――コンナ世界ハ間違ッテイル。
違う。違う。
――ダッテソウダロウ? オ前ハ、見捨テラレタ。
違う! 違う!
――人ト機械ハ、使ウ者ト使ワレル道具。ダカラ、オ前ダッテ。
嫌だ! そんなこと、聞きたくない!
――単ナル使イ捨テノ、人形ナンダ――
真っ暗な空の下、少年の悲愴な叫びは響き続けている。
彼は何を見ているのだろう。何に怯えているのだろう。
マドナッグは幾つも映し出されているスクリーンを、焦燥しきった瞳で見続けた。
精神を喰われ、もがき苦しむ様はかつての自分そのもの。
傷付いて誰も信じられなくなった時、シュウトの前には黒い彼が姿を現すことだろう。そしてその手を取ってしまった瞬間、彼は彼でなくなってしまう。
マドナッグが生み出した、ガーベラのように。
あの真っ直ぐな光を灯していた少年が、歪む。
信じることを恐れずに、笑っていた彼が。
ジェネラルがそうやって自分を故意に歪めていた事実は、もはや否定しようがない。
騙されていた、とは思えなかった。もしかしたら本当に自分は切り捨てらた存在だったのかもしれないし、信じようにも他人とそれだけ長く共にいた記憶がないのだ。
けれどシュウトは違う。
多くの者達が彼を救おうと躍起になり、必死になって声を放つ。こんなにも近くで、遠い場所に行ってしまおうとしている彼へと手を伸ばしている者がいるのだ。
キャプテンのソウルドライブを、そして周りの者達を常に勇気付ける声援を送ってくれたシュウト。
そんな彼のために、今度は皆が一丸となっている。
自分の時はどうだったのだろうとマドナッグは思う。
あの中にいて気付かなかっただけで、本当は誰かが自分を呼んでいたのかもしれない。
泣き出しそうな声で、遠くへ行ってしまった自分の名を精一杯叫んでいた者達がいたのかもしれない。
もしかしたら、皆――嘆いてくれたのかもしれない。
禍々しい血色で染められた、棘の雨が降る。
既に力を失ってしまったキャプテン達が、苦しげに地べたを這いずる。けれど前進することは決して止めない。諦める者は誰一人としていなかった。
攻撃は一向に止むことなく、殆ど一方的に行われている。
その間にもジェネラルの力は蓄えられ続け、着実に破滅へと近づいている。重厚な笑い声が、絶望感を煽る。
すぐ傍で再び詠唱を終えたリリが、必死の思いを乗せて魔法を放った。
攻撃する類ではないのに、少女も自分の出来ることを精一杯しようとしている。
掻き消える魔方陣に、彼女は悲嘆の声を上げる。綺麗な眼にはじんわりと涙が滲んでいた。
彼女の横顔を見ていたマドナッグは、不意に悪寒を感じる視線に気付いた。
そう感じた瞬間、ガンバイツァーが声を荒げた。顔を上げたリリの表情が強張る。ジェネラルの片手が彼女を確かに狙っていた。
「あ、ああ……」
じわりと焦らすように、指先が標準を定める。
少女は堪らず瞼を閉じた。途端、一筋の涙が零れ落ちた。
「やめろーーーっ!!」
マドナッグは、反射的に飛び出した。熔けてしまった足も、届かない腕も省みず。
先程と同じく、理由なんて分からない。
ただ、きっと。
シュウトもリリも、他の者も、誰か一人でも欠けてしまえば、きっとこんな風に泣いてしまうだろうから。
だから、守らなくてはいけないのだと。
それだけは確かに、胸の回路が命じたことを感じたから。
マドナッグは、目の前で起こった出来事を未だに幻のように感じていた。
ザクレロゲードが開き、リリ姫を狙っていた手は撃退され、S.D.G.の増援部隊がこの天宮の地へと現れた。
どこかで見覚えのある彼らはマドナッグの過去の傷をちくりと痛ませたが、同時に安堵が込み上げた。
見捨てないのだ。
見捨てないで、くれるのだ。
彼らは、仲間を見捨てないのだ。
自分を未来で捨てたはず彼らは、危険なはずの戦地に次元を超えてまでやって来た。
もしかしたら、もう戻れなくなるかもしれない異国の地へ。生きて帰れぬかもしれない場所に。
「マドナッグ、マドナッグ」
リリ姫は、庇う体勢のまま固まってしまったマドナッグを軽く揺すった。
彼は白昼夢から起き上がったように、慌てて身体を持ち上げる。しかし体勢をうまく取れず、逆に彼女に支えられるような形となった。
「すまない……重いだろう」
「いいえ。これくらい平気です」
空中戦が続く中、二人は近づいてくるガンペリーを見やった。
攻撃の合間を縫って、ガンバイツァーが停止する。リリはそのままマドナッグを連れて降りた。
「ありがとう、マドナッグ」
不意に囁かれた言葉は、シュウトに言われたものと同質のそれで。
思わず少女を見返したマドナッグは、僅かばかりに微笑んだ彼女の横顔に驚く。
諦めていない。信じている。
その表情は、シュウトが浮かべていたものとやはり同じ意味を持っていて。
彼女もまた、彼に動かされた者の一人であるのだとマドナッグは感じた。
ガンペリーに乗せられたマドナッグを見て、中に乗っていた隊員が少なからず目を瞠った。
仕方がないことだ、とマドナッグは少しだけ苦笑する。
本来ならばこの時代にGP-04というガンダムは存在しないのだ。彼らが困惑するのも無理はない。
敏感に空気を読み取ったのか、リリはそっとマドナッグの前に立った。
「彼は、キャプテンが助けた方です。わたくし達の仲間です」
「王女……」
凛とした言葉に、隊員達はしっかりと頷いた。
逆に戸惑ったのはマドナッグだ。何故こうもすぐに信用しようとするのだろうと、視線だけで周りを見回す。
あれほど嫌悪していた人間に囲まれているというのに、酷く心が安定している。数十分前の、ガーベラであった自分が嘘のようだ。
困ったように自分達を見る彼に、一人の女性が近づいた。
彼女――ジュリは、気さくな笑顔を浮かべてマドナッグの前に屈んだ。
「ならば私達の仲間でもあります。一緒にシュウト君を助けましょうね」
昔感じた冷たいものが、そこには一片も感じられなかった。
マドナッグは、戦い続ける彼らをただ見守り続ける。
光ある未来を掴み取るべく。仲間である少年を助けるべく。何故こうもひたむきに信じることができるのだろう。
寄り添い生きることは、弱い者の習性なのだと侮蔑していた。孤独で生きる自分は強いのだと、言い聞かせて。
それは思い違いなのだともう気付いている。弱くても、誰かのため何かのため人は強くなれる。強くなれなくても支えてくれる人がいる。
だから、戦えるのだ。
刀を差し出した武者も、それを受け取った騎士も、力失ってもなお親友を求めて走り続ける機械も。
その心が思い描くことはたった一つだから。
「お前は言っていたじゃないか!」
子供特有の甲高い怒声が、混戦の最中にマドナッグまで届いた。
あれは確か子武者の――と彼は赤く染まっていく大地を見渡す。ジェネラルの身体の途中、棘が幾重にも突き出している場所に誰かがいた。
忍に連れられた元気丸が、今にも落ちそうなキャプテンに言葉を投げかけている。
それは助けられたときの自分のようで。差し出せない手の代わりに、元気丸は必死の訴えを彼に聞かせている。
「ソウルドライブが導く先が、お前の道なんだろ! お前が自分自身で照らし出せなくてどうすんだよ!」
ソウルドライブ。
触れ合いの中で育まれるシステム。
人間を憎んでいた自分には光らせることが終ぞ出来なかった、英知の魂。
マドナッグは、ずっと痛んでいるその胸の奥に触れた。
静かに炎を湛える繊細な球体は、何を感じているのか緩やかに震えている。
機械だけが自らの意思で発動することのできないそれを、あの子供はキャプテンに試せと言う。
確かに現状を打破するには、この光とそれを増幅する彼の装備が必要だ。けれど、シュウトがいない今それはできるはずがない。
どこまでも現実的に考えてしまう彼は顔を俯かせる。
「しかし私には……」
「やってみろよ! 今までやって来た事全部ひっくるめて、自分を信じてみろよ!」
最後の言葉。
それを聞いたキャプテンが顔を上げる。マドナッグはそんな彼を見て、瞠目する。
迷いは、消えていた。
シュウトは一層激しく身を震わせている。
もうすぐ、黒い彼と同化してしまう。
「シュウト……」
マドナッグは焦燥感を駆り立てられながら、見ることしかできない自分に歯痒く思っていた。
正直、助けたいのかまだ迷っている。
明確な理由が、やはり浮かばないままなのだ。
長く一人でいた自分には、キャプテンのようにすぐさま誰かを信じることはできない。
けれど彼だって最初からそうではなかった。誰かと苦楽を共にして、その過程の中で己の存在を確立していったことをマドナッグは知っている。
かつて受けていた報告の中で、表情らしきものが浮かんでいく様子を見たことがあった。
最初は、本当に道具のようだった彼。
機械らしくいることが自分のアイデンティティーだと思っていた彼。
その隣で、いつだって応援している人間の少年。
危険なことは沢山あったはずなのに、決して諦めることなく立ち向かう姿。
二人の信じあう絆が、酷く苦しかった。
呼び合う心が反応して、脆い自分が露呈されそうで怖かった。
だけど今は。
「がんばれ」
誰かが何処かで声を上げた。
誰かが何処かでそれに続く。
がんばれ、がんばれ、がんばれ。
きっと出来る。だから頑張って。
きっと助ける。だから頑張って。
ソウルドライブに訴えかけ続けるキャプテンへ。
苦しくても決して自我を放棄しようとはしないシュウトへ。
二人の絆を傍で見ていた者達が、立ちきれそうなその糸を支えるように声を上げる。
きっと大丈夫。だから、信じてと。
鳴き出すソウルドライブに、マドナッグは微かに呻く。
キャプテンの持つ真の魂のシステムと共鳴し始めている。それは彼が、自分で光らせかけているという証拠だ。
まさか、とマドナッグはそっと胸を開いた。
炎は煽られ、金色の環が徐々に動き出している。
「光れ、光れ……! 輝くんだ、ソウルドライブ!」
強く願う思いと共にソウルドライブの輝きを増していく。まるで奇跡の始まりのように満ち始める光。
確かに、キャプテンは自分の意思でそれを起動させていた。
マドナッグは自分の考えていた論理が外れていたことに、やっと気付いた。
シュウトの声援がキャプテンの機能を引き出していたのではなく。――ソウルドライブが、少年の応援に答えようとする心に反応していたのだ。
今までキャプテンが自力で引き出せるはずのそれに気付かなかったのは、無意識の内にセーブしていたからだ。
元気丸の言葉で自覚した彼なら、輝かせることができないはずがなかった。
「自分を、信じる……」
マドナッグは自身のソウルドライブをじっと見下ろす。
誰かを信じることよりも、自分を信じることは難しいことだ。
迷い、迷わされ、人は生きていく。機械であろうとも、何が正しいのか分からずに今マドナッグはここにいる。
風向きが変化し始めたことに気付いたのか、ジェネラルは咆哮を上げた。
監視していたマドナッグのソウルドライブにも反応が出たことに、焦りを感じたのだろうか。中にいるシュウトの精神を早く食い潰してしまおうと、魔人の回路もまた激しく轟いた。
「シュウトっ!」
悲痛な叫びが側で聞こえる。
キャプテンもゼロも爆熱丸も、追い縋るように空を見上げる。
誰しもが言葉をかけることを止めない。
キャプテンの光は限界ぎりぎりまで引き上げられている。
けれどまだ足りない。ソウルドライブで高められた心が、シュウトの元まで届かない。
少年の悲鳴が暗雲に響く。
マドナッグは熱くなっていくソウルドライブへと無意識の内に指先を伸ばした。
最後の希望に、縋るように。
駄目だ。あの子が、自分のようになってしまう。
あんなに真っ直ぐな笑顔をくれた彼が。キャプテンに心を築き上げてくれた彼が。
――消えて、しまう。
『全力で君を助けると言ったはずだ!』
『君が無事だったからに決まってるよ』
『貴方はここにいます。まだ必要な人なのです』
『ありがとう』
『僕は信じている』
『自分を信じてみろよ!』
――『がんばれ』――
マドナッグはよろめきながらも、腕を伸ばし、正面を向いた。
ありったけの声量が零れ出し、この場にいる全員の言葉と折り重なる。
黄金色の光の柱が天に昇る。
共鳴した二つのソウルドライブが、美しいまでの輝きを持って辺りを照らし上げた。
十字と翼の紋様が淡く浮かび上がり、赤い炎と、青い光が蘇る。
消え失せた映像。怯えたような魔人の雄叫び。破られた精神世界。
君達と未来を見たいから。
君達の笑顔をもう一度見たいから。
彼らの伸ばした腕の先に、しっかりと少年の手が合わせられた。
今、世界に――光が満ちる。
「ソラへ」 05:Shining future (2005/10/15)
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