皆で夜空を見上げよう。天の川に想いを馳せて、星座に心ときめかせて。
 満天の星々を思い出の中に刻もう。

 君の願い事は何?



** S t e l l e **



 のんびりとした休日の午前。
 外に出されているテーブルの上で、ナナは本を読んでいた。
 向かいの席ではけい子が忙しなくテストの採点をしている。マークは屋内で作曲中だった。

 そっと本から視線を上げたナナは、ちらりと家の下にある小屋を眺めた。
 仲睦まじい笑い声が時々こちらまで聞こえてくる。昨夜久しぶりに帰って来た兄が、あちらで友人達と他愛もない話をしながら勉強をしているのだ。
 一層楽しげに響いた声に、ナナは本へ再び意識を戻そうとした。
 微かに歪んだ自分の顔が、とても嫌だった。

「ねぇママ。お星様、こんなにたくさんあるの?」

 慌てて捲ったページに釘付けになったナナは、躊躇しながらも母親に尋ねてみた。
 けい子は一区切り付いた所で、すぐさま本を覗き込んでくれた。

 真っ黒な写真の中には、満天の星々が無造作に飾られていた。
 単なる黄色ではなく、青や赤、紫と色とりどりの光を放つ遠い恒星。それらが集まった銀河の形や染みのように広がっている白い運河。
 凄いわね、と感嘆したけい子に頷いて、ナナは本を自分の元へと引き戻した。

「お空にはね、それは数え切れないくらいの星があるの」
「へぇ……ママは見たことがあるの?」

 興味津々に尋ねてくるナナを見て、苦笑した。
 ネオトピアの夜景は見事で、それ故になかなか星を観ることは叶わない。プラネタリウムでならばいつでも見れる。けれど今、彼女が言っているのは自然の宇宙の姿だ。
 しばし過去の記憶を引っ張り出していたけい子は、不意に思い出した。
 ずいぶん、昔のことを。

「むかーしね。ママが子供の頃だけど、ネオトピアが停電しちゃったことがあったの」
「停電? 真っ暗?」

 真剣に耳を傾けてくる娘に、けい子は強く頷いた。
 懐かしい思い出が蘇る。忘れていたわけではなかったけれど、きちんと覚えている自分に少し驚く。
 それほどまでに鮮明だった。
 ――ほんの一瞬で、すぐに復旧したけれど。暗闇に包まれた都市の中、藍色の夜空を見上げたあの日の事。


 ふんわり笑ったけい子を見て、ナナは何だか嬉しくなった。この優しい母が感動した星の空は、きっと写真よりも数倍美しかったに違いない。
 大人になった今でも色褪せずに残るくらいに。

 そこまで考えたナナの表情に、さっと影が差した。
 再び視線が横を向く。

 彼らもまた色々な思い出を作ってきたのだろう。そしてそれは、ナナには共有できないものなのだ。
 物心付いた頃から、シュウトは仲間と共にあったし、両親はすっかり大人だった。
 一人だけ取り残されたような気がして、ナナは憂鬱になる。
 彼等と同じものを見ていたのは、おぼろげな赤ん坊の頃。微かに覚えているだけで形を成さないそれが、返って歯痒さを大きくするのだ。

 ましてや、ナナと親しい“彼等”はシュウトたちのように長く共にいられるわけではない。
 いつか必ず、別れがあることを聡いナナは知っていた。
 だからこそ、一緒にいたという形が欲しかった。

 急に黙り込んでしまったナナを、けい子が心配そうに覗き込んできた。
 きっとナナがシュウト達へと向けた視線の理由を、何となく察しているのだろう。彼女は特に何も言わなかった。

「そういえば、今日は七夕の日ね」

 話題を変えるように、けい子は明るい調子でそう言った。
 去年、ナナが楽しそうに短冊を書いていたことを思い出しながら。

「ナナ、今年もお願い事を書くんでしょう?」

 微笑ましい情景を思い浮かべ、笑いながらけい子は聞いた。
 もちろんナナは元気よく返事を返したが、語尾は曖昧な笑みに紛れて消えていった。



 それからナナは一人、リビングのテーブルの上で赤い短冊を書いていた。
 側には折り紙で作った、輪っか綴りや編み飾りが一つ二つと並んでいた。
 母親から、今夜大きな竹を飾るのだと聞いて、午前中から一生懸命作ったものだ。

 ところが、外の太陽が斜めを向き出した今になっても短冊に何も書けずにいた。
 思い浮かばないわけではない。
 もっとお小遣いが欲しいとか、早く大きくなりたいだとか、お気に入りの絵本をもっと買って欲しいだとか、子供らしい願い事はいくつも考えられた。
 けれども書いては消し、書いては消し、彼女は本当の願い事を見つけられずにいる。


 夜になれば、皆の短冊が揺れる。星を見たことはないけれど、皆と一緒に過ごした。
 去年も一昨年も。そして、今年も。


 ナナは鉛筆を走らせ、短冊を勢いよく裏返した。
 それから予備に作っておいた緑色の短冊に、差し当たりの無い願い事を書き記した。

「ナナは、ナナはね……――」

 赤い方の短冊は、ポケットに押し込んだ。
 くしゃりと歪んだ音がする。
 まるで自分がその願い事を握り潰したように感じ、ナナは泣きたい気分になった。





 + + + + + +





「七夕?」

 むっつりした顔が訝しげに歪められ、シュウトは思わずたじろいだ。

 S.D.G.基地は相変わらず慌しく働いている。
 それでも基地の中央部にはしっかりと笹の葉が飾られ、職員の短冊が次々と付けられていた。
 中でも目立つのは、てっぺんに取り付けられた長官顔の飾り。
 先程キャプテンが「クリスマスと取り違えているのでは?」と真面目に尋ねてくるほど、それは異様なものだった。

 ――とにかく、ネオトピアを守るこの組織でさえ、きちんと季節の行事を行っていた。

 しかし現在シュウトの目の前にいる男は、いくら世間が騒ごうが、自分は関係ないとばっさり切り捨てるような奴だった。
 別に不機嫌なわけではないのだが、低い声音で喋り、つり上がった目で睨むように見下してくるのものだから、誰だって少し退いてしまう。

「そうそう! 学校で大きい竹を貰ってさ、うちで立てることになってて」

 気圧されながらも持ち前のポジティブシンキングで、シュウトは楽しげに説明をする。
 それを隣にいるキャプテンが、いい具合に付け加える。

 話を聞きながらも、彼――マドナッグの手は作業を続行していた。
 周りの開発部の隊員たちが、はらはらと見守っている様子が伝わってきたが、気に留めることはなかった。
 最初に来た頃は、もっと腫れ物を触るような扱いだった。自分の属していた組織のことを思えば当たり前だ。
 その時よりは断然ましだ、とマドナッグは心の中で呟いた。

「それでその話の要点は何なのだ?」
「だーかーら! マドナッグもうちに来て、七夕の飾りつけしようよ」

 身振り手振りの話を終点へ持って行ってやると、意外な言葉が返ってきた。
 マドナッグは微かに瞠目し、ついキャプテンの方へと視線を転じてしまう。
 彼は頷き、「どうだろう?」とマドナッグに聞き返す。

「また、自分みたいなのが行っていいのか、とか言うんじゃないだろうね? マドナッグはもう僕らの仲間じゃないか」

 生き延びた後に何度も自分について回った言葉。
 マドナッグは今度こそ驚き、シュウトの笑顔を見つめた。
 伸ばされた手は、いつだって温かい。



 けれど。


「……シュウト。その……ナナも、か?」
「勿論だよ。セーラちゃんも呼ぶし、キャプテンもゼロも爆熱丸も姫も皆一緒だよ」


 それじゃあ駄目なんだ。


「――すまんな、シュウト。私は行けそうもない」
「何故なんだ、マドナッグ?」

 一瞬だけ浮かんだマドナッグの寂しそうな表情が気になり、キャプテンは首を傾げた。
 シュウトも残念そうに肩を落としたものの、その答えが気になり二人を見比べた。 

「行きたくないわけじゃないし、遠慮しているわけじゃない。だが、私には別件があってな。また今度誘ってくれないか?」

 滅多に見ることの無いマドナッグの微笑に宥められ、釈然としないものの二人は部屋を後にして言った。
 すまないと思いながらも、心遣いが嬉しくてマドナッグはいつまでも扉の方向を眺めていた。
 手元の作業は、もうすぐ終わる。

「おい、ディード。いるのだろう」

 最後のパネルを思い切り叩き、マドナッグは後ろに振り返った。
 そこには影のような暗色の鎧を纏った騎士が、気配を感じさせずに立っていた。

「人の事を呼べば出てくる便利なモノだと思わないで下さいよ」

 いつもの辛口は健在だったが、ディードは酷く嬉しそうに笑っていた。
 陰険なものではなく、本当は優しい彼の本質を現しているような。
 それを見て満足したのか、マドナッグは持っていた書類を主任の机に置いて、出入り口へと向かって言った。

「主任、私は早退致しますので後はよろしく」
「マ、マドナッグ! ちょっと待つねー!」

 主任の情け無い声を聞き、自動扉が閉まった直後に二人は顔を見合わせて噴き出した。




 + + + + + +





 陽はすっかり落ち、街に明かりが灯った頃。
 シュウトの家の玄関前には立派な竹が立っていた。
 子供達が楽しげに飾り付けをしている様子を眺め、けい子は夕食を外へと運んでいた。

 台所と何度か往復した頃、けい子は所在無さ気に柵に腰掛けているナナの姿を見つけた。
 自分の作った分の飾りは付け終わったのだろう、足をぶらぶらと揺らし、ぼんやりとしている。彼女の視線の先には、シュウトの姿があった。
 ナナは、自分の居場所はそこにはないと感じている。幸せだけど、何かが決定的に彼等と自分の間には足りない。そんな感情を持て余しているように見えた。
 どうしたものかとけい子は溜息を吐き出した。

「短冊もつけよう。ナナは、何を書いたの?」

 シュウトに促され、ナナは手の中にあった短冊をぎゅっと握り締めた。
 緑色のそれ。
 柵から下ろした足は鈍く、鉛をつけているようだった。

 そして、開く唇ですら彼女は重苦しいものに感じていた。

「ナナは、ね」




 ――ナナの願い事は、ね?




 その時。
 彼女の身体は風に掻っ攫われたように、宙に浮いた。




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