「姉上ー! 姉上ぇぇ!」
叫ぶ少年は、炎に穢された集落をひた走る。
死体が続く瓦礫だらけの道を、ただがむしゃらに走り続けた。
覇王丸も見つからず、爆熱丸も亡くした。
残った姉と幼子だけでも、自分は命をかけて守らなくてはならない。
押し寄せる哀しみと悔いを、爆覇丸は使命感で何とか押し留めていた。
火は鎮火しつつあったがいまだ消えない。
木材が爆ぜる音と自分の足音だけが聞こえ、爆熱丸の世界は不気味な静けさに保たれていた。
そんな中を爆覇丸は夢遊病者のように歩く。ふらふらとした足取りは不安定かつ重い。
彼女はもう遠くに逃げたのだろうか。
彼女はもう死んでしまったのだろうか。
二つの可能性が脳裏に過ぎり、爆覇丸は足を止める。
辺りに人影はない。
襲っていた者達も死んだか、退いていったのか。逃げた町人達は山を越えていったのだろう。
項垂れて座り込んでいた爆覇丸は、再び歩を進めようとした。
その時、微かに上げた視界の端に何かが見えた。
「……これは、姉上の……」
元は美しかっただろう藍の染物が、瓦礫の間に挟まっている。
爆の家紋が刺繍されているこの手拭いは、義兄が息子の誕生の際に姉に贈ったものだ。
彼女はそれを使って、子供の汗をよく拭ってやっていた。
爆覇丸は手拭いを瓦礫から引っ張り出した。
そして辺りをよく見渡してみる。
目を凝らし、柱の影から崩れた土塀の隙間まで眺める。
――煤けた着物の端と手が、見えた。
爆覇丸は瓦礫をそっと除け、黙って彼女の遺体を見下ろしていた。
刀傷が残っている。死因は追っ手の凶刃だ。
彼女がこの場に倒れてから、瓦礫が覆いかぶさったのだろう。気付かないわけだ。
じっと彼女の姿を眺めていた爆覇丸の頬には、静かな涙が流れていた。
叫ぶほどの衝動を先程全て投げ出してしまったせいか、激しく取り乱すことはなかった。
それでも嗚咽を耐えていた爆覇丸は、何かを抱えていたであろう二つの腕に気付く。
身を挺して守ったのだろう幼子は、いない。
もう一度辺りを見回ったが、やはり見つからない。誰かが親を亡くした子供を哀れに思い連れ去ったのだろうか。
「……若様……」
どちらにしろ、遺体が見つからない以上諦めてはいけない。
爆熱丸の言葉を胸に刻み、爆覇丸は姉の身体をそっと抱き上げた。その重さは爆熱丸のものと同じで、哀しすぎた。
「ごめんなさい……守れなくて、ごめんなさい……」
むせび泣く彼を、赤い日差しが照らしている。
爆覇丸は太陽をきつく睨み付けた。
血のように赤い光。地獄の炎のような紅の西空。
瓦礫の世界を染める陽光は美しくもあり、禍々しくもある。
空は曇り始めているというのに、その方角だけは地上をせせら笑うように晴れていた。
顔を隠していく夕陽。
長い、長い一日が終わろうとしていた――。
本家の屋敷の裏手にある静かな竹林。
そこにある小さな堂に二人の亡骸を葬った爆覇丸は、ゆっくりと元来た道を戻り始めた。
覇家の村がどうなったのだろう、と考える。
だが爆家の集落でさえこれほどの蹂躙の爪跡が色濃く残ったというのに、真っ向から戦っていた覇家の村人達はきっと無事では済んでいないことだろう。
そのことを思うと、爆覇丸は胸が痛んだ。
屋敷の側まで戻ってきた爆覇丸は、気配を感じて草むらに身を隠した。
竹林に入る前には誰もいなかったはずだったが、誰かが焼けた屋敷を眺めている。
一瞬、覇王丸かと期待したが、響いてきた会話に身体が硬直した。
「五聖剣は結局見つからなかったのか?」
「八方手を尽くしておりますが……」
音を立てぬように爆覇丸は、慎重に草むらの合間を覗き見た。
馬上の立派な身形の武士が忌々しげに顔を歪めている。部下らしき兵士が困ったように頭を垂れ、報告を続けていた。
「殿の我侭にも困ったものだな。伝説の剣が一つ二つあろうがなかろうが、次の戦の戦局を大きく作用するわけでもない」
「ですが天下を取る際に大義名分がつきます。五つ集めた者は、天宮の覇者となるとか」
談笑交じりで話す男達を、じっと爆覇丸は見つめていた。
爆家と覇家が襲われた正確な理由――予想通りといっても過言ではない――がそこから分かるかもしれないと、飛び出しそうになる衝動を抑えながら黙っていた。
再三、国から爆家や覇家に配下にならないかという書状が届いていた。それを爆熱丸も覇王丸もずっと断っていた。
では剣を献上しろ、とも言われていたことを爆覇丸は知っている。それこそ従うわけにはいかないと、時折温厚なはずの爆熱丸がやや憤慨したような声を発していたことはよく覚えていた。
両家は色好い返事を決して返しはしなかったものの、他の国に組することもなかった。また領内を守るための防衛戦には手を貸すことも約束している。天下を取るために他国へ攻め込むことは辞したが、決して敵対や完全な中立というわけではなかったはずだ。
幾ら気に喰わない目の上のたんこぶだったとしても、それだけの理由で武者にあるまじき行いで集落を襲うだろうか。
(そこまで暗君であったか。……だとすれば、もっと早くに機会があったはずだが)
爆覇丸は眉を顰めた。
最大の好機はもっと昔にあったはずだ。他ならぬ、名無しの爆覇が生まれたあの頃に。
戦が近いために五聖剣を求めたことは明白だが、爆家と覇家が差し出すことは無いと端から相手は知っていたはずだ。
だから強襲に出たのだろうか。爆と覇の一族の存在を、内心で酷く怯えていただろう国の者達は。
「まあ後は御当主殿にお任せしようか。我等は戦の準備をせねばならんからな」
「御意」
遠のいていく足音。静寂の戻る空き家となった屋敷。
茂みに隠れていた少年は、誰もいなくなったその空間に呆然と座り込んだまま動かない。
嫌な汗が、背中を伝っていた。
――御当主殿。
――御当主殿。
見開いた瞳は何を見たのだろう。
爆覇丸は刀を握り締め、のそりと身を起こす。
――ごとうしゅどの。
不意にもたらされたたった一つの言葉に、どれほどの絶望が含まれていたのか、それを発していた男達は知らない。
瞬きも忘れ、呼吸を整えることも忘れ、爆覇丸は一目散に町へと駆け下りて行った。
唯一、全く被害を受けていなかった場所。
幼い頃に己から何もかもを奪い去ろうとしていた、堅牢な牢獄の屋敷へ。
――ゴトウシュドノ。
爆熱丸は死んだ。姉も死んだ。世継ぎの若君も見つからない。覇王丸も、見つからない。
爆の集落は壊滅した。覇の集落も焼き払われた。
それなのに、男が指したその言葉が何を意味するのか。
爆覇丸は瞬時に理解した。
理解、できてしまった。
+ + + + +
今朝方から留守であった町外れの屋敷には、いつの間にか家人の気配が戻っていた。
屋敷の中の調度品は昨夜から別の場所へと運ばれていたため、大広間は奇妙なほどがらんとしている。
その中に、十数人ほどの男達が集まっていた。
「結局は捜索でも見つからなかったらしい。また明日、改めて検分してみるが」
「誰かが持ち出した可能性もあるわけでございますね?」
酒を注ぐ男に、上座に座る男が大仰に頷いて見せた。
その表情にはあからさまな喜色が称えられ、程よく酔っているのか酷く機嫌が良かった。
「爆熱丸の愚か者めが。わしが再三諌言を送ったというのに、将軍への義だの、天宮の未来のためだの、実にならんことばかり言いおった」
「ふふ、しかし今は御当主様が爆家のお屋形様でございます。一族の武を広めるも、我が国に天下を取らせるのも思うがままですな」
酒の力を借りたせいか、長年の鬱憤を晴らせたせいか、彼らは普段よりも饒舌だった。
分家として常日頃から日陰に立たされていたのも今日まで。
自分の娘を嫁にやったというのに、孫が生まれても爆熱丸は分家が本家に手出しをすることは固く禁じていた。
ようやく権力を手にできたのかと思っていた分家にとって、本家はますます憎い相手となっていた。
前々から爆家覇家の両家にやきもきしていた国主に通じ、この度の計画を持ち出した。向こうは喜び勇み、破格の待遇で分家を迎い入れてくれた。
献上品として強奪する予定だった刀はまだ見つからないものの、邪魔者であった集落を潰せたことで国主は満足している。
既に城下町に屋敷を承り、田舎臭いこの集落とももうすぐ別れの時が迫っているのだ。
「口惜しいことは、あの半端者の首をこの眼で見れなかったことだな」
くい、と酒を飲み干した当主が嘲笑った。
周りもそれを受けて、どっと哂う。
「あの忌々しい小僧めの頭なぞ、酒の肴にもなりませぬぞ!」
「違いない。あの爆覇だけは切り刻んでおくべきです」
和やかな談笑は、血生臭く陰気に満ちている。
夜の帳が深く深く世界を染めているというのに、屋敷のその一室の灯火は爛々と輝き、己の居場所を示すように明るい。
その明かりの側へと、誰かが近づいてきた。
縁側の板がぎしりぎしりと鳴り響き、一歩一歩重たげな音を立てている。
「誰ぞ、酒を持て。まだ呑み足りぬ」
障子に映った影に、酔った男が言い募る。
しばらく身動ぎをしなかったその誰かは、つい、と腕を伸ばした。
大きな音が立ち、その場にいた者は何が起こったのか全く把握ができなかった。
障子の側にいた男は、畳の上にだらしなく倒れていた。
肩口から斜めに切られた傷跡の上に、ぱらぱらと破けた障子紙が降り注ぐ。
太刀筋と同じく切り開かれた障子の向こうには、能面のような顔の少年が佇んでいた。
空虚であり、飢えた獣のような獰猛な光を湛える双眸を見やり、室内にいた全員が顔を青褪めさせた。
何故、どうして、死んだはずでは、などともはや意味の無い声が各所から上がる。
それに眉も動かさず、ただ黙々と少年は室内に上がりこんだ。
必死の形相で追い縋る者も、感情の無い瞳で彼は切り捨てる。
刃が食い込む音が、容赦なく襲い来る。
また一人、また一人と、部屋から逃げた者も追いかけられて斬られた。
いつの間にか少年は、無機質な横顔を歪ませていた。
それは壮絶な笑みの形。恍惚にも思える、狂気の闇。
「ば、爆覇! 一体、何のつもりで……」
「何の?」
がたがたと見っとも無く震える当主を見下ろしてから、初めて爆覇丸は口を開いた。
何も見ていない目。分家で無気力に過ごしていた時とは同じようで、全く違う質の色を灯している目。
元服間もない子供に怯えることなど考えられなかったが、当主には彼が別の生き物に見えていた。
血に飢えた、化け物の姿に。
「何の、だって? くはははは! あはははははははははははは!!」
不気味な高笑いと共に、爆覇丸の刀が当主の身体に食い込んだ。
右手、左手、右足、左足――。
壮絶な痛みを与えながら、四肢を刃で貫いていく。苦しみを永らえさせるように。
「早くこうすれば良かった! 殺せばいいんだ! 殺していれば良かったんだ!!!」
独り言を叫びながら、爆覇丸はとうとう首を切った。
散々切り刻んでから落とした首を、彼は満足そうに見下ろす。
計らずとも、先程の会話が自らの身に降り注いだ当主の身体は夜風に晒されていた。
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