さようなら、と呟いたのは果たして誰の心だったろう。

 自分を偽りながら魔人を崇拝したガーベラのもの。世界に復讐することを選んだ黒い自分。人を信じながら闇の中に消えていった過去の自分。

 浮かんでは消えていく異様な自分の姿を思い返し、マドナッグは自嘲した。
 この身の先は完全なる死のみ。
 赤い釜口が最後の獲物を待っている。世界中を巻き込んだ、無理心中は始まるのだ。



 けれどどうして。
 何故、貴方は私の手を握り締めているのですか。



 しっかりと繋がれた一対の機械の手。
 対比する白と黒は自分と相手の心の違いを見せ付けられたようで、酷くマドナッグの心を掻き乱した。
 繋がった腕の先を仰ぎ見れば、真摯な瞳で見つめ返される。嘘偽りの色が何も無い清廉潔白な青に、驚きを隠しきれない。 
 マドナッグはゆるゆると眼を見開いていく。ゆっくりと浸食されていくように、名前も分からない恐怖が心底を満たしていく。

「君を見捨てたりはしない」

 揺ぎ無い言葉が、耳に届く。
 キャプテンは真っ直ぐ視線を返し、一度も逸らそうとしなかった。ありのままの己の気持ちを伝えてくる。
 未来で見たときと同じく、表情の動きがなかった。
 しかし、それはかつてのように冷たいものではない。彼が仲間を見ているときと全く同じ貌だ。

 マドナッグは、だらりと垂れ下がった片手で胸を掻き毟った。
 ずきりと身体の奥が痛む。酸素を渇望する魚のように息苦しくなって、マドナッグは無我夢中に相手を見返す。


 彼は嘘をつかないと――何処かの回路が囁いた。


「嘘だ!」

 酷く憤りを感じて、マドナッグは激昂の声を上げる。
 キャプテンの言葉に対してなのか、轟いた回路の叫びに対する反抗なのか、混乱するマドナッグには分からなかった。
 心地良く思ってしまったその手を自ら払い除け、再び落下する勢いに飲まれる。
 はっきりと感じたのは、募った憎悪を全て否定されたような――彼ならば受け入れてくれる気がして――急激な喪失感。
 こんなに簡単に赦されてしまっては、今まで犯してきた行いですら無意味だったのだと言われたような気がして、怖かった。

 もっと早く言われていれば、差し伸べられた手を信じることもできただろう。
 しかし、遅過ぎたのだ。
 まだ孤独も知らなかった頃のマドナッグであれば、キャプテンの言葉を素直に信じたことだろう。
 だが、今は違う。
 互いに失ったもの、奪い合ったものが多すぎる。


 ――痛イ。

 ――本当ハ、ソッチヘ行イキタイ。


 ソウルドライブが叫んでいる。
 本当は助けて欲しい。もっと早くに迎えに来て欲しかった、と。

 マドナッグは、回路の放つ言葉を何度も否定した。
 けれどソウルドライブは軋み、訴え続ける。
 信じろ、信じろと。

 これが自分の深層心理なのだろうかとマドナッグはぼんやり思う。もはや何もかもから抗うことに疲れた。
 近づいてくる熱の気配と落ちていく自分を知覚し、マドナッグは全てを諦めた。


 痛みを伴う温もりよりも、苦しみを忘れられる熱い場所へ。
 一瞬で終われる場所へいくのだから、何も怖くないのだと言い聞かせた。



 ――ウソツキ。



 訴えかけるようなソウルドライブの言葉など、聞かなくてすむ所へ堕ちる。


 じゅうと耳を刺す音。続いて襲い掛かるのは鈍痛にも似た麻痺。熱さ。
 溶け出した己のガンダミウム。足の感覚が無くなっていく。

 ああ、逝けるのだな。

 安堵にも似た思いが押し寄せてきているというのに、マドナッグの腕は伸ばされた形のまま。その顔は、見上げる形のまま。
 助けを、求める姿のままだった。








「マドナッグ!」



 遠ざかったはずの彼の声が近い。
 途絶えかけた思考が、急に冷めた足元を感知する。それから激しく感じた痛覚を。
 焦点が合った視界の先には、必死の形相をしたキャプテンが確かにいるのだ。
 マドナッグは幻を見るように、相手の姿を凝視する。

 ありえないはずだった光景が今、目の前にあった。

「う……そだ……」

 無意識に、乾いた声が漏れた。
 再び支えられたその手は、二つに増えていた。キャプテンはしっかりと両手でマドナッグの手を掴み、振り解けないほど強く握り込んでいた。
 二度と離すことが無いように、きつく。

「嘘じゃない。全力で君を助けると言ったはずだ!」

 キャプテンの一言一言がじんと沁み込んだ。
 憎悪で飾られた装甲の中に押し込んでいた、弱い魂が解放を求める。
 暗い次元の狭間で孤独に耐えていた頃の自分が、殻を突き破り表へと霧散していく。

 浮遊感が全身を包むのを感じ、マドナッグは顔を俯かせた。
 凍えきっていた心が氷解し、滲むはずのない涙で視界がぼやけた。嬉しいのか、哀しいのか、マドナッグには分からなかった。
 ただ、鎖から解放されたように緊張の糸がぷつりと途切れてしまった。

 すっかり溶けて焼け爛れた足が、溶鉱炉から遠のく。
 そうしてマドナッグは目を閉じた。

 自ら定めた終焉の場所へさえも還ることは叶わなかった。
 代わりに今、この腕を支えてくれる他人の手の感触を知った。誰よりも敬愛して、誰よりも憎んだキャプテンが、必死になって掴んでくれたこの手を。

 どす黒い感情に突如として流れ込んできた清らかなものは、色褪せていた記憶を蘇らせる。
 今と昔、そしてあの頃。
 全てが混ざり合い、出すべき答えはまだ見つからない。
 しかし抗い続ける気力は、マドナッグに残されていなかった。

「早くここから出るぞ!」

 ジェネラルが咆哮を上げた。破滅を呼び覚ますが如く、地響きが止まない。
 導かれるまま、マドナッグはキャプテンに連れられて行った。

 最後に一度だけ振り向いた彼は、復活する魔人の姿を哀しげに見つめた。





「ソラへ」 02:Call for you (2005/03/08)

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