「お前のことが好きなんだっ!」

 ありえないはずの事象をまるで悲嘆するように叫んでみれば、目の前の男はきょとんと目を瞠っている。きっと何を言われているのかいまいち理解出来ていないのだろう。
 馬鹿だとは思っていたが、こうも無反応では流石に呆れを通り越して怒りさえ込み上げてくる。

 三郎がこうして自身の気持ちを露わにしたのは一度や二度のことではなかったのだが、正しく伝わったためしがない。
 我慢の限界を迎えて声を荒げ、真正面から恋心をぶつけるなんて本来ならば三郎の好むやり方ではなかったのだが、あくまで自分を親友だと信じているだろう八左ヱ門には通用していないことは今まで惨敗歴からして百も承知であった。
 だから、自尊心を切り崩してまで思いの丈を口にした。
 それこそ堪っていた鬱憤を一気に晴らすような無様な雄叫びを上げて。
 形から拘る男にすれば羞恥心で逃げ出したくなるような現状だったが、三郎にはもうどうしたって正しく告げなければ我慢ならなかったのだ。
 拒絶される不安も始終付き纏っていたが、諦めてまた普通の友人として付き合っていけば良いと腹は括っている。
 たとえ内側で延々と恋情の種火が消えなくとも――自分は、隠すことが得意だからきっと大丈夫だと言い聞かせて。

「あ、あの、三郎……」

 忙しなく瞬きをしていた八左ヱ門は顔を赤くして俯いていた。
 気恥ずかしさもあったが、まさか三郎にそんなことを告げられるだなんて今まで考えてもみなかったため、何を言えばいいのか分からずに焦燥ばかりが募る。
 しどろもどろになりながらとりあえず三郎の名を呼ぶものの、彼はただぎゅっと瞼を閉じて何かを待っている。

 三郎がよく一人で昼寝をしている裏々山の一本杉。周りを森で囲まれたこの場所に人など滅多に来なくて少しだけ開けた所にあるこの木を知っている者は少なく、ひっそりと隠れて鍛錬を積んでいた彼が休憩を取る時のお気に入りの居場所なのだと知ったのはつい最近のことだった。
 飼育生物を追いかけて山に出てくることの多い八左ヱ門だからこそ気付けたことで、最初の内はばれたことが口惜しそうだった三郎も、一日中虫を追っかけて帰って来ない八左ヱ門と会う時は必ずといっていいほどここを訪れている。
 八左ヱ門はそれが三郎の気まぐれだろうと思っていたのだが、こうして明確な好意を口にされると他に意図があったのかと言い表せぬ気持ちが芽生える。

 ――ああ、早く返事を。
 返事を、しなくちゃいけないはずなのに。

 八左ヱ門の喉は急にからからになって、思考は焦りとのぼせ上がる体温で散漫となり一向に正しい動きをしてくれない。

「さ、ぶろう……」

 どうにか声を絞り出して呼んでも、相手はこちらを見てくれなかった。
 三郎は三郎で必死に目の前の現実を受け入れる覚悟を決めていたのだが、八左ヱ門にそれが伝わるはずも無く。
 そこにあるのは彼の素顔ではない。
 だからせめて真っ直ぐと視線を合わせてくれたのなら、三郎の抱いている本心が少しは分かったかもしれないのに。
 残念に思いながら頬の火照りを冷まさせて、八左ヱ門は自身を落ち着けるように深く呼吸をした。
 どう言われようとも傷付かない最善の言葉を選ぼうと心掛けようとして、ふと思う。

 ――傷付かないって、誰が?

 ――傷付くって、どっちが?

 同時に浮かんだ二つの疑問は、以前から存在していた八左ヱ門の中のわだかまりと虚しいくらいに合致してしまい、自然と笑みが零れた。
 嘆息が漏れた唇は歪につり上がり、自分の心とは裏腹な言葉が勝手に綴られていく。

「……ありがとう」

 え、と上擦った声を上げてようやく三郎が目を開けた。
 紡がれた台詞は予想外だと言わんばかりに凝視してくる黒い瞳に、ああやっぱり、と八左ヱ門は泣きたくなった。
 こんな風に答えられるなんて思わなかったのだろう。いつものようにふざけて、小突かれると思ったはずだ。
 なのに真摯に受け取って感謝する自分は、可笑しく見えたはずだ。
 せめて大笑いで、冗談だよって言ってくれればまだ元に戻れるはずなのに。小さく滲み出てしまった本音を悟られぬまま葬ることだって出来るはずなのに。
 三郎は、黙っている。

 この答えで良い。
 自分は間違っていない。
 自分は今、いつものように――三郎が好ましいと言ってくれた笑顔でいられているはずだから――。
 だから、否定でも肯定でも何でも構わないから言って欲しい。願うように八左ヱ門は相手をじっと見つめた。
 声がぶれないように極力努め、笑みを深くすると三郎の呆けたような顔が細められた視界の中で霞む。

「……」

 結局三郎は、その後も何も言ってくれなかった。




* 臆 病 者 の 言 い 訳 *




 これやるよ、と言われて想い人から差し出されたのが花束だったりすれば、大抵は何らかの期待をしたり或いは素直に喜ぶだろう。
 しかも相手が自分の事を好いていてくれていて、混じり気の無い眩しい笑顔を携えていれば幸せな気分に浸れるというものだ。
 それが正しい恋人という関係の理想像だ。

 けれど三郎は押し付けられたその花束を嫌そうな目で見下ろして、贈り主の顔をじとりと睨んでしまう。
 目の前に立つぼさぼさ頭は紛れも無く三郎が恋い慕っている同級生で、手の中にあるのは綺麗に整ってはいないものの自然美をそのまま切り取ってきたような鮮やかな野の花。
 男らしい顔付きには不釣合いのようにも思えるが欲目からか、可愛らしい花と彼が何故だか妙に合っていて微笑ましい。
 表面上には出さないが、本当なら三郎とて嬉しくて堪らなかったはずだった。
 純粋に自分へと渡された物であるのなら、今すぐ部屋にすっ飛んで飾りたいとか、受け取った花をそのままお前に飾ってやりたいとか、甘ったるい想像だって容易に出来るだろう自信がある。
 しかし――。

「見立て悪りぃかもしれないけど、雷蔵はきっと喜ぶぜ。さっさと告ってこいよな」
「……あのな、八」

 ――これである。
 三郎はあからさまな溜息を吐き出しながら、悪気の欠片もない八左ヱ門から目を逸らした。

 そもそも三郎は雷蔵を特別視しているのは明白な事で学園中の人間が承知している。特に彼らと同じ時を共にしてきた五年生や六年生は、双忍の術を多く用いて忍務を進める二人の姿を見てきたのだからその関係の深さを良く知っていた。
 だからといって、そうして互いを最高の相棒だと認識している雷蔵と三郎であっても恋情まで抱くとは限らない。
 一部では二人は付き合っているのだという噂もあるのだが、根も葉もない風評だと気にしたことはなかった。
 雷蔵は雷蔵で片思いの相手がいて、三郎が八左ヱ門の事を相談した夜にそれをこっそり打ち明けてくれていたりする。だから間違いが起きようもなく、互いの恋愛を励まし合うような間柄でしかなかった。
 彼らと親しい友人達はすぐにそれを察し、あの噂も随分と薄れてはいたのだが未だに下級生の間ではまことしやかに囁かれていた。
 ここまでくれば笑い話にしかならないだろうと三郎は高を括って放置していたのだが、たった一人だけ、あえてこの手の話を避けていた人物が身近な所にいたことをすっかり忘れていた。
 そして彼が委員会で、常に下級生とばかり触れ合っていることも。

 きっと三郎が誤解を解こうと正面から話していれば、噂などよりも必ず信用してくれるなんて今となれば分かりきっていたのだ。
 なのに、出来なかった――。
 万が一にも彼の口から別の誰かを恋い慕う言葉が出てしまえばと一度想像してしまってからは、底冷えするような恐れが三郎の中には根付いている。
 そうして何となしに色の話を避けてしまう日々を送っていたからこそ、取り返しの付かない今があるのは三郎にだってよく分かっている。それは自分の責任でもあるし、親友でもある彼にはきちんと話しておこうと進言してくれていた雷蔵にもまだ言うなと延ばし延ばしにしてきたのは三郎の方だ。
 雷蔵がそれ以上強くは言ってこなかったのは、彼が自分の慕う相手のことを先に知ってしまっていたからだろう。
 いつもなら控え目な思いやりがとてもありがたいというのに、今度ばかりは強引にでも伝えて欲しかったと身勝手な事を願う自分に三郎は自己嫌悪さえ覚えた。

 全ては己に意気地がなかったばかりの結果なのか。
 ようやく決意して正直に告白した想い人――八左ヱ門は噂を鵜呑みにしたまま、いまだに三郎が雷蔵のことを好きだと思い込んでいるのだから。

「雷蔵は相棒だけど、恋い慕っているわけじゃない。何度言えば分かるんだよ!」
「照れるなって。みーんな知っているぜ?」

 にこにこと悪気もなく笑う八左ヱ門の顔をぶん殴りたい衝動に駆られながら、三郎はひたすら耐えるように奥歯をぎりぎりと噛み締めた。
 何度言っても信じない。
 お前が私の何を知っているのだと、思いっきり罵倒してやりたかった。
 抱える苦悩を余所に能天気に微笑んで花を差し出すその手を、三郎は思いっきり押し退ける。これ以上会話を続けていたら何を言い出すか分からなかったし、衝動的に手を上げてしまうかもしれない。
 少しでも八左ヱ門を傷付けたくないと願うのはまさしく三郎の中で息衝く恋情の形ではあったが、自分自身がそれを決壊させては意味が無いだろう。
 そうやって八左ヱ門を突き放すようにして距離を保ち、三郎はその場で踵を返した。
 一瞬だけ視界に映った八左ヱ門は、不思議そうな顔をして三郎をぼんやりと見つめている。
 こりゃあ全然理解していないな、と三郎は大きな溜息を残して足早にそこから立ち去る。
 その背中を見送っていた手の中の花は、疲れたように項垂れて花弁を揺らしていた。



 * * *



「そりゃあ完全にお前の凡ミスだ。忍者は常に先の先を読めってことだ、天才君」
「それが相談に乗ってくれる親友の態度か、秀才君。むしろてめぇ人に奢らせておいて何杯食う気だ」

 ちょっと小粋な料理が楽しめるこぢんまりとしたこの食事処は、お遣いに借り出された三郎が見つけた穴場だ。彼の他には数人の親しい者にしか知らず、今では兵助お気に入りの豆腐料理屋と認知されてしまっている。
 目の前で美味そうに食事をする親友の頭を適度に小突きながら、箸を銜えて三郎は大きく息を吐き出した。

 反論してみたが、その通りだろう。
 八左ヱ門には雷蔵との噂が出てから告白をするまで一切その手の話をしたことがなかった。勿論年頃なのだから、好きな子はいるのかとか、どんな子がタイプだとか、流石に年頃の健全な男子として俗っぽい話をしなかったわけではない。
 けれども、だ。
 好きな人に、一体誰が好きなのだと正面から聞かれて何人が即答出来るだろうか。
 言葉に詰まった三郎を見て、八左ヱ門は笑っていたから雷蔵の事が本命なのだとその時から既に誤解していたように思える。
 お前が好きだととうとう我慢し切れなくて言ったのはごく最近の事だけれども、結局八左ヱ門は三郎の言葉を信じてくれていない。

「八は私がふざけて言っているのだと疑いもしない。お前にも、私は雷蔵に片思いしているように見えるか?」
「そりゃあ見えるけど」

 ――こいつ、即答かよ。

 三郎は手元の冷奴をぶすりと刺し、目の前の睫毛をじっと睨み付けてやる。
 そんな反応が意外だったのか、兵助はきょろりと黒目を廻らせて思い出すように呟いた。

「だってお前、告白した後も雷蔵と一緒にいる時間の方が多いじゃない。卒業後も組んで仕事するんだからそれはそれでいいんだけど、実際に八左ヱ門はどう感じていると思う?」

 同じ組で同室相手である三郎と雷蔵は、名物コンビという名のように始終連れ立って行動している。
 変装への飽くなき探求心も手伝い、三郎は雷蔵の真似をするのが特にお気に入りだ。これはきっと三郎を知る生徒は皆知っているだろう。
 ――だからこそ妙な噂も沸き立つのだ。

 兵助はやれやれと肩を竦めて、今更焦り出した級友へ生温かい視線を送る。
 三郎と雷蔵は、本当に懸想の欠片もお互いへ感じていないのだから逆にそこまで気が回らなかったのだろうことは分かる。疚しい気持ちがなければ別段弁解する必要だってないのだ。
 けれど蚊帳の外にいる人間が同じように考えるはずだと思い込むのが、そもそも間違いだ。
 前に兵助が、三郎よりも神経の図太い雷蔵に直接尋ねてみた時に彼はきっぱりと否定していた。
 よって雷蔵に話しかけられる者であれば彼らの信頼関係はすぐに理解できるだろうし、三郎もそれは分かっていたからこそ噂を面白がるくらいの余裕があった。
 ところが目の前の馬鹿は、八左ヱ門に告げるなと雷蔵に釘を刺していたのだからややこしくなっている。
 別の組の自分よりも同じ組の八左ヱ門の方が断然雷蔵と親しい。口止めなんてしていなければ真っ先に噂の誤解なんて解消されていたはずだ。
 八左ヱ門だって自ら何もしなかったわけではないだろう。親友と呼べる間柄の二人の仲を、本当はきちんと聞いておきたかったはずだ。
 ところが三郎も、三郎に止められていた雷蔵も真相を曖昧にしてしまう。二人して急に余所余所しくなったと八左ヱ門は感じなかったのだろうか。

 兵助はいつだって笑顔で自分を待っていてくれる八左ヱ門の笑顔を思い出す。
 天真爛漫という言葉が今でも似合う大切な親友は、彼らをどう思っていたのだろう。
 雷蔵から噂の否定を聞いた後、八左ヱ門がそれを信じているのだと気付いた兵助は確かにはっきりと三郎へ小さな憤りを覚えていた。

 ――最初から正直に話していれば、八左ヱ門も雷蔵も、お前自身も変に悩まなくて済んだくせに。

 眦を微かにつり上げた兵助は、気付いていない三郎へ一気に捲くし立てた。

「恋愛感情抜きにしたって、友達が急によそよそしくなったら誰だって傷付くだろ。噂は否定しないし、懸念していた雷蔵にも律儀に口止めしちゃったりしてさ。付き合っているのを親友の自分にも話してくれないんだとか、一人だけ内緒にされて寂しいとか、普通考えるだろ。そりゃあ八左ヱ門は前向きで明るいから、言えないくらいに実は嫌われていたのかもしれないとか、そういう方向には捉えないだろうけどさ」
「はぁ? 私が八を嫌うわけなんかないだろう」

 恋は盲目っていうのはこういう時にも使って良い言葉だったっけ、と兵助は大きな溜息と共に呟く。

「違う。八左ヱ門が、三郎から離れるかもって話をしているんだよ」

 脳裏に過ぎった八左ヱ門の力ない笑顔。
 あれは確か三郎が告白した後だったろうか。雷蔵にも相談できるわけもなく、気心の知れた兵助へとつい零してしまった弱音への自嘲だったのだと今なら分かる。
 粗茶に映り込む自分の遣る瀬無い顔を振り切るようにして顔を上げてみれば、色を失った三郎の頬が目に付いた。
 こうして必死な形相で店まで引っ張ってきて、たった一人の学友の存在で余裕ぶった仮面が剥がれ落ちるところを見る限り、本当に三郎は八左ヱ門の事を好いているのだと安心する。
 そんな風に格好悪い面を八左ヱ門にも見せてやれば、ややこしいことにならなかっただろうに。
 三郎は面倒な奴だよ、と愚痴っていた雷蔵の言い分がこんな時よく分かる。

「いや、だから言葉の儘に受け取るなって。あいつだって三郎が嫌いだったら告白なんてきっぱり否定するだろ」
「そ、そうだよな……」

 大げさなまでに兵助は手を横に振ったものの、三郎とてずっとその不安は抱え続けてきた問題だ。
 博愛精神の強い八左ヱ門にとって、自分が他の人間と同列であるかもしれないと考えなかった日はない。
 確かに三郎を含めて数人ほどの同級生とは特別親しくはあるが、それはあくまで友人として。
 親友以上という括りになれば八左ヱ門は即答出来ないのだろう。
 好きだとは伝えた。
 八左ヱ門は嬉しそうに感謝を口にし、そして曖昧に笑った。
 予想していた否定も――肯定さえも、結局言ってはくれなかった。

 原因は自分と雷蔵にあったことを薄々気付いていたが、ずるずると微妙な空気を引き摺ったまま八左ヱ門はそれでも以前と同じように接してくる。
 変わったところがあるとするならば、以前は何も言ってこなかったのに積極的に雷蔵と付き合うように勧めてくることか。
 誰かの言い成りになるのは三郎の好むところではなかったし、雷蔵との関係を一番良く把握していたはずの八左ヱ門にそんな目で見られていることが何より腹立たしい。
 自分勝手な思いだと三郎は分かっているが、完全に自制出来るほど大人ではなく、そのことが更に苛立ちを助長させていた。

「ともかく、もう一度じっくりと話してみれば? 八左ヱ門ばかりに文句を付ける前にやることがあるだろうが」

 畳み掛けるように声をかければ、俯いていた三郎が小さく頷く。
 それを確認して兵助は料理の欠片を口に含み、満足そうに味を噛み締めた。





つづく→


2013/02/06(発行:2009/10/10)
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