立ち込める死の臭い。足元に投げ出されている遺体の山。倒れた灯火が畳みに燃え移り、燻したような香りが辺りに充満している。
 それは、今日一日で幾度となく嗅いだことのあるもので。
 ふと、爆覇丸は室内を見渡した。

「……俺が、殺したのか?」

 呆然とするのはその惨状のせいではない。
 己がこの光景を生み出した張本人なのだということを急に自覚してしまい、不覚にも刀を握っていた手元から徐々に震えが止まらなくなったのだ。


 コロシテヤル。
 コロシテヤル。


 ミンナ、コロシテヤル!


 その暗い感情に囚われたことは確かに覚えている。
 どす黒い狂気が自らを覆いつくし、血肉を貪るけだもののように刃を振るっていたことも記憶している。
 怒りと憎しみがとうとう衝動的な殺戮に変わってしまったという事実が、爆覇丸は恐れた。

 私利私欲のためではなく、大切な誰かのために捧げられる剣を。

 そう言ったのは敬愛していた伯父。
 そう言ったのは敬愛していた義兄。

 温かな家族をくれた二人の言葉を、たった今自分は裏切った。
 分家から裏切られ、破滅していった二人の志を、自分が裏切ってしまったのだ。

 敵討ちなんて綺麗なものではなくて。
 ただ憎くて憎くて。

「う……ああ」

 漏れ出でるか細い声音には、既に先程のような狂気はなかった。
 やり場の無い哀しみに、己の醜い獣の心に、もう綺麗じゃないこの手に、足元が崩れ落ちていきそうだった。


 父の刀が。
 気高かった父の、魂の刃が。

 私怨に穢れた。他でも無い、息子であるはずの自分のせいで。


 爆覇丸は刀を取り落とした。そのまま身を屈め、激しく嘔吐した。死臭が、気持ちが悪い。
 自分が酷く汚らしい存在なのだと、彼は自覚した。
 目の前に横たわっている無残な姿の男達が何度も言っていたことを思い出す。

 自分という存在は、この世にあってはいけなかったのだ。
 父が、母が死んだのも。覇王丸が義弟を亡くしたのも。覇家と爆家が絶縁してしまったのも。
 全て、自分のせいだ。
 爆熱丸が自分を庇ったせいで、本家と分家はさらに仲違いを始めた。
 そのせいで計略を用い、分家は国許と結び付いてしまった。
 ――だから、滅ぼされた。

「ごめんなさい! ごめんなさいっ!」

 子供の泣きじゃくる叫びだけが、生者のいない集落に響き渡る。
 暗闇の空は滑った陰湿な漆黒を思わせ、ただただ見る者を憂鬱にさせる。

 もう誰も生きていない。
 爆家も覇家も殺された。残された爆の分家の血筋もまた、己が手で断ち切ってしまった。
 爆覇丸は心底自分を呪い殺したくなった。
 爆の血も覇の血も、爆覇丸には流れていない。一族の血脈を守ることすらできない。

「ごめんなさい! ごめんなさいっっ!!」

 だから生きていても、仕方が無い。

 爆覇丸はぼやけた視界で、再度父親の形見を握ろうとした。
 死んでしまおう。
 彼の脳裏には、その考えだけが浮かんでいた。身を起こし、手を伸ばそうとする。
 その時、弛んだ合わせ目からひらりと何かが落ちた。
 爆覇丸はそれを見下ろし、蒼白となった。思い出したのだ。大切な、役目を。


 藍色の手拭い。


 利発で無邪気な赤子の笑顔が、不意に瞼の裏に蘇った。
 広い天宮の中で一人だけ残された爆家の血を受け継ぐ子供。
 まだ守られるべき立場である彼の遺体は何処にも見当たらなかった。もしかしたら誰かに託されたのかもしれない。もしかしたら何処かで死んでしまったのかもしれない。
 相反する希望と絶望がせめぎ合う。
 けれど、爆覇丸にはもうそれしか生き続ける理由が無い。

 ――あの子を、探そう。

 何年かかっても構わない。見つからなくても構わない。
 願わくば、穏やかな場所で生きていて欲しい。
 自分が爆の一族だということも、いっそ忘れて平和な地で過ごしていて欲しい。
 これは単なる自己満足。
 けれど、今最も願うべきこと。

 そう考えると、覇王丸のことを思い出した。
 彼のことはもう探さない。諦めているわけではないが、多分、この騒動の中で気高き道を重んじる覇家の当主は死に殉じただろう。
 でも、もし生きているのなら。
 彼は言ったのだ。いつだって、自分から会いに行くって。

 伯父の微笑みが浮かび、爆覇丸はそれを自ら掻き消した。






 爆覇丸は歩き出した。
 焼け焦げた集落を背にし、汚れてしまった刀を挿し、獣と成り下がってしまった心を抱きながら。

「……戦場だ。戦場に、行こう」

 ぽつりと呟いた爆覇丸は幽鬼のように山中へと去っていった。
 浪人となってしまった自分には剣しか取り得がない。こんな穢れた両手を持ってでも、生きなければならない。
 それに、まだ仇討ちは終わっていないのだ。戦場へと出れば、国の者達も屠れる。
 そんな感情を片隅に生まれさせながらも、爆覇丸はただ歩き続ける。


 たとえ、業を背負おうとも。どれほど汚れてしまおうとも。この先に何があろうとも。
 夕暮れに味わった絶望感に比べれば、怖くなんてない。


 この日、爆覇丸の中に鬼が巣食った。






『 業 火 』


 ――END――






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