知らない何かに、遠い思いを馳せているのだろう。


 十分に湿らせた手を水中から引き上げる。止まっていた出血が、緩やかに流れ出した。皮は無残に破れていたが、下から新しい皮が覗いていた。
 クゥナは右に、カイナは左に、それぞれ薬を塗りつけ始めた。
 骨ばった褐色の肌に、擦りこむように力を入れて塗る。頭上から悲鳴が聞こえるが仕方のないことだ。

 火傷を負ったような感覚を携えて、ランスはもう一度、泉に腕ごと突っ込んだ。
 十分に薬が溶けて患部に入ったところで、ランスの両手には清潔な布が巻かれることになった。



 三人が泉から元の道へ退き返してきた時には夕刻は目前まで迫っていた。
 木の葉の隙間から覗く空は薄い紫に変わり、ちぎれ雲がゆっくりと移動している。行き先とは逆向きから、赤みがかった光を受けている。
 すぐにでも夜は訪れるだろう。夕刻が過ぎぬうちにやるべきことはしなくてはならない。
 焦る気持ちを抑えつきながらランスは辺りを見回していた。

「今日の晩御飯は何を作るの?」
「そうだな……前に作っておいたスープの素があるから、煮料理がいいな」
「私はポトフというやつがまた食べたいですわ」
「あたしも! 寒くなってきたから絶対あれがいいって!」
 このようなやり取りの後、口が良く回る二人組みに押されて材料を探しているのだ。
 彼女らも一応散策しているのだが、重い物は持ち運びができないた、必然的にランスが余分に働く。晩秋の頃に編んだ籠には様々な木の実や根菜が入っていた。かなり重そうだ。

 クゥナとカイナは、ランスが作る不思議な人間界の料理をすっかり気に入った様子だった。
 食事時になる度に「これは何?」と質問され、食べれば踊るように周りを跳ね回った。


 相互依存をする森の民たちの生活は、人間とはかなり違う。
 妖精には料理の概念が殆どなく、森の恵みをありのままで食す。代わりに動けない草花や樹木の世話をする。定められた仕事ではなく自分達が食うためだ。
 見返りを求めているわけではない。自然の理に適った行動は、当たり前のように行われていた。

 ランスが大樹海で生活を始めて約一年が経つ。
 下手くそだった家事一般も手馴れたものだ。元からあまり料理が好きではなかったのだが、喜ばれる都度に嬉しくなり今では特技にまでなっている。材料を探さずに済むならば、一日中料理していても飽きないほどだ。
 逞しく生きてこられたのは、この森で生きるものたちの助力があったこと。
 そして、ランス自身の人柄が大きく関係していた。

 自然体である彼らは鏡だ。お互いをお互いが理解し、それをうまく昇華する。敵意を潜める者には決して近づこうとしない。故に人間とは相容れない関係となってしまった。
 だがランスは、森との共存を拒む者とは異なっていた。
 淡々とした一見すれば冷たくもある彼には、不思議なことに森に住む者の声が聞こえた。
 正しく言えば、聴きたいと強く願っていたのだろう。理解をしようと熱心に思っていたのだろう。無意識だとしても。
 それが民達の心を開いた。
 警戒心が強く人間を毛嫌いしている妖精でさえ、こんなに親しくなることはそうそうない。


「ランスさん」
 立ち並ぶ樹木の間をすり抜けてカイナがやって来た。慌ててそちらに向かうと、探していた最後の材料である香草が木の根元に生えていた。
 場所を覚えるためにしばらく辺りを見回す。同じ木がいくつも立っていることから、香草はこの木の周辺に生える習性があるのだろう。
 暗くなってきた若葉の屋根に気が付く。急いで香草を数本引き抜いた。
「ごめんなさい。ちょっと頂いていきます」
 籠に香草を放り込み、草木に一礼をした。
 相手の返事を聞いたランスはもう一度頭を下げる。クゥナを大声で呼びながら、いち早く道を戻っていった。




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