咆哮と共に、あらゆる犠牲の上で成り立っていた魔人の身体が崩れ落ちていく。
聖光に満ちた空を見た人々は、奇跡だというだろうか。
――それを引き起こしたきっかけであるマドナッグ自身も、まるで夢物語を見ているような気がしていた。
未知数を信じ切れていなかったはずの自分が。
誰かを想う気持ちで、世界が動き出す瞬間を願った。
それは、彼にとって不思議な現象だった。
決して、自分には光らせられなかったソウルドライブが輝いている。人を信じられず、世界を憎んだ自分が、穢れなき炎を燃え上がらせた。
見下ろす自分の胸の光は、徐々に弱くなっていく。
けれど、マドナッグの見た空から戻ってきた四人の姿を見れば、これが現実なのだと知らしめている。
シュウトは無事だった。
泣きながらリリが駆け寄り、応援していた人々が安堵の笑みを浮かべ合う。
戦いは終わった。
未来の道は、途切れなかったのだ。
ガンペリーの壁に寄り掛かりながら、マドナッグは彼らをそっと見つめ、それからかつての主の残骸へと視線を転じた。
結局、裏切ってしまった結果になったのだろうかと思う。
忌み嫌われようとも、自分がジェネラルに救われていたという事実はマドナッグの中にしこりを残した。感覚が麻痺しているだけなのかもしれない。長い間、暗闇の中で二人きりだったから。
感傷的に目を伏せたマドナッグは、背筋を震わせるような何かの気配に気付いた。
視界には赤い棘の山が折り重なり、動くことは無い。
だが要塞は今も禍々しい炉の火を絶やすことなく、空の上で蠢いている。
何かがおかしい。
そう感じた直後、瓦礫が音を立てた。
針の山からぎょろりと、蠢く瞳が顔を出したのだ。
マドナッグは驚愕した。
口先からは、力を溜め続けていたデスレインのエネルギーが淡い光となって零れ出ている。
その矛先は、自分だ。
その場にいる者が一斉に振り返った。
けれど、動けぬマドナッグには避ける術は無かった。
悲しき魔人は、私を許さないのだ。
裏切った私を。彼の糧にすらなれなかった私を。
地の果てまでも共にするという盟約を守らぬ私を、道連れにしようと。
マドナッグはただ静かに、発射された攻撃を見つめ返していた。
ただ、夢のように感じていた。
「マドナッグ!」
どん、と押された衝撃が、マドナッグを襲った。
呼んだ声は少女のものだったろうか。
絶望して泣いてばかりいたのに、前を見つめることを止めなかった彼女が今はマドナッグの前に立っている。
リリはザクレロゲートを開き、デスレインの軌道を要塞に向けた。
突然の反撃にジェネラルは怯み、要塞をつれて再び亜空間へと逃れようとした。
それを、敵同士であった二つのチームが追撃した。
本当に、夢を見ているようだった。
ジェネラルは掻き消えた。
瓦礫の山も、戦の爪跡も全て消して。
彼は、逃れた空間で再び自分のような者を待とうとしていたのか。
それはもう、誰にも分からないことだった。
マドナッグは、ジェネラルから解放されたと喜ぶザクレロゲートの親子を見上げた。
解放された呪縛。
それは彼の人形であった自分にも当てはまる事なのだろうかと、少しだけ考えた。
「大丈夫でしたか?」
庇っていたリリが、不意にマドナッグに笑いかけた。シュウトもまた駆け足で近寄ってきた。
どうして、と呟いた声ははたして音となって出ただろうか。
リリはただ少しだけ土埃で汚れた顔で、満足気に微笑んだ。
「助けていただきましたもの。わたくしも、貴方を助けたいって思いましたから」
「そうだよ! だって、僕らはもう仲間なんじゃない?」
彼らは当然のようにそう言う。
ジェネラルからの攻撃は制裁であり、たった一つの贖罪なのだというのに。それを彼らは、無条件で許してくれる。欲しかった言葉と共に。
「僕は見たよ。あの中でも希望を。君と共にいた未来を」
あれほど苦しげだったシュウトは、無事な笑顔を見せてくれた。
マドナッグはそれだけで胸が詰まりそうになる。
人間が嬉しくて泣きたくなるのは、こういう気持ちの時なのだろうかと頭の隅で思った。
晴れた世界の下で、敵対していたはずの者達が力を合わせて天地城を引き上げていた。
五体満足ではないマドナッグは当然そこに参列することはなく、ぼんやりと先程と同じようにガンペリーの影に座り込んでいた。
裏側ではシュウトとキャプテンがリリに相談事をしているのが聞こえたが、何もかもを失くした自分には手伝うことのできない事柄だったため黙っていた。
次元を越えることがどんなに容易くないのか、術を失った時に実感する。
空間の壁を侵すことは、本来ならば許されない所業なのだと思い知った。
「お前の呆けた顔は始めて見たぞ」
俯いていたマドナッグは、少しだけ笑っているようなその声に不機嫌さを露わにした。
思ったとおり、そこに立っていたのは先程治療を受けていた騎馬王丸だった。
「……笑いにきたのか、騎馬王丸」
いつものように皮肉めいた言葉を返してみるものの、浮かぶのは自嘲。
自分は果たして泣き笑いのような表情をしていないだろうかと、気になったマドナッグは再び顔を俯かせる。
騎馬王丸は苦笑していたが、そこには疎ましい者に対する嘲笑の気配は一切なかった。
むしろ、何だか温かく感じられるのは気のせいだろうか。
ゆっくりと首を振り、マドナッグの前に屈み込む騎馬王丸にマドナッグは驚く。
不思議な優しさを纏う彼は、何だか別人のように感じた。
「姫殿にな、ラクロアに来ないかと誘われた。力がなくとも平穏を紡ぐことができるのか、俺はそれを自分自身で感じてくるつもりだ」
「ラクロア……」
聞き慣れた国の名に、マドナッグはこの場にいない男を思い出した。
彼はどんな思いで、空間を飛び越える術を会得したのだろう。どんな思いで、仲間を切り捨てていったのだろう。
仲間なんていらないと彼も自分も血反吐を吐いたはずなのに、自分だけがこうして生き残っている。
それが不可思議であり、何故だか滑稽に思えた。
「お前はこれからどうする気だ?」
マドナッグの目を真っ直ぐに射抜き、騎馬王丸はそう尋ねた。
だが答えは返らない。返すべき、答えがマドナッグには見当たらなかった。
世界を捨てて、死ぬつもりだったから。
これから、とか。未来、だとか。
全部、いらないものだから考えていなかった。
拾われてしまった命はどうやって生き続ければいいのだろう。
「やったね、キャプテン! これでネオトピアに帰れるよ!」
「ああ、そうだな。とても久しぶりだ」
沈黙を破ったのは、リリの言葉にはしゃいだ少年と相槌をうつ彼の親友の声。
はっとしたマドナッグは、そちらを振り向く。
泣き出しそうに震える胸の中の痛みは、よく分からない。
彼らはやはりネオトピアに帰るのだ。家族が、仲間が、守るべき人達がいる場所へ。
けれど、自分は。
どうすれば――。
「マドナッグも一緒だね」
「ああ、我々と一緒に帰ろう」
騎馬王丸が笑った。
ぽんと肩を叩かれて、マドナッグは呆然とした様子でシュウト達と騎馬王丸を交互に見る。
「どうやら決定事項らしい。全く、あやつらは揃いも揃って変な奴だな」
「――そうだな」
蝕む焦燥感は一気に晴れ渡った。不安に思っていたことが馬鹿みたいだ。
彼らはあんなに自然に欲しかった手を伸ばしてくれる。
仲間だから、なんて。
さっきまで敵同士だった者に対して、何てお人好しなのだろう。
そして、そんなお人好しに何度も救われている自分は。
「呆けた顔もそうだが、笑った顔も始めて見たぞ」
「ふん。お前の顔に皺が寄っていない所だって始めて見た」
命を救われた二人は互いの顔を見合わせて、まるで久方ぶりに出会った悪友同士のように微かに笑んだ。
昔は想像すらしたことのなかった対等な会話に、あの哀れな騎士がいないことを少しだけ寂しく感じながら。
「ソラへ」 06:Whereabouts (2006/2/3)
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