火の粉が辺りを飛び交い、人々が慌てふためいて道を走り行く。
煙に巻かれて咳き込む背中。追い詰められる女。無情に振るわれる刀身から身を守るべく戦う男。子供らの泣き声――。
彼らを襲う侵略者。
森を抜けた爆覇丸が見たものは、一方的な略奪だった。
「っ! 覇王丸!」
呆然とそれを見下ろしていた爆覇丸は、一際大きな屋敷の茅葺が赤々と燃えていることに気付き再び走り出した。
覇家の屋敷だけではない。転々とする家々も、実りが決して豊かではない畑にも火の手は及んでいる。
「一体何が起こっているんだっ!」
恐怖と狂気に晒された集落。
村人達は略奪者に必死で抵抗を示している。しかし傭兵らしき者達は哂いながら、人々を穢し、殺戮を犯していた。
荷を奪い、家を焼き、命までも奪う光景。
この間までは穏やかな時間が過ぎていくだけの優しい場所が、見る影もなく踏み荒らされていく。
視界の端で子供を庇う母親の姿を見た。彼女を襲う凶刃の煌きも。
一方では必死で逃げ惑う者達を見た。捕まってもがいていた体が急にだらりと弛緩した瞬間も。
死の臭いで充満しつつある光景に、爆覇丸の背筋がぞっと引き攣った。
いてもたってもいられないのに、始めて見る生臭い世界に彼の足は震えた。
今朝はあんなにも綺麗だった景色が、禍々しい赤に塗りつぶされている。
突然の恐怖に、身体が竦みあがっていた。
「爆覇丸様っ!」
急に呼ばれ、爆覇丸は思わず刀に手を伸ばした。
声のする方を見やれば、覇王丸の家の女中が火傷と傷だらけの姿で這い蹲るように倒れている。
慌てて側に駆け寄ると、彼女は必死の形相で告げた。
「爆家が危のうございます! 国の者どもが一族を根絶やしに参ったのです!」
「何だって!?」
恐れていた事態が、こうも早く訪れるなんて。
驚愕に目を見開いた爆覇丸に、浅い呼吸のまま彼女は続けた。
「覇王丸様は至急爆家へ参りましたが、こちらの村が奇襲を受けたということは向こうも今頃……お早くお戻りを!」
「だ、だけど村が……」
傷だらけの彼女を置いていくことは憚れ、また蹂躙されていく村人達も捨て置くことはできない。
優しい少年に、彼女は困ったように笑ってみせた。
「万が一の時は逃げろと仰せつかっておりましたが、お屋形様の地は自分達が守ると村の者は言って聞きませぬ」
真っ直ぐと注がれる視線に、爆覇丸は息を呑む。
彼女はまるで覇王丸のように、固い意志を持つ双眸で静かに爆覇丸を見ていた。
――道を説く役割を定められた覇家の眼だ。
きっと彼女も村人達も、覇家の一族と共に生きてきた彼らは彼らなりの矜持と守らねばならないものがあるのだろうと爆覇丸は理解した。
時に命よりも重い志。
それは、彼の中にもまた息づいているもので。
「行って下さい、爆覇丸様。貴方には貴方の守るべきものがございましょう」
何よりも重い言葉だった。
今、爆家の方も襲われている。自分が守るのだと決めた家族に危機が迫っているのだ。
追い立てるような言葉に、爆覇丸はとうとう立ち上がった。
「約束して下さい。俺が覇王丸様にこちらへ戻るよう伝えますから、絶対に、絶対に……諦めないで下さい」
語尾が僅かに震えた。
女中は薄く笑みを浮かべて、はい、と力強く頷いた。
それを確認し、爆覇丸は踵を返した。
「どうかご無事で。覇王丸様、爆覇丸様――」
背後で消えていく命の気配を感じながらも。
掠れていく小さな呟きを聞き取りながらも。
爆覇丸は陥落していく父の故郷に背を向けて、森の中へと駆けた。
一度も振り返らずに。
本当は、死なないでくれ、とどんなに言いたかっただろうか。
爆覇丸はがむしゃらに走り続ける。視界がぼやけても、無理やりそれを拭い去る。
木の根に足を取られ、慣れない鎧の重みでそのまま爆覇丸は湿った地面に倒れこんだ。
「……ちくしょう……何でなんだよ……」
ずきずきと痛むのは身体なのか、心なのか。
耐えようとしていた涙はもう止まらなかった。
+ + + + +
爆家の集落に帰ってきた爆覇丸は、そろりと分家の屋敷を見上げた。
だが、人の気配がまるでしない。
無言で佇むかつての牢屋は、不気味な威圧感を保ったまま沈黙している。
誰かが押し入った様子もなくただ家人が出払っているようだったが、爆覇丸はそれを奇妙に思えた。
今朝通ったときの静けさは、まだ起きている者がいないからだと単純に思っていた。
しかし今考えて見れば、早朝から働き出しているはずの世話人達の姿もなかったように思える。
爆覇丸の中で暗い不安の影が過ぎった。
もしかすれば、昨夜から既にもぬけの殻となっていたのでは――。
慌てて彼は首を振り、屋敷の前を突っ切っていた。
今はそんなことを考えている暇は無い。
町から少し離れているはずのこの場にいても、地響きのように荒々しい足音が感じられるのだから。
崩れていく屋敷から外に飛び出した爆熱丸は、眼下の町を見やった。
町人達は山の中に逃げ込んでいるようで、空になった家々には襲撃者達が我が物顔で物色している様子が目に入る。そして用のなくなった家には、容赦なく火をかけていた。
少し顔を上げれば、森の向こうでも同じような禍々しい赤が踊っている。
それを痛ましげに眺めた爆熱丸は、近づいてきた気配に振り返り、刀を構え直した。
「武士にあるまじき愚行、恥じ入ると思わぬか?」
亡き先代当主から貰い受けた刀を、彼は真っ直ぐと相手に向ける。
多勢に無勢、しかも奇襲をかけられたため状況は決して良くは無い。
妻子は逃がしたものの、追っ手がかかっている。
屋敷の者も、自分達を庇って死んでいく姿を何度も見た。生きている者も町人達を助けにいかせるために――生き残らせるために、先程別れた。
「武に長けた一族と聞かされていたが、無様なものだな。今頃は、向こうの集落も綺麗に焼けているだろう」
兵を率いてるらしき男が、質の悪い笑みを浮かべる。
この部隊の大部分はどこからか徴収されてきた傭兵で構成されていたが、この男は正規の兵士らしい。
背負った旗の家紋はこの国のものだった。
「黙れ外道」
にやにやと笑う兵士達を見回し、爆熱丸は酷く冷たい声音を吐き捨てた。
「力なき民すら蹂躙する貴様等に、我が一族、そして対なる覇家を侮辱することは許さん」
「ふん、若造め。刀身一つでお前に何が出来るというのだ?」
普段は穏やかな緑色の瞳は、大切なものを穢していく敵を静かに見据えている。
憤りを感じないわけではない。哀しみを感じないわけではない。
ただ、彼は最後まで貫くことを決めたのだ。
「――誇りを守ることは出来るさ」
爆熱丸は瞼を閉じた。心静かにし、曇りなき白刃の切っ先にまで神経を研ぎ澄ませる。
明鏡止水。
それが、誇り高き爆の流儀。
「勝負!」
眼光と刃が閃いた。
まるで最後の炎を燃やすように、鮮烈な輝きを放って。
荒い呼吸音が耳障りだった。
爆覇丸は鉛のように重い足を、懸命に動かして坂を上っていた。
空模様はまるで誰かの心情を映しているかのように、いつの間にか曇り始めている。
朝に下った坂道が、今では酷く長く思えた。
町中には逃げ遅れた者の死体が幾つも倒れていた。
中には見知った顔もあり、屋敷から下りてきた者なのだろうということが知れた。
覇王丸の姿を探すものの、彼の人は影も見当たらない。
爆覇丸は荷を荒らしていく傭兵達の目を盗み、とにかく本家の屋敷へと急いだ。
屋敷は今にも崩れ落ちそうなほど、轟々とした火炎が燃え盛っていた。
家捜しをしたのだろう、縁側から見える部屋の中は荒らされた形跡が残っている。
熾烈な戦いが行われたのだろう。家の者と敵兵が折り重なるように倒れ、刀や折れた矢があちこちに刺さっていた。
爆覇丸は呆然としながらも、目的の人を捜すために歩いた。
「覇王丸……お屋形様……姉上……」
屋敷の周りには生の気配が全く無い。傭兵達も皆、死体となって転がるばかりだ。
中には火が燃え移ったのか、炭になりかけている者もいた。
独特の死臭と身の焦げる嫌な臭いに、現実離れした状況に、物言わぬ死体の山に、爆覇丸は何度も足を止めて吐いた。
顔色は蒼白となり、先程から手足の震えが止まらない。
それでも、立ち止まってしまうことが怖く、爆覇丸は歩き続けた。
時間をかけて屋敷の裏手に回った爆覇丸は、目の前に広がった光景に息を呑んだ。
十数人の兵士が仰向けで、円状に倒れている。
ぽかりと空いた真ん中の空間には、一人の男が立っていた。
「――爆熱丸様っ!」
爆覇丸は飛び出した。
義兄の身体が、支えを失ったかのように傾いたのだ。
「しっかりなさいませ!」
「……爆、覇丸か」
ずっしりと腕に弛緩した体が圧し掛かり、成長途中の爆覇丸では爆熱丸を支えきれなかった。
そのまま重力に従い、二人は地面へと倒れこむ。
その振動で気が付いたのか、爆熱丸が薄っすらと目を開いた。
「良かった無事だったのか……」
爆熱丸は満身創痍だった。
周りの状況からいって、一人でこの人数を全て倒したのだろう。装備もままならぬまま、刀一つで戦ったのだ。
しかし、傷は深かった。一番の致命傷は背中からの袈裟切りのようだ。肩口から抉ったような傷がある。
その太刀に怯んだところを狙われたのか、前からは矢が数本ささっていた。頑魂にも幾筋ものひびが走っている。
「折角の日だったというのに……力不足で、ごめんな」
忙しない呼吸音がだんだんとか細くなり、安心させるような笑みは儚く脆いものに映る。
のろのろと持ち上げられた手をしかと握り、爆覇丸は俯く。乾いたはずの涙が後から後から流れだす。
爆、覇、丸、と掠れた声音が自分を呼ぶ。
力の抜けていく手を必死で繋ぎとめ、爆覇丸は震えながも返事を返した。
「あの子、を、頼む」
「分かっております! 俺は、爆と覇の志を守り続けます! ですから、ですから……っ」
言い募る義弟の歪んだ顔を見上げ、爆覇丸は再び微笑んだ。
初めて出会ったあの日のように。温かな、笑顔で。
「お前は、私の自慢の弟だから、ね」
伸ばされた片手が、爆覇丸の頭を撫でた。
そこに宿っていたはずの温かさは既になく――哀しいくらいの優しさが、静かに通り過ぎていった。
「あ……あにうえぇぇ!!」
解けて固い地面に落ちた手に、爆覇丸は慟哭した。
まるで半身を何処かに削ぎ落とされたかのように、全身が耐え切れない痛みに晒されるのを感じていた。
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