――あんたも恋をしてみなよ! 世界がひっくり返るほど輝いて見えてくるぜ!


 そう言い残して、蕎麦を食いながら風のように去って行った恋の伝道師。
 あんな風来坊の言葉を鵜呑みにしてはいけません、と注意してみたものの、一度教えられたことに興味が湧くのは年頃だから?

 そんなこんなで世界の流れは良く出来ているもので。

 風来坊からもたらされた言葉を、幸村様は今まさに体感しているところでありました……。
 ――って嘘だろぉぉぉぉ!!!!???


 (ナレーションBy.真田忍隊S氏)




++ 年! ++






 その日、長篠の地には深い霧が立ち込めていた。
 絶え間なく響いていたはずの鉄砲の炸裂音は突如として止み、攻撃していた側の兵士達に動揺が伝わる。
 雨ではないだけましだが、こう霧深くては味方を撃ってしまう可能性が高いため攻撃を中断せざる負えない。そのため馬防柵の向こう側の本陣から、急遽作戦の変更の命が各々へと飛ばされた。

 厄介な鉄砲隊を抑えた武田軍は、後方に下がらせていた自慢の騎馬軍を徐々に前進させた。
 霧を発生させたのは佐助の忍術ゆえ、術者本人が解くか死なない限りは晴れることはない。相手も馬鹿ではないのでそのことは重々承知しているだろう。だからこそ逆に向こうに霧を利用される危険性もあるため、鉛玉が飛ばなくなった戦場にあっても信玄は慎重な行動を続けるよう命令していた。
 が。
 お館様の策と佐助の技が合わされば怖いものは無いと、霧が発生してからすぐさま飛び出して行ったお馬鹿さんは帰ってくる様子も無く。
 利かない視界の奥で何やら楽しげな雄叫びが聞こえてくることから、罠の類はないのだということは分かるが頭は痛くなる一方。

「はぁ……全軍、とにかく霧が晴れるまで敵陣に蛇行しながら前進する。幸村が悲鳴を上げたら罠があるということだ。用心しておけ」

 信玄は呆れ返りながら、同じく苦笑を浮かべてしまっている部下達に溜息混じりの命令を下した。



 叱りに行った佐助も巻き込み、幸村は前進し続けていた。
 何度も引き止めているのだが幸村は取り付かれたように前に進む。霧の中に伏兵が隠れていたがすぐさま槍で伸し、まるで最初から見えていなかったかのようにまた走り出す。
 やばい、この人とうとう脳みそ沸騰しちゃったか、と佐助が不謹慎な想像を巡らせているうちに、馬防策が視界に入った。敵の本陣が近いのだ。

「旦那! 一人じゃ無謀すぎるでしょ! こんだけ近ければ鉄砲だって撃たれるかもしれないし」
「俺の槍は鉛玉如きで止められるものではなぁい!」

 いつも以上にてんしょんとやらを上げている幸村に、佐助はげんなりとする。
 大規模な術を使っているのだ。はっきりいって、幸村の勢いについて行くにはかなりシンドイ。

「あーのーねー! 前にお館様に怒られたばっかりでしょうが。さっさと後退しなさいって!」
「駄目なのだ佐助! 某は確かめねばならんのだ!」

 何をだよ、と佐助は半分投げやりになりながら相槌を返した。
 すると先程まで煩かった幸村の口が、途端に鈍った。振り向きかけたその顔は戦の最中に浮かべる精悍なものだったはずなのに、一瞬で湯気が吹き上がりそうなくらいに赤く染まった。
 何処ぞの乙女の如くに照れた様子で顔を伏せ、槍を持ったまま両手の指先をいじいじと合わせている。
 なのに、忍者の佐助と同じ速度で走っている足がそのままなのが気持ち悪い。
 否、何だか全てが気持ち悪い。

 卒倒したくなった気分を抑えつつ、幸村のいつもと反応が違うことに佐助は首を傾げた。
 ――というより。似たような光景をついこの間見たような気がする。
 記憶を遡れば、幸村がてんしょんという奇妙な単語を覚えた頃。
 つまり、前田慶次に喧嘩を売られた時。

「……旦那、まさか」

 佐助はそろりともう一度幸村を横目で見やる。
 同郷の忍である知り合いのくのいちが主を褒め称える時の、輝いている笑顔を不意に思い出した。
 むしろ、まんま?
 勘の良い自分が何だか悲しくなってきた。

「一応、お目付け役として尋ねますが……何をお確かめになられるのでしょうか?」
「無論! 運命の御人が毛利殿かを、この目でもう一度!!!」

 ふふふ、聞いた俺が馬鹿だったんだよ。
 こっそりと影で涙を拭いながら、佐助はもう言葉も出ない。


 幸村曰く。
 本日のお相手である毛利軍の総大将、元就と目が合ったのだという。
 開戦してすぐに元就は、他の武将すら付けずに一人で自陣の前に仁王立ちした。武田の騎馬隊というだけで普通の兵ならば竦み上がるが、相手は一代で中国を平らげた猛者。ずらりと並ぶ馬の首を睨むだけで、感情が揺れ動いた様子も微塵も無かった。
 佐助から見れば、ようは無愛想極まりない顔。
 その時に無駄に視力の良い幸村は、元就の凍えるような瞳と目が合った――らしい。
 鉄砲隊が動員される間に敵を引き付ける策だったのだろう、運良く(運悪く?)元就は挑発するために嘲笑った。

 ――その瞬間、幸村は馬上で失神しかけたらしい。
 ついでにいうと、羽が生えた髭面の小人が頭の中で伴天連の鐘を鳴らしてくれたそうな。


 ……んな馬鹿な。


 幸村は目を輝かせながら、先程のことを語る。
 戦の最中は絶賛興奮中なのは百も承知だが、これは本当にやばいのかもしれない、と佐助は絶望を軽く感じていた。
 そうこうしているうちに敵陣は目の前だ。もう止められる時間は無い。

 そして、更に運が悪いことに。

 覚悟を決めようとした矢先、馬防柵の前に細身の人影を発見してしまった。
 背後で兵士達が鉄の筒を構えているというのに臆することなく、冷ややかに戦場を見つめる人形のような目がこちらを向いた。
 旦那の言う「運命の人」候補が丁度陣から出て来たところだったらしい。

「うおおお! 毛利殿、拙者を出迎えに?!!」
「煩いぞ、貴様等。先刻から人の名を無意味に連呼しおって。よほど我直々に斬られたいと見える」

 初めての会話は見事に食い違ったね、旦那。

 幸村は慌てて口を閉じ、霧の中から徐々に現れてくる元就を見ている。
 用心のために佐助は己の武器を手にしながら、いつでも幸村を庇えるように軽く体勢を低くする。
 こんな用事のために幸村を庇って死んだ、なんて後世には伝えられたくないなと若干哀しくなりながらも、仕事と割り切って元就を睨んでみた。
 すると視線に気付いたのか、姿を現した元就は佐助の方をちらりと見た。

「ふん、忍か。赴く手間が省けたわ。術を解かせてもらおう」

 輪刀が構えられ、緊張が走った。

「毛利殿!」

 いきなり幸村が槍を振るい、元就の前に飛び出した。
 急なことに驚いた様子も無く、相手は輪刀を割って二つの刃先を器用に受け止める。
 金属同士がぶつかり合う、慣れ親しんだ音が響いた。
 身長差はさほど無いが槍を下から受け止めた元就の方が分が悪く、押し切られる形で徐々に腰が低くなってきた。
 鍔迫り合いを続ける幸村と元就は、互いを睨み合う様にして間近で相手を見た。

 佐助は目を丸くしてそれを呆然と見ていた。
 あれだけ頬を染め上げて元就について喋っていた幸村が、何の躊躇も無く獲物を向けたのだ。はっきり言って予想外だ。
 話をするためにここまできたのではないか、と止める役目だった佐助が首を傾げてしまう。

 が、更に予想外なことが起きるのが世の常だ。

 幸村の顔が、茹で上がった。
 上着の色と肌の色が判別つかなくなるくらいに真っ赤に。
 そしてそのままの状態で迫り合いに勝ってしまったらしく、力の拮抗が敗れたために幸村が前へと倒れた。
 つまり、元就の上に覆い被さることとなる。

「だ、旦那!?」

 慌てて駆け寄れば、茹で上がった蛸のような顔が、二つ。

「し、し、痴れ者っ! さっさと退け!!!」
「す、すまぬでござる! ああああああ拙者の破廉恥!!!!!!!!!!」
 
 勢いよく元就から離れた幸村は、脱兎の如く来た道を戻っていった。
 雄叫びが徐々に遠くなって行くことを唖然としながら聞いていた佐助は、いまだに立ち上がれないまま放心状態の元就をちらりと横目で見る。
 尻餅をついたままの体勢で両手で顔を覆う元就は、混乱で頭がまともに働いていないのだろう。
 取れた兜から零れた髪の間に見えた耳は、やっぱり赤く火照っていて。

「なぁんだ……脈有じゃん?」

 苦笑を浮かべた佐助は、元就の背後から迫る毛利軍の武将の声に気付いて、自分もまた武田の陣へと引き返した。
 幸村を戻せという命令は果たしたわけだし、術を発動させているため敵将全てを排するには力が足りないということにして。


 早速、後悔したけど。


「慶次殿ー! これが恋でござるな! 動悸が止まりませぬぞぉぉぉ!!!!」
「や、むしろもう鼓動すら止めたらどう」
「佐助、佐助も見ただろう?! あの凛々しくもあり可憐なお姿! 拙者、此度の戦で毛利殿の視線を攫ってみせる!」
「それって敵意だと思うんだけどねー」
「先程はお顔を近くで見たいがために思わず攻撃を仕掛けてしまったのだが……おおおおお押し倒してしまった後、毛利殿は怒っておられたか?」
「そりゃ怒るでしょうがねー。案外、照れてただけかもね」

 どうやら幸村の中で、完璧に元就は「運命の人」になったらしい。
 佐助は先程から適当に相槌を返しながら、幸村の話を聞いてやっていた。
 出会って間もない、しかも付き合ってもいない、更に言えば敵対している相手であるはずなのに、言う事全てが惚気に聞こえてくるのは気のせいだろうか。
 再びげんなりしながらも、佐助は苦笑いを浮かべてしまう。
 もう幸村を叱る気にもなれなかった。

 ――恋の始まり、と言う甘酸っぱい題名の物語が扉を開くところを見てしまったからかもしれない。



 - END -





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創作者さんに50未満のお題・選択式お題(題目:玉砕覚悟)より。
阿呆さ全開でお送りいたしました。どうしてもツッコミ役をS氏にさせたくなってしまいます(苦笑)
ギャグなのか甘いのか訳分かりませんが、この幸就……ナチュラルに両想いですね;
玉砕覚悟なんだけどやってみたら結構いい線いった、というような…;;<蛇足的
(2006/11/04)


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