血塗れの御姿が目に焼きついていた。彼の瞳には諦めの色は灯らない。
辛辣な言葉を紡ぐことを止めずに、あの方は最後の最後まで誇りを捨てずに生きるのだ。
それがあの参の星を背負う重さ。
本当なら、私も負わねばならなかった毛利の鎖。
- それでも貴方のために生きていたい -
「ならん」
凍えた視線が突き刺さり、冷たい言葉が降り注ぐ。
元就様の言い分は尤もだ。けれども私にも私なりのちっぽけな矜持があるのだ。それは子供のような我侭なのだろう。戦場に持って行くには稚拙な志なのだろう。
でも。
私は、失いたくないのだ。
「お前が出ても足手纏いだ。下がるがよい」
「足手纏いだろうが弾除けの壁ぐらいにはなれます。それに吉川殿も小早川殿も出陣なさる中、私だけが居残るなどこれからの毛利の汚名。こればかりはお許しを」
「雑兵如きに斬られるなど、それこそ毛利の名折れぞ。何度も言わせるな、下がれ」
外の景観をじっと眺めている背中へと、私はただ懇願する。
返されるのは罵倒混じりの素っ気の無い返事ばかり。それでも決して怯むことはしない。ここで下がっては、二度と前には進めないのだ。
背後に控えている二人の弟は黙っているものの、内心ではどれだけやきもきしていることだろう。
普段なら滅多に口答えなどしない私が、こうも食い下がることは珍しい。きっと困惑した様子で成り行きを見守っているだろうと予想がつく。
元春も、隆景も、毛利軍の両翼を固めるために出陣を許された。二人とも、それぞれ吉川と小早川の当主であるのだから当然のことだ。
何より元春は武芸に秀でて何より兵の扱いがうまいし、隆景は最強と謳われる水軍を率いていて姦計を得意としている。私一人が増えた所で、役立つ場所は見当たらない。
――役立たずは要らない。
元就様は常日頃からそう仰っている。
だから、この口答えは本来ならば意味を成さない。自分でも分かっている。戦場に自分の居場所はないということを。
それでも。
私は、貴方の側にいたいのです。
深く深く頭を下げて、くぐもりながらも呟いた。
頭上で元就様が振り返った気配がした。背後で弟達が息を呑む音がした。
逆鱗に触れて奥の部屋へと戻されるか。殴られるかもしれない。普通の兵であれば首を刎ねられるという心配が湧き上がるだろうが、私は自分の立場を利用してこのように縋っている。
浅ましい己が憎らしい。
あの人の血をひいている筈なのに、全く似なかった自分が嫌いだ。
本当なら既に自分が毛利の当主となっていたのに、それを拒んだのは自分だ。
元就様の栄光が眩し過ぎて、凡人である己が彼を差し置いてどうして上に立てようかと。貴方がいなければ私は駄目なのです、と泣きついた。
軟弱者、と罵られても、私は今のように一つ覚えのように懇願し続けた。
あの方は結局折れてくれたけれども。
ずっと側にいたから知っていたのだ。毛利の、重さを。重さに耐え続けながら、何かを失くしていく元就様の背中を見続けていた。
なのに、拒んだ。
だから、拒んだ。
彼のように立てないから。彼のように強くないから。
そう言いながら――重みから逃げた。
それを自覚して後悔しようにも、遅過ぎた。
元就様は誰にも頼ろうとはせずにずっと生きていて、私の拒絶はその生き方を加速させてしまっていた。
今こうしていることも、この人の持つ――きっと他人には分からない、小さな小さな優しい木漏れ日に自分は結局甘えている。
本当はもっと何かをしてあげたかったのに。
もう、方法が思いつかない。
「……隆元」
溜息交じりに呼ばれ、肩に力が篭る。
顔を上げよと言われるがままに視線を上げると、ぶつかったのは静かな光を灯す飴色の瞳。
先程までの不機嫌な声とは裏腹に、それは酷く揺れていて。
「我は、そなたに死ねと命じるのだぞ。そなたはそれでも良いのか」
俯き加減で兜の影に表情が隠れた。采配を握り締める手が、微かに震えていた。
彼の薄い背中に背負っているものは、雁字搦めで血に塗れてしまっている。本当なら耐え切れないのに、ずっと堪えてきたから痛みすら忘れて。
地から逃れられない宿命を知っているけれど、太陽を恨むことはなく。
人は彼を、冷血な人形だと指差すけれど。
兵は彼を、畏怖しながらも敬っているけれど。
本当はどうしようもなく、人間でいたいのだということを知っているから。――人間でいさせる最後の術さえを、私は奪ってしまったから。
もう私は、後悔したくない。
「構いませぬ。貴方様の策の礎となれるのならば」
もう一度深く頭を下げた。
また甘えてしまった情けなさと、彼の側にいられるということを嬉しむ思いが同時に込み上げる。
我侭な息子で、申し訳ありません。心の中で詫びた。
「元就様、御命令を」
「篭城は終わりだ。皆を呼べ」
元就様はそう言って、再び外を見た。
降り止まぬ雨の中。城は水に侵食されている。
負け戦の気配が濃厚になりながらも、彼の姿勢は崩されない。
「隆元、元春、隆景――」
不意に私達は名を呼ばれ、廊下に出ようとしていた弟達が怪訝な様子で振り返る。
緑の具足の後姿が、囁いた。
「死ねとは申す。が……我はそなた達の帰りをいつまでも待っておる」
豪雨の雨音に消されかけた言葉は、二人の元へも確かに届いたようで。元春も隆景も、そして私も。戦地に赴くにしては穏やか過ぎる微笑みを浮かべた。
哀しいくらい不器用なあの人が、愛しかった。
- END -
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創作者さんに50未満のお題・選択式お題(題目:その翼は朱に染まり)より。
隆元(三兄弟)×元就……のわりに、弟達が目立たず、長男一人称なので片思いチック…。
息子達はかなり元就が好きだと思います。ファザコンの勢い。
毛利軍は完全縦社会だと思うので、普段から尊称で呼んでいたら良い…。
(2006/10/24)
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