驚いて目をまん丸にしている息子や、唖然としているその仲間達を盗み見して、けい子はこっそり笑ってしまった。
 “彼”の突拍子の無い行動には、いつも自分が一番慌てていた。
 だからこそ、自分には分かるのだ。

 ナナが必要としていたもの。そしてそれを与えられる者は、他の誰でもない“彼等”だと。

 少しだけすまなそうにこちらを一瞥した“彼”に、けい子は茶目っ気たっぷりにウインクした。
 それから、慌しく騒いでいる子供達をどうやって宥めようかと、苦笑した。





 + + + + + +





 事態をうまく呑み込めず、ナナは自分を抱えている腕とその持ち主の顔を何度も見比べた。
 聞き慣れたバーニヤの音が、夕涼みの風の中で響いていた。

「マド、ちゃん?」

 ようやく出た言葉に、マドナッグは微かに笑んだ。
 黒いままの腕は決して体温を宿していないけれど、この上なく優しい。
 ナナはきょとんとしたまま、通過していく下界の景色を見た。

「ナナ、あまり見るな。高いぞ」
「平気だよ? マドちゃんが一緒だもん」

 マドナッグは言葉を詰まらせて、少しだけ俯いた。
 下から見上げる格好のナナにとってはまるで意味がない。照れたような顔がしっかりと目に入った。

「あのマドナッグが切り返し不可能だなんて、何処かの誰かさんよりもナナは凄いですね」

 これまた耳に馴染んだ声を聞き、ナナは首だけを動かして後ろを見た。
 マントをふわりと揺らし、ディードがついて来ていた。そしてその下に何とも重たそうにぶら下がっているのは、騎馬王丸だった。
 どうやらディードの皮肉に対して苛ついたのか、剣呑な視線で睨みつけている。

「それは誰のことを指している」
「ふふふ……何なら今からその誰かを落としてあげましょうか?」
「この高さから落とすと87%の確立で大惨事になるぞ」

 久しぶりに三人が揃ってナナの前に現れ、彼女は蕾が咲いたかのように今までの暗い影を吹き飛ばした。


 どうしてあんなに落ち込んでいたのだろう。

 仲間がいないなんて、絆がないなんて、思い出が共有できないだなんて。
 どうして思っていたのだろう。




「ほら、ナナ。そこだ」

 暗くなった草原の中、一本杉が立っていた。
 マドナッグはそこを指差し、静かに速度を緩めていった。

 杉の下に辿り着いた頃には、西の空も全て藍色に染まっていた。ただただ広がる果てない闇に、ナナは少しだけ身を竦ませた。
 マドナッグもディードも騎馬王丸も、無言で空を見上げている。
 彼女には何が始まるのか、さっぱり分からなかった。

「ねぇ、どうしてここに来たの?」

 率直な質問を受け、マドナッグは自分の装甲の隙間をまさぐった。
 そこから出てきたのは一枚の紙切れ。
 はっとしたナナは、慌てて他の二人を見た。
 ディードは小さく指を鳴らし、紙切れと小さな笹の枝を呼び出していた。
 騎馬王丸もやはり懐から紙切れを出した。何やら墨で書かれた達筆が並んでいる。

「本来ならば前もって言うべきだったのだが、マドナッグの奴が急に言い出してな」

 笹に三人分の紙切れを結びつけながら、騎馬王丸は溜息を吐き出した。
 その様子とは裏腹に、彼もまた嬉しそうに笑っていた。

「昼間シュウトに言われて知ったのだ。しかたないだろう」
「おにーちゃんに?」

 ナナに聞き返され、マドナッグは頷いた。

「断った。私には用事があったのでな」

 意味なく偉そうな台詞。いつものようにマイペースなマドナッグが、ナナは何だか可笑しかった。

「じゃあこんな所にいないで、お仕事しなくちゃ」
「違うぞ、ナナ。これが私の“用事”だ」

 苦笑を浮かべながら言えば、マドナッグは首を振った。
 え、と戸惑いを露わにしたナナの呟きに、彼は指を空へ差し向けた。
 つられて見上げれば、先程と同じ暗い夜空。けれどナナは、ある変化に気付いた。ぽつりぽつりと灯っていく、白や青の光の数々。

「……!」

 いつもならば感嘆の声の一つも上がるところだった。
 けれどナナは思わず息を飲み込んだ。

 それは図鑑で見たあの光景に酷似した、宇宙の姿だった。隅々まで覆われた闇夜の中に浮かぶ、恒星の優しい光。眩しい太陽の輝きを細かく砕いたかのような白い川。
 きっと街に住む人々の殆どが見たことのない世界。いつもならば平坦に見える天球が、文字通りに曲がって見えた。
 ナナの頭上に、そんな幻想的な満天の空が広がっている。


 ふと彼女の耳に、笹の葉の涼やかな音が届いた。
 視線を少しだけ下ろせば、そこに小さな竹の枝が差し出されている。何の飾り気もないそれには、三つの紙切れが吊り下がっている。
 ナナは自分の手の中に握られている緑色の短冊を見て、それからすぐに顔を上げる。
 自分よりもずっと年上の三人が、見守るようにそこにいて。

「ナナ、七夕の伝説を知っているか?」

 まるで父親のような穏やかな口調で騎馬王丸は問う。
 ナナは頷き、母から聞いた織姫と彦星の話を思い返した。

 一年に一度、天の川を渡って二人は星空の旅に出る。織女と牽牛。毎日仕事に追われながら、互いを永遠に思いやる二人。
 そんな二人は寂しくないのか、とナナは考えた。
 母は言った。
 寂しくないわけがない。だからこそたった一度の逢引の思い出を糧に、毎日を生きていくのだと。


 どんなに孤独を感じても、大切な人との思い出だけは色褪せることなくこの胸に刻み込まれるのだと。


「私達には思い出と呼べる思い出がない。だが、そんなもの今から作れるだろう?」

 ナナやシュウト、皆が我々に教えてくれたことだ。
 生きている限り、何かを得られるのだと。


 マドナッグの言葉に、ナナはやっと気付けた。
 過去は今が積み重なってできた、思い出の結晶なのだと。
 シュウトたちの持っているそれはどんなに望んだって手に入らない。自分は自分だけの欠片を拾い集め、そうして歩いていくのだと。

「皆との思い出もいいけれど、私は、ナナにこの星空を見せてやりたかった……ナナ?」

 三人が慌てたように顔を覗き込んできた。
 その向こう側の暗い空も、涙で滲んでよく見えなくなってきた。
 ナナは握っていた手と逆側のポケットから、赤い短冊を取り出す。くしゃくしゃになった笑顔で、それを前へ突き出した。

「これっ! ナナの願い事! 本当の、本当の!」

 稚拙な鉛筆文字が綴っていた文字を見て、三人は苦笑した。
 自分達の書いた短冊を、ナナの目先に持ってくる。

 そうして皆で声を出して笑った。

「今さらですけど、今夜は一緒に星祭でも致しませんか?」

 ディードの言葉に、ナナは赤くなった目元を擦りながら頷いた。
 四人は草原に身を転がし、飽くことなく空を仰ぐ。

 その中央に立っている小さな竹の枝に、四つの短冊が揺れていた。
 書かれている願い事はたった一つ。





“大切な思い出が作れますように”





 ずっといられないから。
 君と共にいた思い出を、綺麗な夜空に留めておこう。

 それぞれの未来に歩き出すときの糧として。
 過去を乗り越え、分かち合うために。





 ――この日見上げた星空のことを、一生忘れるものかとナナは決めた。





 -END-




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三幹部+ナナ話。星を眺める話はずっと温めていたのですが、今回やっと公開にいたりました。
や、本当にこの四人の話は長く書けるよ、私;;
ナナとシュウトの違い。フォースの皆と三幹部の違い。それからけい子さん。
この辺りを押さえたかったのですが……うまく伝わったかどうか;難しいです。
やけにマドとディーが何か仲良し過ぎた気もします(笑)
(2005/07/07)


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